act.14 豪雨
弓道場。
弓道体験で賑わっていた。
いつもは静謐な空間が活気に溢れて。
まるで知らない場所にいるみたいだった。
「よっ」
一人の女性が手を上げてやって来た。
紋太の姉。
セミロングの茶髪。
それにピアス。
気が強そうな外見だった。
「似合ってんじゃん、袴」
「どうも」
外見どおりの内面だった。
「やらせてくれんの?」
「はい」
俺は紋太の姉を誘導した。
手の空いている女子部員を紹介した。
「聖人がやってくれるんじゃないの?」
「女性は女子が教えます」
「セクハラ対策?」
「はい」
「あたしの心配してくれてるんだ」
「女子の心配をしてるんです」
姉はぐるりと周りを見回した。
男性は男子部員に手とり足とり教わっていた。
部員は至近距離で指導していた。
「へえ、大変だねえ」
全然そんなことを思ってる顔じゃなかった。
「いいじゃん。聖人教えてよ」
いいじゃん。
姉の口癖。
いつしか紋太に移っていた。
「福井くん、よろしく」
女子部員は気を利かせたつもりか。
笑ってその場から離れた。
俺はゆがけと弓と矢を用意した。
姉は物珍しそうに道具を眺めた。
「そう言えば」
姉は携帯電話を取り出した。
何か操作して画面をこちらに向けた。
ロミオの写真だった。
「行かないの?」
「こっちがあるので」
「午後にまたやるって」
もうすぐ昼休憩だった。
俺は必要なことだけ口にした。
ゆがけの着け方とか。
弓の持ち方とか。
矢を射る時の姿勢とか。
いろいろ。
「喧嘩?」
姉は昔から勘が鋭かった。
「いえ」
「フラれた?」
姉は昔から冗談が過ぎていた。
だから。
俺は紋太の姉が苦手だった。
紋太と目元がよく似ているところも。
苦手だった。
「じゃ」
矢を一本射ると姉は弓道場を後にした。
俺は。
弁当箱を持って弓道場を出た。
教室に戻った。
ロミオはジュリエットの前で泣いていた。
どうやら劇の途中のようだった。
午前の二回目。
ロミオはジュリエットに顔を近付けた。
歓声が上がった。
教室の入り口からだとよく見えなかった。
二人が愛を誓ったのか。
唇を重ね合わせたのか。
よくわからなかった。
けど。
けど。
けど。
俺はそれ以上直視することができなかった。
屋上には誰もいなかった。
立入禁止の貼り紙を無視して。
俺はフェンスに背を預けた。
曇天。
少し肌寒かった。
けど。
風が気持ち良かった。
弁当を食べて。
ふと箸を止めて。
俺は空を仰いだ。
今にも降り出しそうな空を見て。
俺は。
泣きそうだった。
右手を見下ろして。
昨晩のことを思い出して。
紋太の寝顔を思い出して。
俺は。
そっと眼鏡を外した。
目元を隠すように覆った。
世界がぼけているのは裸眼のせいなのに。
そうじゃない気がした。
校内放送と共に学校祭が終わった。
制服に着替えて教室に戻った。
「聖人」
紋太に出迎えられた。
Tシャツ姿だった。
「見た?」
「何を?」
「劇」
「少し」
紋太はとても嬉しそうだった。
俺は酷く悲しくなった。
俺たちは上っ面でしか会話していなかった。
「後夜祭」
紋太はシャツを羽織った。
「始まるってさ」
紋太は俺の手を引こうとした。
俺は紋太の手を避けた。
「そう」
踵を返して。
みんなが群がる方へと向かった。
体育館。
クラスごとに出席番号順で並んだ。
照明が落とされた。
壇上で生徒会の面々が茶番を繰り広げていた。
俺は胡座をかいて。
背中を丸めて頬杖をついて。
何もない場所を見つめていた。
何かあった場所。
なくなった理由は明白だった。
「聖人」
紋太が隣に座ってきた。
昨日もそうだった。
俺が壇上に目を向けると。
隙を見て身体を寄せてきた。
周りには肩を組んで笑っている人もいた。
紋太には悪意も打算もないのかもしれない。
けど。
俺は澄ました顔でいることが精一杯なほど。
気が気でなくて。
だから。
正直、この時間が苦痛だった。
学校祭なんて。
祭りなんて。
嫌いだった。
祭りの後は妙に静かだった。
みんな盛り上がっていたけど。
けど。
空騒ぎのように思えて。
どこか虚しかった。
空騒ぎと言えば喜劇なのに。
ペドロじゃなくてペトロだから。
だなんて思って。
ペトロでないけど。
けど。
もしも俺がペドロなら。
やっぱり俺は。
「打ち上げ行こう」
誰かが提案した。
紋太だった。
みんな快諾した。
俺は黙って鞄を肩に掛けた。
「聖人」
言われると思っていた。
俺は笑う紋太の顔を見て。
安心感と不安感に襲われた。
昨日。
紋太は起きていたのに。
そんなことは知っていたのに。
なのに。
紋太の優しさにつけ込んで。
俺は。
卑怯だ。
俺は打ち上げを途中で抜け出した。
夏の大会の時もそうだった。
具合が悪いと言って。
一人だけ抜け出した。
紋太の家に行くために。
だけど今日は。
「待って」
紋太も一緒だった。
クラスメイトは特に気にした様子もなく。
いつものことだと言わんばかりに。
俺たちに手を振った。
「じゃあ」
紋太の家の前で別れを告げて。
俺は自転車のペダルに足を掛けた。
「聖人」
ふと紋太の顔を見た。
自転車を支えながら。
紋太は神妙そうな顔付きをしていた。
「昨日」
言われることは察していた。
だから覚悟を決めていた。
なのに。
「何してたの?」
いざ言われると頭の中が真っ白になった。
考えていた理由が白紙になった。
紋太の目。
嘘を見逃さないとばかりに鋭かった。
いつもの飄々さが全くなかった。
「何が?」
「おれが寝てる時」
紋太は言葉を選んでいるようだった。
「顔、触ったじゃん」
「別に」
「またそれ」
紋太は俺の手首を掴んだ。
少し汗ばんだ手のひら。
少し震えた指先。
昔のような華奢さはなかった。
男の手だった。
俺は自転車のスタンドを立てて。
鞄を肩に掛けたまま。
紋太の前に立った。
ゆっくりと。
そうやって時間を稼いで。
その間に妙案が浮かべばいいとか考えて。
けど。
何も思いつかなかった。
「顔に」
だからその言葉は苦し紛れで。
「何か付いてた」
紋太とまともに目を合わせられなくて。
「ような気がした」
素直に紋太が納得するとは思わなかった。
思えるはずがなかった。
今。
「嘘」
紋太は。
「聖人」
告発しようとしている。
「好きなの?」
告白できない俺のことを。
俺の気持ちを。
暴こうとしている。
「おれのこと」
俺は何も言えなかった。
紋太の顔を一瞥した。
酷く困惑した面持ちだった。
紋太の目に映る俺は。
酷く滑稽で。
酷く惨めで。
見るに堪えなかった。
もう。
堪えられなかった。
「別に」
その言葉で答えを濁すことはできなくて。
その言葉は肯定を意味するものになっていて。
俺は。
もう。
顔も合わせられなくて。
声を聞くことも恐ろしくて。
手首を再度掴もうとする手を振り払って。
紋太の前から逃げ出した。
闇の中。
自転車なんて乗れる気がしなくて。
鞄を肩に掛けて。
走って。
走って。
靴がボロボロになっても。
片方脱げても。
気にならなかった。
道中。
嗚咽が漏れて。
涙が溢れて。
雨まで降ってきて。
びしょ濡れになった。
ぐちゃぐちゃになった。
靴の中も。
心の内も。
これからのことも。
何も考えられなかった。
ただ。
一人。
大切な人を失くした。
友達を。
それ以上を。
俺自身を。
全部。
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