第6話
律月からお花をもらった日から、一緒に帰ることが多くなった。多くなったというより、律月が準備室に訪ねて来る日はもう当たり前のように一緒に帰っている。
律月との会話は無理に続かせようと思わなくていいし、程良く話を振ってくれるので、私は自然体でいられた。
素直に言ってしまえば、割と、楽しい。私の学校生活での楽しみのラインナップに、秘密の場所での一人演奏会だけでなく、この帰り道の時間も追加されたのはもう一ヵ月ほども前のことだ。
下校時刻を知らせる音楽が流れる頃には外はもう真っ暗な、本格的な冬が始まったある日の帰り道。電車を待つホームで白い息を吐きながら、律月が不思議な話をしてきた。
「僕さ、もう半年以上は紗夜さんの演奏聴かせてもらってるじゃん」
「そうね。そろそろお金取ろうかしら」
「あはは。ごめんごめん。またお花渡させてよ」
笑いながら、くれるんだったら、と白いお花をリクエストしてみた。
律月はちょっとだけ嬉しそうな笑顔で了解、と言ってくれた。
「僕、最初に花壇の水やりしながら紗夜さんの演奏聞いた時、すっごく好きなピアニストに出会ったと思ったんだよね」
「なにそれ。急に持ち上げて気持ち悪いよ。まぁ、いい意味で受け取っていいなら、ありがとう」
「紗夜さんって、色が見えてないんだよね。結構前に教えてくれた時、僕と逆だって思ったんだよね」
その時は気まずそうにしない律月にほっとして忘れていたけど、確かにそんな事を言っていたような言っていなかったような気がする。
「へぇ。逆ってどういう意味なの?」
「四月の下旬にさ、僕が最初に聞いた紗夜さんの演奏が、『乙女の祈り』だったんだけど、もうすっごいカラフルな演奏をする人だなって思って勝手にテンション上がっちゃったんだよね」
「うーん。いまいちよくわからないわ」
「だから! 紗夜さんのピアノ、すごい色が見えるの! カラフルなの!」
急に伝えることに対する律月の熱量が急上昇したので、私は驚いて少し首が後ろに下がった。
「もうちょっとわかりやすく説明してもらわないとわからないわよ。私そもそも色なんて見えてないし。音に色があるわけないでしょ」
「あるんだって。あるっていうか感じる? 僕にはそう見えるんだよ」
中学一年生の時に後天性の病気で色がだんだん見えなくなっていった私には、律月が言っている意味が未だ理解しがたくて、でも理解してみたくて、律月の目をしっかり見て相槌を打ちながら彼の話を聞いた。ホームを通過する電車の風が冷たくて、二人して指先をさすった。
「僕ねえ、色がたくさん見えるの。見えるって言っても実際に見えてるわけじゃなくて、感覚的な話ね。さっきのピアノみたいに音とか言葉とか文字とか。例えばひらがなの『あ』は赤色、『い』は黄色、『う』は紫とか、単体じゃなくて行でもサ行は黄緑、な行は紫、は行はピンクとかね。なんだろ、イメージが色になって頭の中で見える感じ……。あ、ちなみに『乙女の祈り』は金色とピンクだなって思ったよ。意味わかんないよね、伝わる?」
律月にしてはだいぶ早口だったけれど、なんとなく意味が分かってきた。
一気に話してしまったことを、律月はへなへなと謝っている。話し終えたら寒さを思い出したのか、ちょっと飲み物買わない?と提案してきた。私も律月につられるように指先が震え始めたので、二人してあったかいミルクティーを買った。両手で包んで、すっかり冷え切った指先を温めながら、私はさっきまでの色の話を再開した。
「さっきの色が見えるって話、分からなくもないけど、私のピアノに対しての金色とピンクは何?」
「曲から想像するイメージが、例えば映画のワンシーンを思いつく人もいるでしょ?僕はその色版っていうのかな。とにかく、紗夜さんの演奏って、全部色づいて見えるんだよね。音とか曲全てに色が見えるわけじゃないんだけど。紗夜さんの演奏って本当に楽しいし、綺麗だし好きなんだよね。いつも僕があの部屋で聴いてることを許してくれて、ありがとうね」
「うん」
三年前からだんだんと記憶からも色というものが抜け落ちてしまっていた私は、少しだけ色が恋しくなった。律月の見ている景色を見てみたくなったからだ。そんな思いがじわじわと心を駆け巡った。
「ちょっとロマンチックだよね。色が見えない紗夜さんが、白と黒の鍵盤を弾いて僕の頭の中を綺麗な色で満たしてくれるんだよ」
「ちょっと、恥ずかしいこと言うのやめなよ。面白いじゃん」
「えーそうかな? 恥ずかしかった?」
「律月そういうところあるよ」
ちょっとだけからかうような口調で言ってみると、律月はお得意の柔らかい笑顔であはは、と誤魔化した。
「でも」
律月は緩んだ頬を直して続けた。
「僕の話、すごく概念的な話だったのに、質問してくれたりとか、目を見てくれてたりとか、いつもより真剣に理解しようと聞いてくれたの、嬉しかった」
律月にありがとう、と言われて初めて、私は自分が相手に興味を持っていて、理解したくて、相手の言葉に嬉しさを感じていることに気がついた。さすがに鈍すぎるな、と自分に少々呆れながらも、こんな感情に動揺して俯くと、ぼこぼこした点字ブロックと目が合った。
ホームに着いて十五分、やっと私たちが乗る電車の音が聞こえてきた。
私はなるべく普通に、隣に立つ律月に聞いてみる。
「どうして今更私の演奏が色づいているなんて話をしてくれたの?」
「うーん。別に。なんとなくかな。まぁ、冬の夜ってそういう自分の話とか、したくなっちゃう気がしない?」
「季節は関係ないわよ」
「そっか~。でも、今の紗夜さんならわかってくれる気がした、っていうのが本音かな」
律月は速度を落としながら走る電車をまっすぐ見ながら、私の質問に答えた。
停車した電車のドアが開いて、暖房の効いた暖かい空気が二人を迎えた。
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