act.10 変化

 新学期。

 課外授業があったから。

 あまり実感がなかった。

 けど。

 変わったことはあった。

「聖人」

 チャイムと同時に紋太は席に着いた。

「おはよう」

 とても嬉しそうだった。

 心底幸せそうだった。

 だから俺は勘繰った。

 紋太に何かあったんだと推測した。

 その理由はすぐにわかった。

 紋太の顔を見たら一目でわかった。

「おはよう」

 だから俺は顔を見ないようにした。

 頬杖をついて窓の外を見た。

 曇天。

 昨日はあんなにも晴れていたのに。

 何でこんなにも曇っているんだろう。

 唇を引き結んだ。

 こんな自分が嫌になった。

 昔から嫌いだった。

 普通に挨拶も交わせない自分が。

 心を背けてしまう自分が。

 気持ち悪かった。

「聖人?」

 紋太は俺の横顔をまじまじと見つめてきた。

 だけど俺は黙殺した。

 俺は黙って。

 紋太の心遣いを殺した。


「聖人」

 昼休みになると紋太はすぐに振り返ってきた。

 だけど俺は復習しているフリをした。

 大根役者。

 ロミオは一目でわかったようだった。

「何で無視?」

 俺は顔を上げた。

 思ったよりも近い距離に顔があった。

 紋太の顔。

 艶のある肌。

 触れることの叶わない、友人。

「してない」

「そう?」

「そう」

 俺は弁当箱を取り出した。

 紋太も弁当箱を取り出した。

「気付かなかった」

「嘘」

 図星だった。

「何でそう思うの?」

 しらを切ればいいのに。

 この日に限って食い下がった。

 紋太はそんな俺の変化には気付かなくて。

 気付かなくていいことに気が付いた。

「だって、気付いたじゃん」

 二言目。

 俺は反応してしまった。

 紋太が怒っているように感じられて。

 嫌われたくなくて。

 嫌いになりたくなくて。

 嫌いになろうとすると。

 酷く心が痛むから。

「怒ってる?」

 どうやら俺は怒っているようだった。

 まるで他人事のようだった。

 自分で自分がわからなかった。

 何がしたいのかわからなかった。

「別に」

「またそれ」

 紋太は弁当箱を開いた。

 俺は暫く開けなかった。

「食べねえの?」

「食べる」

「聖人」

「何?」

「何かあった?」

 別に、と言いかけて。

 咄嗟に呑み込んだ。

「紋太は」

「ん?」

「何かあったの?」

「おれが訊いてんの」

「別に」

 結局言ってしまった。

 俺は俯いた。

 弁当箱を見下ろした。

 美味しそうだとは思わなかった。

 母親には悪いと思った。

 けど。

 気分が悪かった。

「そう」

 紋太は箸を手に取った。

 弁当箱の卵焼きを摘んだ。

 口に入れた。

 咀嚼した。

 俺は一部始終を見ていた。

「おれは」

 卵焼きを呑み込んで。

「いいこと、あった」

 紋太は悪童めいた笑みを浮かべた。

「そう」

 紋太は心を開いてくれた。

 けど。

 俺は心を開けなかった。

 何も知られたくなかった。

 知りたくなかった。

 全部。

 だから。

 弁当箱を開けた。


 放課後になると俺は弓道場へ向かった。

 袴姿になって弓を持った。

 他の部員はまだ来ていなかった。

 この前の大会で三年生が引退して。

 俺は副部長になった。

「聖人」

 紋太が弓道場に入ってきた。

「準備は?」

「終わった」

 紋太は何か物言いたげだった。

 だから俺は付け加えた。

「俺の担当は」

 木材を切断する役割だった。

 それは夏休み中に全て終わらせた。

 あとは色塗りだけだった。

 だから俺はもうお役御免だった。

 紋太は納得した面持ちだった。

 けど。

 紋太は少し不満そうだった。

「練習」

 俺は目を逸らした。

「行かないの?」

「行く」

 言葉とは裏腹に。

 紋太には行く気配がなかった。

 来させる気配はあった。

「聖人は来ねえの?」

「何で?」

「何で、って」

 紋太は頭を掻いた。

 戸惑った様子だった。

 理由を考えていた。

 けど。

「何で来ないの?」

「俺が訊いてる」

「最初に訊いたのはおれでしょ」

 最初の質問を思い出した。

 俺の答えは決まっていた。

 俺は的の前に立った。

「行かない」

「来てよ」

「何で?」

 数秒ほど間が空いた。

「さあ」

「さあ、って」

 背中越しに躊躇が感じられた。

 呼吸の乱れが感じられた。

 不規則な鼓動が感じられた。

 俺自身からも同じものが感じられた。

「見てほしい」

 だから。

「キスするところ?」

「何で?」

 いつもとは違うことを言った。

 この場を壊したかった。

 空気を読めなくさせたかった。

 息を呑む音がした。

 まだ息ができるほど空気が澄んでいるようだった。

「しねえし」

 けど。

 返事は苦しそうだった。

 俺も苦しかった。

 なのに。

「木ノ下だから?」

「関係ねえし」

 余計苦しむことをした。

 苦しませることをした。

 俺は何て答えてもらいたかったんだろう。

 何を感じてもらいたかったんだろう。

 女々しい。

 それが俺の全てだった。

「聖人」

 改めて呼びかけられて。

 俺は咄嗟に弦を引いた。

 集中しているフリをした。

 けど。

「好きなの?」

 激しい動悸に襲われて。

 弦を持つ手が酷く震えて。

 狙いなんて定まらなくて。

 けど。

「木ノ下のこと」

 心は不思議と穏やかで。

 俺は矢を放った。

 的の中心を射抜いた。

 紋太へと振り向いた。

 顔色を窺うような表情だった。

「さあ」

 だから曖昧に濁した。

 勘違いしてくれるならそれで良かった。

 紋太は複雑そうな面持ちをした。

「何それ」

 弓道場から居なくなった。

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