第16話 至上の献身②
ミレニアが最初に驚いたのは、彼の月々の報酬と勤務体制について決めようとしたときだった。
「報酬など必要ない。休みも、いらん。アンタは一言、俺に、働けと命ずればいい」
「いやいやいや……お前、何を言っているの?そんなわけにはいかな――」
「金なんかもらったところで、使い道がない。先ほど、武器も服も支給された。飯も無償で与えられると聞いた。専属護衛のためにと、部屋を一部屋割り当てられ、寝床まで与えられた。――他に何か、生きていくうえで金のかかるものがあるか?」
「え……えっと……お休みの日に何か買い物をしたりとか……?」
「そもそも休みという概念がわからん。その間、アンタの護衛は誰が務める?ずっと傍に居ろと言ったのはアンタだ」
「た、確かにそう言ったけれど……でも、四六時中一緒に居ろということではないわ。専属ではなくても、今まで通り、私の護衛の任に当たっている兵士たちがいるの。お前が休むときは、彼らが代わりに私を守ってくれるわ」
「……休む……何のために?」
「えっ……!?か、身体を休めたりとか――」
「動くだけで体力を消費するような枷があるわけでもない。毎日敵が襲ってきて朝から晩まで命の危機にさらされる戦いに明け暮れるわけでもない。――平穏な一日もあるんだろう?」
「いえ、どちらかと言うと、平穏な一日の方が圧倒的に多いけれど――」
「その毎日で、何に疲れると言うんだ?夜には、布団の中で眠る許可までもらっているというのに」
開いた口が塞がらない、とはこのことか――
ミレニアは、あまりの”当たり前”の違いに、頭痛を隠し切れなかった。
(奴隷たちの地位向上に関することは、後で考えるとして――どうやって納得させたものかしら……)
「他人は信用できない。アンタの傍を離れたときに、敵の襲撃があったとしたら、どうする?――守ってやれない」
「えぇと……こういう言い方はどうかと思うけれど、あの、私のお父様は、ちょっと常識外れなまでに私のことを溺愛しているの。本来、皇位継承権を持っているお兄様たちに就けるような優秀な護衛を、私の護衛に当たらせているのよ。……流石にお前と比べたら可哀想でしょうけれど、それでも、十分に頼りになる実力を持った護衛だわ」
「…………」
あまり納得のいっていない顔をしている美青年を前に、ミレニアは困り切って、説得の方法を変える。
「……お前は、第六皇女ミレニアの専属護衛よ」
「あぁ」
「お前が不眠不休で働いているなんて――雇い主の私はなんて非人道的なんだと、きっと避難轟々だわ」
「――――――……」
ぴくり、と表情の乏しいロロの眉が、珍しく小さく跳ねた。
(……あら。こういう話の方が、意外と聞いてくれるのね)
予想外の反応に驚きながら、ミレニアは言葉を重ねる。
「報酬も同じよ。きちんとした待遇で働かせていないと思われるなんて、第六皇女の名折れだわ」
「……俺が、要らないと言っている」
「お前がどう言うかは関係ないの。周囲からどう思われるか、という話よ」
「――――何か言われたら、『奴隷なんだから問題ない』と言っておけばいい。それで疑問に思うやつはいない。特別な説明なんかいらない」
「ルロシーク」
当たり前のように自分を蔑む発言を声に乗せた護衛に、窘めるようにミレニアの声が凛と響いた。
「言ったでしょう。お前は、もう、私の物なの。――誰にも、お前を、奴隷扱いなんてさせない。”道具”だなんて、言わせないわ」
「――――……」
「ルロシーク。――名前を与えたでしょう。お前は、奴隷ではない。騎士なのよ。これからお前は、自分でそう名乗るの。誰もがお前を、騎士と呼ぶのよ。66番、なんて呼ばれていた奴隷はもうどこにも――」
「――アンタ以外には呼ばせない」
「いな――――へ……?」
聞き分けのない幼子に言って聞かせるように言葉を重ねていたミレニアは、急に差し込まれた発言に思わず間抜けな声を上げた。ぱちぱち、と翡翠の瞳が見開かれる。
「俺は、騎士なんてガラじゃない。だが、アンタがそうあれと言うなら、それでいい。アンタの盾にも剣にも喜んでなろう。だが――俺に与えられた名前は、アンタだけが知っていればいい」
「ルロシーク……」
「俺に向かって、騎士、だなんて分不相応な名で呼ぶのは、アンタだけでいい。俺は、アンタ以外の誰かの”騎士”になるつもりはない。これから先、何があっても――仮に、アンタが俺に飽きたと言って、他の誰かに売り払ったとしても」
「そ、そんなこと――!」
「俺自身は、誰にどんな扱いをされようが、気にしない。”口を利く道具”だと言われても、何とも思わない。その通りだとすら思う。――――俺を”人間”扱いするのは、アンタだけでいい」
「――――……」
「だが、俺のせいで、アンタの評判が悪くなり、アンタが生き辛くなるというのは困る。……それが、金をもらうことだの休むことだの、というのがいまいち理解出来んが――上流階級の常識だと言うなら、甘んじて受ける。……本当に、必要ないんだが。そんなもの」
思い切り不服そうな顔のまま、憮然と言い放った青年を、ミレニアは驚きと共に見つめた。
「……?なんだ」
「気になっていたのだけど――お前、歳はいくつなの?成人はしている?」
イラグエナムでは、男も女も十五歳で成人と認められる。目の前の青年の年齢が不詳過ぎて、ミレニアは怪訝な顔で問いかけた。
見た目だけで言えば、若々しい青年といった風貌なので、あまりにもかけ離れた年長者だとは到底思えないが、自分のことを当たり前のように蔑み、理不尽を達観と共に受け入れる姿は、子供らしさとは無縁で、年齢が読めない。
「……さてな。歳なぞ、数えたことがないからわからん。物心ついたときには、すでに奴隷小屋にいた」
「そ、そう……困ったわね」
予想外の回答に、ミレニアは視線を外す。単純な見た目だけで判断すれば、十五から二十の間、といったところだろうか。少なくとも、ミレニアと五歳以上の歳の差があると思われる。
今までミレニアは、年長者に囲まれて生きてきた。幼いながら皇族を気取る彼女を侮る者はたくさんいた。愛らしさに絆され、可愛がるものもたくさんいた。皇女と認め、付き従ってくれる者もたくさんいた。
だが――ここまでの、”隷属”といって差し支えないほどの至上の献身を受けたのは、さすがに生まれて初めてだ。
いくら皇族としての振る舞いが染み付いているミレニアと言っても、自分より明らかな年長者からここまでのひたむきな献身を受ければ、戸惑いと共に、どこか浮足立つ気持ちを抑えきれない。
(綺麗な瞳をしているから――なおのこと)
性奴隷だったとしても花形になっただろうという商人の言葉通り、ロロの顔立ちは奴隷紋を無視すれば、驚くほど整っている。その中で、ひときわ美しく輝く紅の双眸は、変わらずミレニアの鼓動を駆け足にさせた。
年上の美しい青年に無条件の献身を受ける、なんとも表現しがたい高揚感を紛らわすように、コホン、とミレニアは一つ咳払いをした。
「わ、わかったわ。……では、私も、普段はお前をロロと呼ぶことにするわ。他の人間の前で、ルロシークと呼んでいたら、きっと周囲もお前をそう呼ぶと思うから」
「あぁ」
「では、ロロ。皇女ミレニアの専属護衛としてふさわしくあるために、お前に最初に命じることがあるわ」
「?」
軽く首をかしげる美青年に向かって、ミレニアは、毅然とした態度で告げる。
「――敬語と最低限の常識を覚えなさい。私の護衛をしながら、徹底的に知識を詰め込んでもらうわよ」
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