第21話 瞳の宝石④

 ミレニアの期待に満ちた視線と、全力の好意に、「やはり辞める」と言って辞退するわけにもいかず、ロロは観念して宝石を選ぶことに決めた。

 元奴隷が宝石など、と思う心がないわけではないが、心から敬愛する主を象徴する色の宝石を手に入れられるのだ。生涯で唯一の例外とする贅沢と思えばいい。

「……万が一戦闘になった時にも、身に着けていて邪魔にならない物がありがたい」

「せ、戦闘――ですか」

 商人に注文を付けると、男はひくっと声を引きつらせた。丸々と肥えた頬が理解の範疇を超えたせいか、軽く歪む。

 彼が普段取引をするような貴族たちが、戦闘を前提とした日常を送っているはずがない。商人になってから初めて言われた注文にたじろいだのだろう。

 商人の反応を見て、やはり、自分が宝石を身に着けるなど分不相応なのだ――とロロが再び自己評価をマイナスへと振り切ろうとする雰囲気を察し、ミレニアはパッと顔を上げて入口へと視線を投げた。

「ねぇ、そこのお前たち」

「ハッ!」

「お前たちは兵になって長いでしょう。何か、アクセサリーを身に着けたことはあるかしら?アドバイスが欲しいの」

「は……はいっ」

 入口に立っていた屈強な護衛兵たちは、貴族の次男坊以下の出身のはずだ。宝飾品について、少なくともロロよりは身近に感じているだろう。

 皇女に話を振られた二人は仰々しく敬礼をした後、チラリとお互いに視線をやり、空気を読んでから口を開いた。

「その……やはり、腕輪や耳飾りは、戦闘に不向きかと思われます。煩わしいのは勿論、耳飾りなどは、訓練であっても少し激しく運動するだけで紛失してしまいかねません」

「そうね。――腕輪は、特にやめておいた方がいいわね」

(ロロは、手枷を嵌められていた時代を思い出してしまいそうだもの)

 心の中で呟く。

 もし腕輪などを身に着けさせた場合、昏い光を宿した瞳で微かに自嘲の笑みすら浮かべて、これくらいが俺にはお似合いだ、などと言い出しかねない奴隷根性が染み付いた専属護衛が、本当に怖い。

 入口に立つ壮年の兵士は、皇女の突然の質問にも文句を言わず、少し考えながら口を開いた。

「私は普段から宝飾品などとは縁遠く……結婚の証くらいしか身に着けません。最初は慣れませんでしたが、一度身に着ければ決して外すことはありませんので、嫌でもすぐに慣れます」

「結婚の証?」

 ロロが軽く首をかしげる。伺うようにミレニアを軽く見上げる瞳に、ドキン、と胸が高鳴った。

「ゆ、指輪、と言うことよ。結婚をした男女は、互いに指輪を贈りあって身に着けるの。指輪を着けていることが、正妻である証なのよ。正妻以外は他の宝飾を贈られることはあっても、結婚の証である指輪だけは決して身に着けられないの」

「…………へぇ」

 おそらく、帝国の結婚事情など、興味の欠片もなかった人生を歩んできたロロは、相変わらずの無表情で、やはり興味なさそうに頷くだけだった。家名すら持たぬ奴隷の身では、結婚など夢のまた夢だからだろう。名前すら、つい数年前に初めて手に入れたくらいなのに。

 つい気が抜けたのか、不意に出る相槌が、昔のようにぶっきらぼうになったのが珍しく、ドキン、とミレニアの心臓が再び飛び跳ねる。――周囲は皇女への不敬を目の当たりにしてハラハラしていただろうが。

 広げられた商品を覗き込む美しい横顔の青年を見て、ミレニアはそっと静かにその指へと視線を移す。男らしくごつごつと骨ばった、何の飾り気もない大きな褐色の手がそこにはあった。

(ここに――翡翠の指輪が、嵌ったら)

 ミレニアはこっそりと想像してみる。彼の、この、剣しか握ったことのないような武骨な手に、指輪が輝く様を。

 今、彼が覗き込んでいる商品の中の指輪がはまるのだろうか。

 ――彼が、”貴女の色”と表現した、翡翠の宝石が輝く、指輪が。

「――――――……指輪は、やめておいた方が良いかもしれないわ」

「?」

 そっと、静かな声で、ミレニアはつぶやく。

 ロロは、怪訝な顔で少女を振り仰いだ。

「……石付の指輪では、戦闘の最中、石だけが外れてしまうこともあるでしょう。――結婚の証は、男性用の指輪には石を入れない物も多いの。きっと、兵士たちが身に着けている指輪も、石がないものが多いのではないかしら」

「あっ……は、はい!確かに、その通りです」

 兵士がハッとなって肯定するのを見て、ミレニアは苦笑する。

「……ほら。お前は、石がついていることが何より重要なのでしょう?――では、指輪は、やめておいた方が良いのではなくて?」

「……なるほど。……わかりました」

 こくり、と素直にロロがうなずき、再び商品へと視線を戻す。ミレニアは、ほんの少し苦味が混ざった笑みで、それを眺めた。

(――指輪は、やめておいた方がいいわ)

 心の中でもう一度呟く。――自分に言い聞かせるように、もう一度。

 想像してしまったのだ。彼が、翡翠の輝く指輪を、その指に嵌めているところを。

 帝国において、いかに裕福な貴族だったとしても、未婚の男性が指輪をすることはほとんどない。男性の宝飾品に関しては、家督を譲り受け、自分の物として資金を運用できるようになってから、一人前の証として購入するようになるのが一般的だ。唯一例外があるのが、婚姻の証として身に着ける「結婚の証」――それだけは、たとえ家督を譲り受けるより前、若い男性でも身に着けることが許されている。

 もしも、ロロがその指にキラリと輝く指輪を嵌めていたとしたら――彼には、将来を誓った唯一無二の女性がいる、という見られ方をするだろう。それが、帝国社会でのアタリマエだ。

(きっと、”私の色”と称した石の指輪を、大切に毎日身に着けているロロを見るのは――酷く、気分が良いと、思うのだけれど)

 彼はきっと、なんとも思わないだろう。ミレニアに生涯を捧げることを、心の底から望んでいる献身っぷりから察するに、毎日大切に身に着けてくれるはずだ。

(きっと、酷く心が満たされる。――ロロは私の物なのだと、周囲に見せびらかすような気持ちになれるわね)

 ふ……とミレニアの口の端に、微かに自嘲の笑みが漏れる。

 きっと、きっと、とても気分が良い。

 この美しい青年が、名実ともに自分の物であると、対外的にアピールするのは、気分をこれ以上なく高揚させるだろう。

 だが――だが、きっと。

(彼の、縁を、遠ざけてしまうから――やめておいた方が、いいわ)

 ぎゅ……とミレニアは小さな手を握り込む。

 彼の隷属っぷりは、筋金入りだ。ミレニアを至上の存在とおいて、命を捧げる対象と定めている彼は、きっと、今日手に入れた翡翠の石を肌身離さず生涯身に着け続けることだろう。それを自惚れと思えぬほどの献身を、この一年、ひたむきに捧げられてきたのだ。

 ロロが、至上の主たるミレニアの象徴の石を、外すことはあるまい。

 たとえ、それで周囲に誤解され、男女の縁が遠ざかるのだとしても――

 ――――もしも、奇跡的に結ばれそうになった縁があって、相手の女性に指輪を外せと言われたとしても。

(この男は、本当に……本当に、私を、どこまでも一番に据えているから――)

 己が幸せになることなど、ロロは髪の毛一筋ほども興味がないのだ。そんなことよりも、ミレニアを守り、ミレニアのために生きることだけが彼の関心ごとなのだ。仮にそのためにロロ自身が不幸になろうと、それを喜んで受け入れてしまう被虐的な男なのだ。

 先ほどの興味の無さそうな相槌が、全てを物語っている。――彼は、元奴隷の自分が、誰かと結婚をすることなどこれっぽっちも想像していない。指輪を身に着けていることで、女性と縁遠くなることにも、何一つ関心がないだろう。

(だからこそ、私がそれを奪ってはダメ……)

 ロロには、幸せになってほしいのだ。己の幸せを、当たり前のように追及してほしいのだ。

 ――”人”らしく、生きてほしいのだ。

(ロロが当たり前に胸を張って生きられる世界は、いつか必ず実現するわ。その時に――ロロを素敵だと言ってくれた、素晴らしい女性との恋路を、妨げるようなものは作ってはいけないのよ、ミレニア)

 言い聞かせるようにして、小さく深呼吸する。

 家名のない奴隷でも結婚の方法が無いわけではない。買い上げられた先の家の伝手で、どこかの養子となる事もある。戸籍が作られ、初めて結婚を許される。――今のロロは、そんなことを望んではいないだろうが。

 だが、これから先の未来、もしもロロが結婚の証を作りたいと思うような女性と縁が結ばれたとき――きっと、その女性は、ロロの指に他の女をこれ以上なく想起させる指輪が嵌っていることを咎めることだろう。主君への忠義ではなく、伴侶への愛の証をその身に纏ってくれと懇願することだろう。

 だが――きっと。

 その、至極当然な女性の要望を前に――この、隷属男は、間違いなくその要求を冷たく突っぱねてしまう。

 ミレニアへの忠義の証をその身から離すことと、素敵な縁が結ばれた女性との愛があふれる生活とを天秤に掛けたら――きっと、彼は、何の迷いもなく、一瞬で、女性との縁を切り離してしまう。

 ミレニアへの忠義を貫けぬ人生など、彼にとっては、何の意味もない物なのだから――

(本当に――……仕方のない男ね。まったく)

 きゅっ……と胸の奥が、甘い痛みを発する。

 彼のひたむきな献身は、ミレニアの自惚れにも似た自尊心をくすぐる。自分は、この男がいる限り、世界中が敵に回ったとしても、絶対に独りきりにはならない、という安心感を得られる。

 麻薬のような、その甘美な感情を――

 ――そんな些末なものを満たすためだけに、ロロの幸せを奪ってしまっては、いけない。

 大袈裟でも何でもなく、本当に簡単に、ミレニアは彼からそれを奪ってしまえるのだから。

(きっと、この理由を告げれば、ロロはむしろ指輪を身に着けたいと申し出るでしょうね。……私がそんなことに気を回すことも、私以上に優先する存在が出来ることも、全てを否定したいと思うでしょうから)

 だから、彼に告げるのは、違う理由。

 甘美な感情に蓋をして、理性で決別をするのだ。

 ――彼の幸せを、心から祈っているからこそ。

「その……では、ペンダント形式の物は、いかがでしょうか」

「?」

 もう一人の護衛の男が恐る恐る口を開くと、ロロが怪訝そうに振り返った。

「友人の兵士に、ロケット式のペンダントの中に薬を入れて戦場に立つ者がいることを思い出しました。首から下げるので、服の中に仕舞い込んでしまえば、戦闘中も煩わしいことはない、と言っていましたので――首飾りの形式であれば、いざ戦闘になっても、問題ないのでは」

「……なるほど。それはいい」

 ふ、とロロの頬が緩む。

「それでしたら、ペンダントトップはあまり大きくない方がいいですね。鎖も、なるべく丈夫なものが良いでしょう。そうすると――例えば、これなどはいかがでしょうか。シンプルなデザインですが、その分翡翠の石が大きく使われていて、ご要望に沿えるものになっているかと思いますが」

 商人が手に取り薦めてきたペンダントを、ロロはじぃっと眺める。

 余分な細工の一切をそぎ落としたシンプルなデザインのそれは、大きく上等な翡翠をしっかりと際立たせていた。

 蜜のようにとろりと艶のある大粒の翠の宝石は、己の全てを捧ぐ主君の瞳に、よく似ているように思える。

「……これがいい。気に入った。――譲ってくれ」

「ありがとうございます。金貨十枚でございます」

「?……その程度で買えるのか」

 きょとん、とした顔で商人を見やるロロに、周囲の者が皆驚く。

 金貨十枚、と言えば決して安くはない金額だ。それを、元奴隷のロロが軽んじるような発言をしたのが驚きだったのだろう。

(……今度、金銭感覚についてもちゃんと教える必要があるようね……)

 ロロの感覚は、一般常識からすればこれ以上なくズレているが、本人の収入と生活からすれば、決しておかしくない。

 皇族の専属護衛という立場は、一般兵よりもよほど給金が高い。そのくせ、丸一年、殆どその金に手を付けず、蓄え続けていたのだ。貯蓄額は、とんでもない額になっているだろう。その中から工面する金貨十枚など、はした金と言っても過言ではない。

 さらに質の悪いことに、彼は一番の花形の剣闘奴隷だった過去がある。彼自身にその金が入ることはなかっただろうが、剣闘場で堂々と行われていた賭博は、目玉が飛び出るような高額ばかりだった。金貨五十枚や百枚、といった、一般人であれば一生のうちに聞くか聞かないか、というほどの高額の数字を、剣闘に立つたび当たり前に耳にしていたのだ。そんな特殊な生活をしていた彼が、金貨十枚、というのがどれくらいの価値なのか、正確に把握しているとは思えない。

 商品と金貨を交換しているロロを眺めて、ミレニアはこめかみを抑えながら重いため息を吐いたのだった。

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