act.42 深藍

 俺は。

 昔から周囲の目を窺ってきた。

 だから。

 相手が何を求めているのか。

 何と言ってほしいのか。

 わかる。

 何となくだけど。

 特に紋太は。

 付き合いが長かったから。

 よくわかる。

 知り合って十年以上。

 付き合って四年以上。

 だけど。

 求める言葉をかけたのに。

 身を引いてゆくのは。

 よくわかなかった。

 いや。

 俺と同じだ。

 俺も。

 紋太から告白された時。

 身を引こうとした。

 怖かったからだ。

 不安だったからだ。

 甘い言葉が。

 罠のように思えて。

 ぬか喜びするのが怖くて。

 恥ずかしくて。

 辛くて。

 自ら手を放そうとした。

 紋太も同じなら。

 きっと今、不安なのだろう。

 俺が離れてゆくことが。

 これからのことが。

 選択肢が多い分。

 怖いのだろう。

 俺とは違って。


「よ」

 週末。

 紋太は部屋にやってきた。

 畳張りの六畳間。

 高校時代から変わらない。

 俺の部屋。

 布団と箪笥と勉強机と。

 本棚があるだけの。

 質素な部屋。

「やっぱ綺麗だな」

 言い換えるとそうなるらしい。

 物は言いようだ。

「よっこらせっと」

 紋太は布団に座った。

 定位置だった。

 俺は椅子に座った。

 四月半ば。

 もう少しで連休なのに。

 わざわざ連休前に来るなんて。

 と。

 口には出さなかった。

 言えば紋太は悲しむだろうから。

「仕事どう?」

 こちらから話題を振ってみた。

 いつもは紋太から話しかけてくるけど。

 けど。

 そんな雰囲気じゃなかったから。

「んー」

 紋太は視線を天井に彷徨さまよわせて。

「ぼちぼち?」

「何で疑問系?」

「まだまだ勉強中、みたいな?」

 けらけら笑った。

 仕事は大変なんだろう。

 少しやつれたように見えた。

 一人暮らしと仕事。

 同時に始めたから疲れているんだろう。

「ご飯食べてる?」

「食ってる」

「何を?」

「ふりかけとか」

「とか?」

「納豆とか」

「とか?」

「いろいろ」

「いろいろ」

 紋太は家事ができなかった。

 家族に丸投げだった。

 だから。

 食生活は想像できた。

「食べる?」

「ん?」

「ご飯」

 紋太は目を丸くして。

 すぐにはにかんだ。

 嬉しそうな。

 照れくさそうな。

 幸せそうな、顔。

 俺は。

 その顔が好きだった。

「うん」


 家には誰もいなかった。

 親は仕事だった。

 だから。

 居間でご飯を食べて。

 テレビを見て。

 ドラマの再放送を見て。

 何となく。

 時間が余ってしまった。

 外はまだ明るくて。

 俺は。

「紋太」

 せっかくだから、と。

「外行く?」

「外?」

 散歩に誘おうとして。

「あ」

 窓を開けて。

 雨に気付いて。

 振り返って。

 紋太は。

 残念そうに笑っていた。

 俺は。

 同じように笑ってみた。

 だけど。

 下手くそだったのだろう。

 紋太は。

「ドライブする?」

 すかさずフォローして。

 車のキーを指でくるくると回した。

 チャリンチャリンと音が鳴った。


「大学院、どう?」

「普通」

 小雨だった。

 ワイパーが数秒ごとに動いた。

「普通、って?」

「学部とあまり変わらない」

 右隣の紋太は。

 決してこちらに視線をくれなかった。

「研究続けてるだけ」

「楽しい?」

「楽しい」

「教授とかになるの?」

「いや」

 車が止まった。

 赤信号だ。

 車内のBGMは。

 紋太が好きなバンドだった。

 高校の時から好きなバンドだった。

 高校の時に好きだった曲だった。

 きっと。

 あの頃が一番好きなのだろう。

「まだ決めてない」

 俺はルームミラーを見て。

 紋太の顔を見た。

「けど」

 紋太もルームミラーを見た。

 目と目が合った。

「俺には向いてないから」

 俺は目を逸らさないで。

 紋太は目を逸らして。

「研究職のほうがいい」

「そう」

 青信号になった。


「じゃあ」

「じゃあ」

 夕方。

 手を振ると。

 運転席から紋太も手を振った。

「紋太」

 窓が閉まる直前。

「ゴールデンウィーク」

 俺は身を屈めて。

 窓越しに顔を近付けた。

「休み?」

「暦どおり」

「そう」

 紋太は。

 窓を全開にして。

 縁に右腕を乗せた。

「聖人は?」

「俺?」

「うん」

 大学生は休みが多い。

 紋太も知っている。

 だから。

「去年と同じ」

「そ」

 それだけで通じた。

「じゃあどっか行くか」

「どっか?」

「そ、せっかくだし」

「どこに?」

「決めてない」

「そう」

 俺は背筋を伸ばして。

 車内から見上げてくる紋太を見た。

「決めてくれるの?」

 カラスの声が響き渡った。

 若々しくてやかましかった。

「おう」

 紋太は胸を張った。

 今でも。

 俺のほうが身体は大きかった。

 けど。

「任せとけ」

 度量は紋太のほうが大きかった。

 度胸も。

 意志の強さも。

 全て。

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