2 甘辛ハイブリッド(5)

 幻の、御馳走……? ハイブリッドが?


 人間よりも、東方の鬼よりも、エレジオにとってはハイブリッドのメテオラがもっとも高級品ということなのか?!


 そんなこと、あいつは一言も。


 相手は五人。丸腰で、どうやって切り抜けるつもりなのか。翼を出すだけの猶予があるだろうか。だから言ったのだ。はなから準備をしておけと。


 メテオラはこうなることがわかっていたはずだ。いや、むしろ囮として適役だと思ったのかもしれない。危険を承知で引き受けてくれたのだから、なにかしら勝算があるのだろう。

 ……あるのだろうが、それならそうと話してほしかった。聞いたところでわたしにできることはなかったかもしれないが、それでも知っておきたかったと思うのはわがままだろうか。


 たまらず、くそっと言葉が洩れる。


 わたしを崖っぷちで救ったときもそうだったが、あの男はどうしてこうもすぐに自分を放り出してしまえるのだろう。


 自分の無知と無力がひどく歯痒い。


 ゆるやかな傾斜を滑るようにして降りる。そこからさらに走ろうとすると、背中にいたシロカネがわたしの襟を引っ張った。


「待って、ルーチェさん」

「どうした、気分でも悪いのか」

「そうじゃないけど。いいから止まってください」


 請われるまま、わたしはその場に立ち止まった。おりると言うので、シロカネを背からおろす。


「ルーチェさんとさっきのハイブリッドはスティヴァーリ隊なんですか?」


 わたしはシロカネが話しやすいよう、目の高さをあわせるために片膝をついた。


「スティ? ヴァ? なんだそれは」

「え……スティヴァーリ隊を知らないとかあるの……?」

「あっ、いや、実はすこし前にひどい怪我をしてしまって、それからどうも色々と……」


 事情を説明しきる自信がなかったので言葉を濁したが、それがかえって現実味をもたせたのかシロカネは目を潤ませて深く頭をさげた。


「ごめんなさい、大変な事情も知らずに……!」

「そんな、やめてくれ」


 嘘はついていないのだが、すべてを説明したわけでもないので罪悪感が募る。


「で、そのスティヴァーリ隊というのはどういったものなんだ」

「エレジオ狩りのために組織された特殊部隊です。ぼくみたいな希少悪魔にとっては英雄みたいな存在」


 そういえばメテオラが話していた。この森はたびたびエレジオ狩りの取り締まりで名前があがる聖地だと。その取り締まり、エレジオ狩りを行なっているのがスティヴァーリ隊ということか。


 シロカネはわたしたちがスティヴァーリ隊ではないということに落胆していたようだが、そんな場合ではないのですと雑念を払うように頭をぶんぶんと振り、わたしの手を両手で握った。


「ルーチェさん、さっきのハイブリッドのところへ戻るべきです」

「そう、なのだろうな。だがきみを一人置いてはいけない」

「ぼくなら大丈夫です。うまく隠れてるから」

「しかしな……」


「ハイブリッドは特効薬が合わないことが多くて、彼のように成人するのは難しいと言われていたんですよ。数年前にようやく新薬が開発されて、やっとハイブリッドにも光がさしたって国中お祝いムードで大騒ぎだったくらい」

「幻の御馳走というのは、そういうことだったのか」


 メテオラの口振りや態度から、ハイブリッドという存在はもっと一般的なものかと思っていた。わたしは妙に傷ついた心地になって黙り込んだ。


 子どもが生まれてくるときの親の喜びや不安を、わたしはフィオーレが生まれるときにすぐ近くで見ていた。のちにわたしが軍で主席になったときにも父と母は心から喜んでくれたし、フィオーレが聖女に選ばれたことに対しても毅然として知らせを受けていた。だがそんなこととは比較にならないほど、その腕に小さないのちを抱き、無事に出会えたことを喜びあったときの家族としての繋がりはかけがえのないものだった。わたしの大切な父と母がこんなにも愛するフィオーレを、わたしもなにより愛おしいと、慈しみたいと思った。彼女の存在がわたしを家族の一員にしてくれたように思った。


 メテオラのご両親は彼がああやって生意気になるまでどれほど心配だったことだろう。それを想像すると、胸に詰まるものがあった。


「戻りますよね」


 わたしの顔つきを見て、シロカネが確信めいた笑みを浮かべる。


「すまない、シロカネ」

「行くならこれを持ってってください」


 そう言うとシロカネはみずからの喉へ手を突っ込み、なかから鞘に収まった細身の刀剣を取り出した。


「ぼくの魂よりも大切な刀です。預かり物だけど、助けてくれたお礼にお貸しします」


 受け取ると、すらりとした見た目に反して重い。鞘から刀を引き抜けば、吹雪のような鳴動が腕に伝わる。


 刀は東方の国に伝わる剣の名だ。以前、博物館でレプリカを見たことがある。だがいま目の前に差し出されているものは、それとは比べものにならないほど美しかった。


 刀身は深く、けれど淡く、静寂を帯びている。まるで生き物のごとく呼吸をしているようにも思えて、わたしは心底おそれた。そこにはなにか、人や悪魔とは異なる、神の気配が感じられたのだった。


 大丈夫です、とシロカネはわたしの手に手を重ねる。


「あなたは強くまっすぐな人です。その刀を使っていたぼくのお師匠さまとおなじくらい。だから絶対呑まれたりしない」

「シロカネ……」

「貸すだけですよ。かならず返してくださいね」


 シロカネの手は冷たく、かすかに震えている。この暗い森でふたたび独りきりになるのはおそろしいに違いない。それでも大切な刀まで託して行かせてくれるのだ。


 わたしはシロカネの勇気に応えなければならない。


「わかった。かならず戻ってくる。待っていてくれ」

 そう約束して、わたしは踵を返した。

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