序章

 瑠璃王国が突然滅んでから100年がたった辺鄙な地にある寂れた村の貧しい家に今年16歳になる娘と父親と母親、幼い弟の4人家族がいた。


娘に名はない。この少女に限った事ではなくこのご時世嫁ぐ前の少女には名前がないのだ。名を持てるのは雲の上の存在とされる城主や豪族、彼等に仕える武家の一族だけと言われている。


その話は置いておくとして、これから語るのはこの娘が16歳になった日の出来事である。


外から眩い光を感じ朝日が昇ったのだと思った娘は起き上り、いつもの様に庭に出て掃き掃除をしようとほうきを持ち、すき間風の通る古びて壊れそうな戸を引き開けた。


「……え?」


しかし扉を開けて外を見ても辺りはまだ夜の闇に包まれており、では何が光っているのかとよくよく見てみると家の前には見たこともない1本の立派な矢が宙に浮かんでいて、それを目にした少女は驚いて自分の目を疑う。


「な、何なの? これはいったい……」


「どうした? 何かあったのか」


「眩しいね。もう朝が来たのかい」


「おいらまだ眠いよ……」


独り言を呟いた時父親達も目を覚まし扉の前で立ち尽くす娘に声をかけた。


「お父さん、お母さん。よく分からないのですが、家の前に光る矢が……」


「光る矢だって?」


「光る矢だなんて寝ぼけてるんじゃないのかい」


戸惑う少女の言葉に両親が何を言ってるんだといいたげに答えるも、娘が指さす方へと視線を向けると目を見開き呆気にとられる。


「こ、こ、ここっ……こりゃ~たまげた!」


「この矢は語り部のばあさまが話していた破魔矢じゃないかい。大変だ。すぐに村長に知らせなきゃ」


「おい、まだ夜中だぞ一体何を騒いで……っ!?」


両親が大きな声をあげた事により目を覚ました隣の家に住む青年が、不機嫌そうに頭をかきながら起きてくると光る矢を見て驚く。


「伸介さん。これ一体何だと思いますか?」


「……ありえねえ。そんな、何でお前が……お前の家に? どうして破魔矢の信託が……」


娘の言葉なんか聞こえていない様子で呆気にとられた様子で独り言を呟く青年。


「や、やっぱりこれは伝説の破魔矢なんだね……」


「お、オレは兎に角村長んちに行ってくる。お前らはここから動くなよ」


母親が深刻な顔をして呟くと父親が寝間着姿のまま町長の家へと駆けて行った。


「お姉ちゃん。なんであの矢ピカピカ光ってるの?」


「わ、私にもよく分からないわ。……あなたはまだ寝てなさい。朝になったら起こしてあげるからね」


「うん」


ようやく目が覚めたらしい弟が首をかしげて尋ねてくるが、彼女自身もどのような仕組みで輝いているのか分からないので素直に答えると、幼い彼を巻き込みたくなくてそう言って部屋へと戻す。


それに弟が答えると眠たそうにあくびを1つして部屋の中へと戻っていった。


外が騒がしいことに村人達も不思議に思い起き始め、破魔矢が娘の家に現れた事に驚き動揺する。


このことを江渡の殿様に伝えるために村長は使いの者を出し。翌日国から使者が誠に破魔矢が現れたのかどうかを確かめるために村へと訪れる事となった。


「これは紛れもなく神が放った破魔矢のようだな。という事は娘、お前が次の神子として選ばれたのだ」


「み、神子?」


使者が破魔矢をくまなく調べると小さく頷きそう話す。その言葉に少女は目を白黒させて突き付けられた現実に戸惑う。


「さよう。信託を受けた者は神子となる。神子となった者はこの破魔矢を使い悪しきものを射貫き封印する。さすればこの世界は救われる。皆を救うためお前が次の神子となるのだ」


「ちょっと待てよ。さっきから黙って聞いてれば……なにが信託を受けた神子だ。なにが悪しきものを射貫くだ。そんな危険な事こいつにさせられるかよ」


大きく頷き語る使者の言葉に待ったをかけるように伸介が口を開いた。


「信託を受けた神子が旅をして悪しきものを見つけ、その存在を破魔矢に封じ込めない限りこの世界は再び闇の底に落とされるのだぞ。そうなれば江渡の殿様のおかげで平和に暮らせているこの国が、かつて邪神に滅ぼされそうになったように大変な世の中へと変わるのだ。神子が旅を成功させればいいだけの事。失敗したなんて話は聞いたことがないからな。心配することは何も無かろう」


「そういう意味じゃねえよ。国がどうのとか関係ない。戦う技術も何も知らないただの村娘を危険な旅に出させた挙句悪しき存在を倒せだなんて、そんな身勝手な言い分聞けないって言ってるんだ」


彼の言葉に腹を立てたようだがここは我慢して声を抑えて説明するも、伸介は声を荒げて抗議する。


「お前がどう思おうが関係ない。部外者が口出しする事ではない。これは神が定めたこと。この娘が神子となり世界を救えばこの地に住まう人々は助かるのだ。それに娘が神子になればお前の家族は信託を受けた神子を育て上げた者として国から援助を受けられ暮らしが助かるのだ。家族のことを思うなら神子になることこそが立派な恩返しになると思うがな」


「勝手なこと言いやがって……これだから国に仕えてるやつは好きじゃねえんだ」


部外者は黙ってろと言わんばかりの使者の態度に苛立たし気に相手を睨みやり毒づく。


「ふん。貴様の様な流浪人風情が何を偉そうに。知った事の様に言うが、神子がこの国にとってどれだけ大事な存在なのか知っているのか? 神子が聖女となり神に認められ女神となりこの地を守ればこの日ノ本は今まで通り豊かな土地で神の祝福を受け平和に暮らせるのだぞ。それこそが神子がこの国にとって特別な存在である意味でもあるのだ」


「国のために何もできない娘を危険にさらすことを何とも思わねえお前等や城主様なんか知ったこっちゃねえ。俺は反対だからな」


小ばかにした感じで鼻で笑うとそう説明する相手へと伸介が反対だと言い切る。


「貴様、殿様を愚弄するか!」


「や、止めて下さい。私が神子になれば世界は助かるんですよね? それなら私、神子になります。ですからもういい争いはやめて下さい」


とうとう怒りをあらわにした使者が伸介に殴りかからん勢いで叫ぶ様子に、今までハラハラして見守っていた娘がついにこらえきれなくなり止めに入るように言い放つ。


「お前何言ってるのか分かってるのか? 神子の旅がどれだけ危険な物なのか考えてみろよ。破魔矢が現れるのと同時にこの国中には悪しき存在の影響を受けた荒魂が出現し、さらには悪鬼や魔物まで現れるんだぞ。そんな危険な世界を旅するなんて、正気とは思えない」


「でも、他の誰もがやれない事なんですよね。信託を受けた私しかできない使命なのならば、私はこの国にいる皆を守る為に旅をします」


信じられないといった様子で彼女を見て尋ねる彼へと娘ははっきりとした口調で答える。


「なら俺も行く。お前1人を行かせられるかよ。戦える奴がいねえと危ないだろう」


「伸介さん……」


彼女の言葉に伸介がそう宣言すると娘は嬉しくてそっと微笑む。


「では神子様。このことを至急殿様へと報告いたします。明日には神子様を護衛する者とお世話をする者がこちらに派遣されますので、後はその者達に説明を聞いてくださいませ」


「は、はい」


神子になることを選んだとたん敬うように腰を低くして話す使者の態度に躊躇いながら返事をする。


「それと神子様には城主様より神薙の着物と下駄が送られますのでそちらを身に着けて旅に出て下さいませ。それを身にまとえば貴女が神子様だと皆に周知されますので」


「はい」


使者の言葉に返事をするとこれでやり取りは終了となり使いの者は江渡へと戻っていった。


こうして娘は神子となりこの村から旅立つこととなった。

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