act.16 閑散
「聖人」
居間で。
夕飯時に。
父親が話しかけてきた。
珍しくはなかった。
別段俺に興味があるわけじゃなかったけど。
父親は何かと俺のことを訊いてきた。
父親らしく。
彫りの深い顔立ちを崩さないまま。
「劇撮った?」
「撮ってない」
「残念」
俺が弓道部のほうに注力することは。
以前から話していた。
だから。
父親は理由を訊かなかった。
昔から。
父親は理由を訊かなかった。
「球技大会あるんだっけ?」
「ある」
「いつ?」
「再来週」
「何やるの?」
「卓球」
「卓球ね」
父親は俺の言葉を繰り返して。
テレビへと視線を向けた。
会話が詰まるといつもそうだった。
俺は。
不用意な発言を避けたかった。
誰も幸せにならない言葉を。
胸の内を。
口にしたくなかった。
「ご馳走さま」
俺は食器を持って立ち上がった。
流しに食器を置いて。
俺は風呂に入った。
あの日。
紋太が浴室に入ってきたことを思い出した。
紋太を直視できなくて。
どうせ裸眼じゃ見えないはずなのに。
目を、逸らして。
背中を、向けて。
頭が、真っ白になって。
理性を保つだけで精一杯で。
あの時。
紋太と向き合っていたら。
俺はもっと楽になれたのかもしれない。
醜態を晒して。
紋太に嫌われることができたのかもしれない。
そんなことを願って。
けど。
やっぱり、そんなことは嫌で。
葛藤する心を湯船に落ち着けた。
球技大会。
校庭も。
体育館も。
大いに賑わっていた。
逆に。
教室は閑散としていた。
居るのは出番が終わった人か。
あるいは。
友達がいない人くらいだった。
俺は。
体育館で卓球の試合に出た。
波瀬とペアを組んだ。
波瀬は。
初心者の俺をフォローしてくれた。
短髪。
浅黒い肌。
精悍な顔付き。
どこか。
父親に似ていた。
語弊はあるけど。
けど。
卓球部とは思えなかった。
「やったぜ」
冗談っぽく。
勝利を喜ぶその様は。
どことなく。
紋太に似ていた。
「聖人」
波瀬は手を高く上げた。
俺はそれに応じて手を上げた。
ハイタッチ。
背丈は俺と同程度だったけど。
俺のほうが少し高かった。
けど。
波瀬のほうが大きく見えた。
ふと。
壁際の応援の中に。
紋太の姿が見えた。
目が合った。
紋太は体育館から出ていった。
俺は。
体育館から出ることができなかった。
午後。
俺と波瀬は準決勝で敗退した。
「ああ」
波瀬は悔しそうに顔をしかめた。
けど。
「卓球部二人とか狡いよな?」
「確かに」
俺が同調するとニッと笑った。
何で。
紋太の顔がちらつくのだろうか。
「どっか見に行く?」
「行かない」
想定内だったのか。
波瀬は「そっか」と笑った。
愛想笑いではないと思った。
目尻の皺が自然だった。
それに。
「お疲れ」
波瀬は俺の肩に手を置いて。
体育館から出ていった。
波瀬は。
俺の性格をよく知っている。
出席番号順で。
波瀬は福井の一個前だった。
だから。
俺も。
波瀬の性格をよく知っている。
波瀬は。
紋太のことが嫌いだった。
やることがなかった。
応援もしたくなかった。
二階の廊下。
誰もいなかった。
誰の声も聞こえなかった。
俺は教室に向かった。
入り口に差し掛かって。
ふと。
声が聞こえた。
人に会いたい気分じゃなかった。
だから踵を返して。
けど。
「牛島くん」
その声には聞き覚えがあって。
俺は足を止めた。
酒井真波。
「ちょっと」
戸惑うような声だった。
俺は恐る恐る教室を覗き込んだ。
窓際に酒井の背中。
そして。
その正面に立つ紋太。
二人の顔は重なっていて。
紋太は目を瞑っていて。
俺は目が離せなかった。
中学三年生の頃。
公園で見かけた光景と同じだった。
あの時は藍原さくらで。
今は酒井真波。
相手は違うけど。
俺の気持ちは同じだった。
紋太の気持ちはどうなんだろう。
昔から変わらないのか。
それとも。
こうして移り変わっていくんだろうか。
俺は。
足音を立てずに。
立ち去った。
下唇を噛み締めた。
痛かった。
球技大会が終わった。
俺のクラスはどの球技でも。
優勝することはできなかった。
最高順位が卓球のダブルスだった。
俺と波瀬は称賛を浴びた。
波瀬はとても嬉しそうだった。
波瀬は。
中心にいるのが好きだった。
誉められるのが好きだった。
だから。
クラスで愛されている紋太が嫌いだった。
本人は。
うまく取り繕っているつもりだろうけど。
けど。
隠し切れていなかった。
隠し通すほどの秘密ではないからだろう。
生きられないほどの秘密ではないからだろう。
俺は。
一人に知られただけでも。
信頼できる相手に知られただけでも。
こんなにも不安なのに。
こんなにも。
怖いのに。
死にたくなっているのに。
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