8 澪標エゴイスト
8 澪標エゴイスト(1)
東の高台から街を見おろす。
魔帝都アルトロ。ここはかつて帝国軍が最後に攻めいった場所だ。
百年前にも周辺の高台に立った記憶がある。わたしにとってはつい先日のことだが、その記憶が曖昧に感じられるほど、いま目の前に広がる景色は別世界だった。大小さまざまな建物がひしめきあう、港湾都市ヴェントの数倍規模の大きな街だ。
長靴にも似た半島の、その爪先部分にあたる岬には陽光を浴びて輝くような、ひときわ大きな白い建物があった。
「あれが政庁だよ」
メテオラが指差し教えてくれる。
つまりあの場所の地下には、わたしがかつて死んだ宮城があるということだ。斬られた首に触れる風がふと冷たく感じられた。
馬からおりて、鞍を外す。あとはコルダ殿がうまくやってくれるはずだとメテオラが言うので、背を撫でここまで乗せてきてくれたことに礼をして別れを告げた。
峠道をくだるにつれ、ぽつりぽつりと点在していた人家の間隔は狭くなり、やがて道は隅々まで整備された石畳みとなり、いつしかどこも数階建ての建物ばかりになった。
通りの両脇には商店が建ち並び、花も、服飾も、雑貨も、料理も、どれもが整然とうつくしく陳列されていた。
ヴェントの商店にも多種多様な商品が売られていたが、卸売りが多いこともあってどこも雑然としていた。わたしはその雑多な街の風景が、どこか牧歌的で好きだったのだとここへ来て思い至った。
行き交う人も馬車も多く、うっかりすると街に酔い、飲み込まれてしまいそうになる。
ふと、冷たい肌が手に触れる。隣を見上げると、メテオラが紋様を歪め困ったようにわたしを見ていた。
「ぼんやりしてると、はぐれるよ」
「だからってなにも手を繋ぐことはないだろう。子どもじゃないんだから」
「うん、そうだね」
そう言いながらメテオラはさらに指をからめてくる。
「言ってることとやってることがばらばらなんだが」
抗議の目を向けたところで、メテオラはわたしのほうを見てはいなかった。
いつからだろう、ひとり考えに耽ったり、気鬱げな目をして遠くを眺めていたり、そんな姿を見かけるようになったのは。
出会ったころから、なにが本音かわからないところはあったし、なにか思惑があるのだろうとは思っていたが、最近のメテオラはそういったある種の余裕を失っているようだ。
決定的だったのは、宰相テオリアが兄だったと話したあのときからだが……。
契約を、やめようだなんて。いまさらメテオラの願いを無下になんてできるはずもない。できることならいまからでも叶えたいと思うのに。
宰相がわたしを殺した男だからと話していたが、ほんとうにそれだけだろうか。
メテオラは曲がりくねって入り組んだ道を迷うことなく進む。そういえばここはメテオラが生まれ育った街でもあるのだった。
「実家へ寄らなくてもいいのか」
「いまはいい」
断る声はいやにつれない。そのことに自分でも気づいたのか、メテオラはごまかすように微笑んだ。
「突然ルーチェを連れて帰ったら驚かせるでしょ? だから――」
「おまえの家のことだ。わたしが口を出すことではなかったな」
やや事務的にそう告げると、メテオラは口もとだけで小さくわらった。その手はわたしの体温だけでは物足りないのか、いつまでも冷たい。
暗がりでもないのに繋がれた手を見つめながら、メテオラにとっての暗闇はどこにあるのかと、本人に訊ねても答えが返ってきそうにない問いを胸のうちにこぼす。
わたしにはこの男の器用さがかえって自身の首を絞めているように思えてならない。どんな暗がりも器用にまっすぐ進めてしまうから、まわりまわって不器用になる。人懐っこいように見えて、自分の領域には誰も受け入れようとせず、なにもかもをうちに抱えて、誰かに頼ることを知らないまま……。
『たとえどんなことになっても、絶対におれを信じてて』
だから、あの懇願はよほどのことなのだ。できれば信じるだけではなく、メテオラがそうしてくれたようにもっともっと力になりたいと思うのに、そうはさせてくれないのがひどくもどかしい。
「ずるいな、おまえは」
「ん? なに?」
「なんでもない。もたもたしてると日が暮れてしまう。急ぐぞ」
わたしはメテオラを引っ張るようにして足をはやめた。
政庁には市民向けの窓口もあるためか、出入りの制限はいっさいなかった。入ってすぐのフロアは広く吹き抜けになっていて、市民の手続きや相談に制服姿の係員がそれぞれ対応していた。吹き抜け部分には書類やインクがふわふわと浮いている。混雑時はこちらという看板のそばには、インクに注意と目立つ色で書かれていた。飛べる市民もいるのだから空中を使うのは空間の有効利用だが、……たしかに上からインクが降ってくるのは勘弁してほしい。
壁際に案内板がある。そちらへ向かおうとすると、数人の男に行く手を阻まれた。係員の制服とは異なる制服を着て、服の上からでもわかるほどしっかりと鍛えられた体をしていた。
「宰相殿がお待ちです」
尾行されていたというより、出入りする人物を確認していたのだろう。事前にテオリアから人相を伝えられていたと考えれば驚きはない。むしろ手間が省けて助かる。
「こちらへ」
ふたりが案内役として進み出る。ふたりに前後を挟まれて、わたしたちは政庁の奥へと連れられた。
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