第14話 終わりの始まり③
「……ねぇ。お前は、”おまじない”って、信じるかしら?」
「…………何……?」
しばらく何とも言えない表情を見せていた少女は、ぽつりと手にした包帯に視線を落として、全く関係のないことを告げた。
(”おまじない”……?)
唐突に、何の話かと眉を顰めると、ミレニアは小さく嘆息する。
「私は、あまりそういう非科学的なものを、信じていないのだけど」
「…………」
「でも、不思議と、効果があると言われるのよ。昔から――なぜか、私が、快癒を祈ると、傷の治りや病の治りが早いと、言われているの。毎回効くわけではいから、何回かに一回――なのか、私が本気で治ってほしいと思うときだけなのかはわからないけれど」
「何の話を――」
怪訝に問いかけるロロを無視して、ミレニアはそっと手にした包帯へと唇を寄せた。
美しい桜色の可憐な唇が、純白の清廉な布地に触れる。
それはまるで、女神が人に、祝福を与える様に似ていた。
「――きっと、今日は効くわ。どうしても、お前には元気になってもらわないと困るのだから」
「―――――……」
この世のものとは思えぬ神々しさと美しさに絶句した男へと、ミレニアはすっと自然に距離を詰めた。そのまま、女神が祝福を施した包帯を、傷口へと当てる。
「っ、待――」
「私は、人間。――お前も、人間。これは”おまじない”よ。怪我人をいたわる、人として当たり前の気持ち」
「――――」
「だから、ありがたく受け取りなさい。お前は、今日から、私の許可なく勝手に死ぬことも、勝手に離れることも、許されはしないのだから」
恐れ多さに抵抗の意を示した奴隷を静かな声で制止して、ミレニアは包帯を器用に手早く巻いていく。
しん……と、わずかな沈黙が訪れた。
「……はい。これでよし。どうかしら」
「――――……」
ぎゅっと巻かれた包帯は、緩すぎず締め付けすぎず、絶妙な力加減でしっかりと固定されていた。
(――……痛みが……和らいだ……?)
まるで、魔法のように、先ほどまで激痛を走らせていたはずの傷口は、包帯が巻かれた瞬間から鈍痛に代わり、ゆっくりとその痛みを緩和させている。
呆然と、少女の顔を見上げる。ふわり、と息を飲むほどの美少女が、柔らかい笑みを作った。
「改めて、自己紹介をするわ。私の名はミレニア。――この国の、第六皇女」
「――――……」
そして、医療用鞄の縁に入れてあったらしい、一枚の羊皮紙を取り出し、ロロの前へと見やすく掲げた。
「今日から、お前は私の物よ。勝手に傍を離れることは許さないわ」
「――な――――ん――だと――――…」
掲げられた羊皮紙を見て、紅玉の瞳が驚きに見開かれる。
それは、奴隷の売買契約書。
奴隷番号66を、第六皇女ミレニアへと譲り渡すと、踊るような筆跡で、確かに記載されていた。
「ぁ――……ありえ、ない――!」
「信じられないなら、どうぞ、自分で確かめるがいいわ」
ひらり、と羊皮紙を手渡され、目を皿のようにしながらそれを眺める。偽造書類か何かなのではないか、と疑わしくなるのも当然だ。
そこに書かれている金額は――およそ、個人が支払えるような額ではない。
それもそうだろう。人気の剣闘奴隷であるロロを手中に収めたい酔狂な貴族は今まで何人もいたが、金の生る木であるロロを手放したくない商人は、ロロの値段を法外に設定したのだ。それゆえ、未だかつて、ロロは歴代最高と言っても過言ではない剣闘奴隷としての人気を博しながら、誰の手にも渡らなかった。
その金額を――確かに支払った、とその契約書には書いてある。
「ちょっと失礼」
「なっ……!」
小柄な少女は、己の売買契約書を絶句して眺める男の足元に手を伸ばした。驚いて目をやると、カチャカチャと聞きなれた音がする。
「もう、お前は私の物だから。こんなものを着けたまま傍に置く趣味はないの、私」
カシャン……と枷が外れる音がした。
ふわり……と、足が軽くなる。
「お前には、今日から私の専属護衛になってもらうわ。こんな枷と鎖を着けていては、いざというとき、私を守れないでしょう?」
言いながら、今度は書類を握ったままの手首へと取り掛かる。
小さな鍵を器用に動かして――カシャン、と枷が解き放たれた。
ふっ……とすべての拘束から解き放たれ、身体が雲のように軽くなる。
(どうして――)
奴隷を買い上げたあとも、枷を着けたまま傍に置く貴族は多い。剣闘奴隷ではなく、労働奴隷や性奴隷であったとしても、だ。反抗されないためなのか、その方が征服欲が満たされるからかは知らないが、どちらが多数派かと言われれば、鎖と枷を常備している貴族の方が多いだろう。
当然、ロロも同じことを覚悟していた。この手にしている売買契約書が本物だったとして――それでも、自分に自由を与える愚かな主人などいるはずがないと思っていた。
何故なら――ロロは、いつでも、主人の寝首を掻くことが出来る。
魔法で屋敷を火の海にすることも、剣で首をひと薙ぎすることも、いとも簡単に行える。それは、今日の剣闘を見ていればすぐに想像がついたはずだ。
そんな危険な男を――鎖も、枷もつけずに傍に置くと、言うのだろうか。
「――――……」
闘技場で、武器を渡される直前以外で、この枷を外されたことはなかった。
まるで――まるで、普通の、”人間”のような、軽い手足。
――”口を利く道具”と蔑まれ続けた人生で、初めての自由――
「今日から、お前を番号で呼ぶ者はいないわ。名前を呼ぶから、ちゃんと返事をなさい」
「名前――……」
そこで初めて、目の前の少女が、何度も同じ言葉で自分に呼びかけていたことに気が付く。
「ロロ……というのが、それか」
「違うの?皆、お前をそう呼ぶと聞いたのだけれど」
「……知らん。何でもいい。――奴隷に名前など、過ぎたものだ。呼ばれたときに、それが己を示すものであると知れるものなら、番号でも、語呂合わせでも」
闘技場で、観客たちが口々に騒いでいる単語が、自分を指すものだったと初めて知り、ロロは静かに受け入れる。
「――あぁ……そう。そうよね。ロロ、というのも、番号には変わりがないわね」
しかし、ミレニアは気に入らなかったようだ。番号を語呂合わせで呼んだに過ぎないそれを、彼の名前とするのは抵抗があったのだろう。
「でも、もう呼び慣れてしまったわ。せめて、音だけでも、似せた方が呼びやすいかしら。ロロ……ロ……ル……」
口の中で、何事かをぶつぶつと確かめるようにつぶやいていたミレニアは、しばらくしてパッと顔を上げた。
「――ルロシーク」
「――――――…」
桜色の唇から告げられた響きに、ドクン、と心臓が音を立てる。
「ルロシーク。どうかしら。これなら、ロロ、というのが、お前の名前の愛称だと言ってもおかしくないでしょう。語呂合わせだったなんてわからない。――もう誰にも、番号だなんて言わせないわ」
「ルロシーク……」
呆然と、信じられないような想いで、教えられた言葉をつぶやく。
「大陸古語で、<紅蓮の騎士>という意味よ。皇女の護衛として、ふさわしい名でしょう。……きちんと大陸古語を学んでいるような教養の深い者が、このご時世でどれだけいるかは不明だけれど――教養のある、選ばれし者だけが、お前の名前の真の意味を、その高潔さを、理解できるの」
「――――――」
「胸を張りなさい、ルロシーク。お前は、今日から、第六皇女ミレニアの専属護衛なのだから」
紅玉の瞳が、揺れる。
そんな高潔な名前を付けられるような、高尚な存在ではないことは、自分が一番わかっていた。
「どうして――どうして、アンタは……俺なんかを――」
ぎゅっ……とこぶしを握り締め、掠れる声を絞り出すようにして問いかける。
ミレニアは、くすり、と小さく笑った。
「――瞳が」
「――――?」
「瞳が、美しかったから」
「――――!」
ハッ……とロロ――ルロシークの瞳が、驚きに見張られる。
それを、うっとりと眺めるようにして、ミレニアは目を眇めて微笑んだ。
「この、透き通った
ぐっ……とルロシークの顔が歪む。
そっと愛し気にその頬を撫でた後、ミレニアは静かに呼吸を置き、意志を持った声で言い渡す。
「命令よ。お前は、一生、ずっと、私の傍で、私をずっと守りなさい」
「――――――ああ。必ず、生涯、身命を賭して、アンタを何者からも守ると誓おう」
すっ……とひざを折り、頭を垂れる。
貴族社会での正式な礼の仕方など知らない。
だが、それでも――
今すぐ、彼女が気まぐれで首を落としたいと願ったとしても、決して抵抗しないという意思を示すかのように、威風堂々とした少女の前に膝をつき、無防備な首筋を少女の前に晒して、ルロシークと名付けられた元奴隷は、十の少女に永遠の忠誠を誓った。
これが、二人の、終わりの始まり。
運命の邂逅は、複雑な糸を絡ませ合って、破滅へ向かって走り出す。
――ギシギシ、ギシギシと、耳障りな音を立てながら、巨大な歯車が回ろうとしていた――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます