第22話

 家に帰り着くころには、もう外は真っ暗になっていた。冬至まではまだ1ヶ月もある。まだ日が短くなると思うと、頭を押さえつけられているようで苦しくなってくる。


 温室で先輩と別れてから、寄り道して買った求人誌を鞄から取り出した。

 ひとりきりの部屋でだれも見咎める人はいないのに、なぜかきょろきょろと辺りを気にしてしまう。


 バイトをして、お金を作る。

 そして、処分されてしまう前に温室を買い取る。


 それが、わたしの考えた最善策だ。


 小さいとは言え、ガラス張りの温室は教員が――素人が素手で解体できるものではない。きっと業者に頼むはずだ。


 処分するにしても、重機で粉々に、なんてこともないだろう。

 ガラスの破片が飛び散ったら危険だし、地面に散らばったらフローリングをほうきで掃くみたいに簡単には取り除ききれない。


 骨組みから綺麗にガラスを外して、骨組みを引き抜く。そういう手順を踏むだろう。

 それが処分場へ運ばれてしまう前に引き止める。そして、お金を払うからわたしの家に運んでほしい、と頼み込む。


 うまくいくかは分からない。というか、こんな作戦が大人相手に通用するだろうか。

 だけど、このくらいしか思いつかなかった。


 うちの庭は猫の額ほどの広さだ。温室を再建できるほどの場所などない。


 だけど、いつか。


 広い庭つきの家を手に入れて、温室を組み上げて、先輩との思い出のつまった場所を取り戻したい。


 そのためなら、たとえ成功するか分からない作戦にでも縋りつく。


 校則でバイトは禁止されている。だけど、休み時間に耳をそばだてていると、こっそりバイトをしている人は何人かいるみたいだ。

 ファミレスのキッチン。ホームセンターの倉庫。教師に遭遇することのないよう、人目につかない場所を選ぶのがコツらしい。


 求人誌には、コンビニのレジ、スーパーの品出し、カフェのホールなど、表に出る仕事が多く掲載されている。


 ガスの検針、宅配便の配送センターの仕分けなど、人と接する機会が少なそうな業種もあるが、高校生は不可となっている。


 スーパーの調理場、ビルの清掃などよさそうだと思う求人は、勤務時間が早朝や深夜など。さすがに学校生活に支障が出そうだ。


 条件が多すぎるのは分かっている。

 ため息をつきつつ、パラパラっと適当にページを流し見していると。


《クリスマスケーキを作りませんか?

 難しい作業はナシ!》


 ケーキ工場の短期アルバイトの募集みたいだ。相当人手を必要としているのか、時給が他に比べてかなり高い。

 所在地は、自転車なら15分ほどで行けそうなところだ。


 クリスマス前からの勤務も可能なようだ。

 むしろ、繁忙期前に作業に慣れるために大歓迎、といった様子だ。


 土日はフルタイム、平日も授業が少ない曜日なら3、4時間は働ける。


 時間はあまりない。


 いくらあればわたしの作戦が成功するのか分からないけれど、できる限り稼ぎたい。


 求人誌といっしょに買った履歴書を、丁寧に1枚取り出す。持っている中でいちばん書き心地のいいボールペンを選び、名前から書きはじめる。


 雪野しずく。


 温室を守ることができたら。

 先輩といっしょに花をたくさん植えよう。

 先輩が大好きなお花。

 その片隅に、わたしと同じ名前のスノードロップも植えたい。


   ❊


 幸運なことにバイトは採用された。

 希望者が多かったのか、最低限の受け答えができるかの確認だけなのか、面接は流れ作業のような呆気なさだった。


 志望動機を訊かれて、事前に考えていた聞こえのいい理由を口にしたときは少し後ろめたく感じた。


 だって、本当はお金を稼がなきゃいけないだけだから。


 バイトは早速来週の頭から始まる。

 次の問題は、毎日温室に行けなくなることを先輩にどう説明するかだ。


「先輩……何て言うかな」


 温室へ向かう校舎裏、誰もいないのを確認する前に声が漏れてしまい、慌てて辺りを見回す。


 運動部のかけ声、吹奏楽部の練習のたどたどしい音色、合唱部の発声練習。

 たくさんの生徒の気配はするが、小さな呟きが届くような範囲に人はいなかった。


 ほっと安心したのも一瞬のことだった。

 不安と罪悪感がまた浮かび上がってくる。


 先輩に何の相談もせずにバイトすることを決めてしまった。


 文化祭のときに会えない日がつづいただけで、泣きそうになりながら電話してきた先輩。

 毎日会えなくなると知ったら、先輩はどんな感情を抱くのだろう。


 寂しいってしゅんとさせてしまうだろうか。

 理由を求めて問いつめてくるかもしれない。

 それとも、何事もなかったかのように「そう」と言うだけだろうか……。


 モヤモヤと考えているうちに温室の目の前まで来てしまった。

 11月末になり、温室の緑の濃さは減ってきているが、紅葉も終わって落ち葉だらけの校庭と比べると、季節がひとつ前に留まっているかのように見えた。


 白っぽく枯れた雑草を踏みしめながら、温室のドアへと足を運ぶ。

 いつもは半開きになっているドアは、しっかりと閉まっていた。


 ひんやりとしたドアノブを回してドアを引く。

 温室の中に先輩の姿はなかった。


 わたしの方が早いなんてめずらしい。

 温室の中央の花壇、先輩がいつも座っている辺りの隣に腰かける。背後に植わった木が小さな木陰を作り、スカートに水玉の日差しが降り注ぐ。


 秋が終わり、本格的な冬に入る前の合間のような時期になり、咲く花はかなり減っていた。

 それでも秋から冬にかけての花が、温室のあちこちで静かに咲いていた。


 淡いピンクや紅色、白からピンクのグラデーションなど、可愛らしい花びらのコスモス。

 原色の蝶のように派手な色柄のパンジー。

 モールを束ねて作ったみたいな赤やオレンジのケイトウは、先輩が食べたら口の中がちくちくしそうだ。


 温室を見渡して気づいた。

 これまでより土の表面が目立って見える。


 春夏の植物が葉を落としたせいだけではない。

 はじめからそこには何もなかったように、ぽっかりと株ごと取り去られた隙間があるのだ。


 まるで、温室がなくなる準備をしているかのように。

 もしかして――。


「あ、ユキノ」


 先輩が温室に足を踏み入れるなり、嬉しそうにそう呼んだ。

 わたしはこみ上げかけた涙を慌てて引っ込めて顔を上げた。


「先輩、今日は遅いですね」


 先輩は迷わずわたしの隣に腰を下ろした。

 見える景色がいつもと同じになって安心したのも束の間。


「うん……進路の件で呼び出されて」


 先輩の口から初めて進路という言葉を聞き、つい姿勢を正してしまう。


 先輩にも未来や過去がある。

 この温室で、わたしの隣にいる今の先輩だけじゃない。


 当たり前のことに気づかされて、なぜか胸の奥にじんわりと痛みを感じる。


「進路……そういえば先輩って卒業したらどうするんですか?」

「進学はしない……ってことしか決めてない」


 一応進学校と謳っているこの学校で進学しないというのはめずらしい。

 大学、専門学校を問わず、進学率は95パーセント以上のはずだ。


「先生には3年のこの時期にそれしか決まってないのは教師人生でお前だけだって言われてる」

「たしかに……そろそろ進学先が決まる人もいるくらいの時期ですもんね」

「あたしは花さえあれば生きていける。だからどんな生き方ができるのか考えてみたいの。普通の人のありふれた人生が、あたしにも最適であるとは限らないから」


 真面目な話は終わり、と言うように先輩は立ち上がって花を摘みはじめた。


 先輩は先輩なりに人生設計を考えているみたいだ。

 最善だとされるレールを外れる覚悟を語った先輩の横顔は、今までよりも大人っぽく見えた。


 わたしは自分が打ち明けるべき話を思い出し、先輩のななめ後ろに立った。


「あの……先輩に言わなきゃいけないことがあって……」


 先輩はめずらしく改まった態度を取るわたしに気づき、意外そうに振り返った。

 花を摘む手を休め、黙って向きあってくれる。


「実はわたし……来月からちょっと……塾に通うことになって……火曜と木曜は、ここに来られなくなるんです」


 用意しておいた言い訳なのに、何度もつまづいてしまった。


 先輩の眼差しがあまりにもまっすぐで、嘘をついていることがバレるのではないかと不安になる。


 目をそらして先輩が摘んだ花束を見ていると、怯えるわたしに優しい声が、暖かなブランケットのようにそっとかけられた。


「ユキノは進学するの?」


 嘘なのに。

 先輩はわたしを疑うことなどせず、真剣な顔で見上げていた。また目を合わせられなくなって、すぐにうつむいてしまう。


「まあ……一応今のところは」

「そっか、そうだよね。それが普通だよね」


 先輩が「普通」と言うとき、わたしは少し悲しくなる。しかも、今はわたしが言わせてしまった。


 二重の罪悪感に打ちひしがれ、全部嘘だと打ち明けたくなる。


 先輩の手が震え、握りしめた花の花弁も少しだけ揺れている。

 わたしがその手を握る資格なんてない。


 だけど、この嘘も罪悪感もすべては温室を守るため。

 先輩との思い出を守るためなのだから。


 先輩の手の震えが止まる。やっとのことで目を合わせると、先輩はやるせなさそうな笑みを浮かべた。

 長い髪がガラス越しの陽を浴びて色を移ろわせる。


「寂しいけど……ユキノの将来がかかってることにまでワガママは言えないや。塾、頑張ってね」


 その反応になぜかショックを受けた。


 寂しいから行かないで。


 そんなふうに言ってほしかったのかもしれない。

 嘘をついたわたしに、傷つく権利などないのに。

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