第3話

生きた人形になった彼女は今日も僕をその虚ろな瞳の中に捕らえている。

それを前にしてもぴくりとも動かない僕は泥人形だった。


代わりということでもないけれど、こころみに僕は彼女を立たせてみた。催眠中は僕の命令に従わせることができるという機能を、試してみたいと思ってしまったからだ。

命令口調はなにか怖くて自然とお願いするような言葉になったが、彼女はすんなりと立ち上がった。どうやら意味さえ通じれば命令は通るらしい。


こんどは試しに英語で座るようにいってみると、彼女はすこしだけ遅れて椅子に座った。立ち上がってもらうと、それもすこし遅れが生まれるようだ。

英語が苦手という話を聞いたことはないが、日常で触れる言葉ではないから戸惑うのだろうか。命令は本人の認識にずいぶんと影響されるのかもしれない。

検索エンジンを使ってドイツ語でぎこちなく命令をしてみても、彼女はぴくりと動いただけで座らなかった。


あらためて日本語で座らせてみて、そういえば目的語を必要としないなと気がつく。椅子にといわなくとも彼女は椅子に座るのだ。

椅子に座っている彼女にとって、立ち上がった後に座り直すというのが自然だからだろうか。


ふと思いついて、歌って、と命令してみた。

深い意味はなかった。

もしかしたら彼女の好きな歌でも分かるかもしれないと思った。

僕は彼女のことをほとんど知らない。趣味や好みになると特にだ。

彼女がその会話をするときは、いつもざわめきが大きくて聞き取れない。飛び交う言葉は耳慣れなくて単語を区切ることさえできなかった。

今ならそんな邪魔はない。


けれど彼女の口から紡がれるのは、最近はやりの曲でも一昔前の名曲でもなかった。

子守歌だ。

柔らかな声が、優しいほほえみを浮かべた彼女の口から紡がれる。

彼女にとって歌とはただ声を出すことではないようだ。僕にはない綺麗なところだと思った。

彼女の歌うという行為には、ほんとうはどれだけの感情が込められているのだろう。今の感情のない彼女のそれはただ表情を形作っているだけでしかなくて、どことなく空虚に見える。


それにしても、どうして子守唄なんて歌うのだろう。

僕はすこし考えて、そして理由に思い至ったとたんに彼女から逃げ出した。


聞いたことがあった。僕にも生意気盛りの妹がいるから印象に残っていた。

彼女には小さな妹がいるのだ。

まさか幼子が子守唄とはいうまい。

うたって、と、きっと彼女の妹はそう幼気にねだるのだ。

そして彼女はいま見せたものよりもずっと温かい笑みを浮かべて歌うのだろう。


欲にまみれて薄汚れた命令が、その歌を汚した。

きっと彼女によく似て愛らしいだろう妹との間の絆を僕なんかが目視してしまったのだ、とても耐えられるわけがなかった。


僕は絶叫を上げながら家に帰ると、償いのように妹に優しくした。

名前を書いたとっておきのプリンだってあげた。一緒にゲームもしてあげた。お風呂にも入った。そして久しぶりに一緒のベッドで眠った。

彼女の子守歌は、いつまでも耳から離れなかった。

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