連なるもの ~菅田の事件簿~

小手毬

第1話 非日常の出来事

辺りの様子を伺う。

追っ手がいないのを確認して、菅田直樹は右足を引きずりながら歩き出す。

左手はだらりと垂れ下がったまま。多分、骨まで達しているのだろう。

痛みの感覚すら無くなっている。

いきなり、頭を殴られた。振り向いた直後にもう一度、殴られそうになって左手で庇った。

聞き手は右だが、その右手にはスマホ、左手には飲みかけの缶コーヒーを持っていたので咄嗟に左手が出ていた。

腕に当たったときの音で鉄パイプのようなものだと思う。


何とか止めていた車にたどり着いた。

ドアを開けて乗り込む。

すぐにドアロックをかけると急いで右手で全ての操作を終わらせる。

車は静かに動き出した。周囲に目を光らせているとバックミラーに人影が見えた。

さっき自分を襲った者たちだろう。人影はどんどん小さくなっていく。追いかけてくる様子は見えないが急いでここを離れなければと気が急いた。

駐車場を出るとすぐ目の前が国道なので、車は速度を上げた。

菅田は右手でハンドルを握る。滑らかに、そして無駄のない動きで車は菅田の求める場所へと向かう。

携帯の呼び出し音が鳴っている。先ほど自分がかけたものだ。何回かのコールの後、声が聞こえた。


「直樹か?珍しいな。どうした」


菅田の父、圭介は直樹からの突然の電話に驚いたようだ。


「父さん、今からそっちに行く。怪我をしているから医者を呼んでほしいんだ」

「何かあったのか」

圭介の声色が変わった。


「このことは内緒にしてほしい」

「事故か?」

「車の事故じゃない」


菅田はそれ以上の言葉を出す力がなくなっていた。ただ、ひたすら前を見ているが意識は朦朧としていた。

ハンドルは勝手に動いているが、一応何かあった時に回避しなければいけない。

唇を噛んで痛みで何とか意識を保とうとした。口の中に血の味がしてくるが今、気を失うわけにはいかない。


電話から感じる息子の異変に何かを察したようで、気をつけて帰って来いとだけ言って電話は切れた。


僅かに残っている意識と記憶を総動員して菅田はハンドルを握る。

大きな門の前で一旦、車は止まった。

門の側にあるカメラが菅田の車を認識すると門はゆっくり開き、車は更にゆっくりと動き出し、次の門の手前で停まる。それを数回繰り返し、中に進むといくつかの家が見え始めた。

菅田の両親が住む家はもう少し奥に行ったところだが、ここまで来ればもう安心だ。菅田の意識が限界に近い、遠くに見える自宅が霞んで見える。

車は目的地の前まで来るとゆっくり向きを変え、目の前のガレージへとすべり込んだ。

ガレージの前のシャッターが降りる。


車庫の裏から菅田の父、圭介が入ってきた。ドアを開けて一瞬、父が息を飲むのが見えて直樹は意識を手放した。圭介はすぐに直樹の腕を自分の肩にかけて家の中へと運び込む。


「なんてことだ」


頭から血が流れているのでその怪我はすぐに分かったが、右腕を肩に担いで左腕の異変に気付く。


「一体、何があったんだ」

意識のない息子に問いかけながら家まで運び込む。

玄関には呼んでおいた圭介の親友で同僚の高梨が待っていた。


「直樹君!」

「意識を失っているようだ」


高梨は直樹を見るなり、手にしていた鞄をその場に置いて圭介と一緒に直樹をリビングに運んだ。


「直樹?」

直樹の母 成美は口元を両手で覆い声を出さないようにしていた。


リビングのソファーに寝かされた直樹の体を高梨は簡単な治療と共に確認をしていく。

圭介は成美が用意した息子の服を着替えさせる。


「病院で検査した方がいいだろう」

高梨が言うと圭介は少し困った顔をした。

「直樹がここにいることや怪我をしていることは内緒にしてほしいと言っていた」

直樹は意識を失う直前に圭介に伝えていた。


「内緒に出来なくはないが」

高梨は言う。


ここは研究の一環として作られた街だ。ここの研究目的は農業。自然とITを使い農作物を作っている。

それに関わる人は全てこの街で暮らす。家があり生活をしているのだ。必要な食品や日用品などは別の研究施設で作られた物をインターネットで注文すると翌日には配達される仕組みになっている。その為、ほとんどこの街から出ることなく生活が出来ている。


街には学校や病院もあり、飲食店などもあるが、この街の住人もしくはその家族しか利用できない。というよりこの街には原則、関係者以外は入れないのだ。

外部との接触を避けるには好都合の場所だ。


菅田圭介はエンジニアとしてこの街に関わっている。その為、妻とこの街にある家に二人で住んでいた。一人息子の直樹は職場に近いマンションを借りて一人で暮らしている。


「取り敢えず、このままではいけない。左腕は骨が折れている。多分、頭を庇ったのだろ。頭も殴られた跡がある。精密検査をしないことにはなんとも言えないが……」

高梨は圭介を説得する。

「わかった。ただ、出来るだけ内密にしたい」

「大丈夫だ」

圭介と高梨は意識のない直樹を、高梨が乗ってきた車に乗せ、高梨の勤務する病院へ運んだ。


〇〇〇

ゴワゴワする肌触りのシーツにここはどこだろうと菅田は考えた。

目を開けると見たことのない天井が視界に入ってきた。視線を動かすとどこかの部屋だと分かる。

昨夜、襲われて実家に逃げ込んだところまでは記憶があるが、その後、どうしたのだろうか。


「あっ。目が覚められましたね。少しお待ちください。今、先生を呼んできます」

そう言って部屋を出て行った白衣を見てここが病院だと分かった。

多分、高梨のおじさんが連れてきてくれたに違いない。

菅田はある程度、予想していた展開に取り敢えず、命は助かったのだと安心した。


左腕が固定されているのが見えた。右足も固定されているようで動かすことが出来ない。右手で頭に触れると包帯が巻かれているのがわかる。


部屋のドアが開いて、大柄な男が入ってきた。菅田の記憶にある高梨と少し雰囲気が変わっていたが、見知った男だ。


「ご迷惑をお掛けして……」

菅田が詫びを言おうとしたところ、途中で止められた。

「気分はどうだい?」

優しく聞いてくる。

「大丈夫みたいです」

菅田は頭痛や吐き気はないのでそう答える。

「直樹君がここにいることも、怪我をしていることも外には漏れないから安心していい」

菅田はその言葉を聞いて安堵した。


「職場に連絡をしないと」

菅田は今、何時だろうかと室内を見渡した。

「圭介が連絡をしたと言っていた。風邪だと言ってあるようだ」


「ありがとうございます。ところでいつまで、こうしていなければいけませんか」

菅田は自分を襲った者を調べたかった。


「最低でも一カ月と言いたいが、大人しくしているつもりはないのだろ」

「はい」

「取り敢えず、二週間はいてほしい」

「分かりました」

菅田は折れるしかない。自分で見てもこの体では今すぐに病院を出ても誰かの助けにならなければ日常生活すらままならない。

そのあと、高梨からは簡単に検査結果を伝えられた。

頭は骨にひびが入っていると言われたが、脳には異常がなかったと言われとりあえず安心する。左腕は骨折で三か月ほどはギプス生活だと言われた。


高梨が部屋を出て行ったあと、菅田は窓の外を眺めた。

陽が傾きかけている。


いつもならもう少しで仕事が終わる時間だ。

ここ数ヶ月、菅田の日課にもなっていたのが仕事帰りに海が見える海浜公園で缶コーヒーを飲むことだった。

仕事終わりに職場の自販機で缶コーヒーを買って、海浜公園の駐車場に車を止めて、海辺見える場所でコーヒーを飲みながら仕事のオンとオフを切り替えていた。


一時期、仕事が忙しく、家に帰っても仕事のことを考えていた。

自分でも気づいていたのだが自分自身余裕がなかったのだろう。周囲に苛立ちをぶつけてしまうことが何度かあった。

自己嫌悪だ。

ホテル内にあるカフェの責任者が毎日少しの時間でもいいから何も考えない時間を作れと言ってきた。

何も考えない時間などどうすればいいのか分からなかったときに、地元のケーブルテレビに努める鍋島という男が、波の音を聞きながら海を見ていると無心になれると言ってきた。

何の気なしに始めた仕事終わりのコーヒータイムは菅田に余裕を持たせてくれたのだ。


菅田にとって貴重なコーヒータイムに襲われたのだ。

どうして、菅田を襲ったのか。

誰かに恨まれるようなことはないはずだが……。

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