荒野の聖女5

「なんてこと……」


「もうあんたが帰れる場所なんてないわよ。今頃どうしてこんな時に聖女がいないんだって、みんなが怒っているでしょうね。そろそろ将軍が倒れて、そしてファーグロウの兵士たちも大半が発病する。今夜レクトール様が死ぬ頃には兵士たちも大変なことになってるから。私とあんたは免疫があるから死なないだろうけれど、今まで免疫が無かった人達には猛威をふるう。もうファーグロウ軍は戦争どころではなくなってしまうのよ。だからそこをオリグロウがいっせいに攻撃するの。私が各地で密かに集めていた、ウイルスに耐性のついた人たちが中心になって攻めこむから、こちらはインフルエンザがあっても全滅はしない。そして免疫がない兵士たちもうつってから発病するまでには時間があるから、それまでには将のいない病気の集団なんて簡単に制圧出来る」


 にんまり。


 って、ん? 集めていた?


 ではもしや、私がこの前治した人々のいたあの病人ばかりの村は、ヒメによる耐性のある人を集めるための場だった……?

 あそこで生き残った人たちは、どこへともなく消えたと言っていた。

 同じような村が他にもあるという噂も聞いた。


 それはつまり、実はヒメが病気の蔓延で瀕死になったファーグロウ軍の、息の根を止めるための兵力として集めていたということ!?


 驚く私を見てヒメは勝ち誇ったように、


「私は戦争を勝利に導いた功績で、これからも楽しくやるわよ。ロワールを操るのは簡単だし、本来のシナリオの王道ルートだと思えば、まあ許容範囲だしね。じゃあ、さよなら。永遠に」


 そう言った後、高笑いをしながら去っていったのだった。


 馬車の走り去る音がして、そしてその後は何の音もしなくなった。


 しーん。

 私があまりのことにその場で呆然と立ち尽くしていたら。


「……うーむ、なかなかの毒婦じゃのう~」


 そう言いながら、突然神父様がひょっこり顔を出したから、飛び上がるほど驚いたよね。


「神父様! 逃げられたんですか?」


 思わず聞く。今までどこにいたんだこの人は。捕らわれていたんじゃないのか?

 いつもながら神出鬼没だな。


「ワシも置いて行かれたんじゃよ。もうここら辺には撤収命令が出て他には誰もおらん。もう本当にだーれもおらんよ。疫病がここまで来たから全滅するぞとあの女が思いっきり脅しておったからの。となると、さすがに逃げ足はみんな早いのう。そしてワシもうっかり熱が出ちゃって怖がられて、あっさり見捨てて置いていかれたわ。もうさっきから頭が割れるように痛いし寒気もひどくて……うーん、熱なんぞ何年ぶりか……」


 って、あっ!

 神父様、なんでそんな呑気に話しながらグラついているんですか!?


 神父様は目がうつろになりながら、上体がぐらんぐらんと揺れ始めていた。

 思わずスキルを通して視たら、なんと真っ黒ではないか……!


 私は慌てて神父様の体にまとわりついていた黒い煙を祓った。

 ぺっぺっぺ。

 消えろ! 即座に! 消えろ!


 さすがに慣れたから、そうとわかれば一人分なんて簡単に消せるようになったよ。

 治しながら文句が言えるくらいには余裕だよ。


「もう! 言ってくださいよ! そういうことは、先に! 大丈夫ですか?」


「……おお~治った! ああすっきり! 景色もグラグラしなくなったわ。いやあさすがじゃのう~~ありがとうのう~~ワシ、危うく死ぬところだったわ~~」


 そしてけろりと元気になった神父様だった。

 ああよかった、いつもの神父様だ。


「なるほど、ここにも病気が来ていたのですね。逃げた人たちがまだそんなに遠くないようだったら、届く限りの人たちだけでも治します。ちょっと待ってくださいね」


 そして私は出来るだけ広い範囲にスキルの手を広げたのだった。その手に乗って辺りを見回す。

 殺伐とした何も無い大地を逃げていく馬や馬車に乗った人たちの、何人もの人に黒い煙が点々と視えたので、その人たちだけでも消しておいた。ぺっぺっぺい。


 でも、視えたのはそこまでだった。


「レクトール将軍が心配じゃな」

 深刻な顔になって神父様が言った。


「今夜……死ぬって……ヒメが……」


 彼を救うと決めたのに。救うために何でもやったつもりだったのに。


 まさか、今日なのか。


 結局、シナリオには勝てなかったということ……?


「ロロ、レクトールの様子は?」


 私はロロに問いかけた。


「にゃあーん」

『熱があるみたいー。でも軍隊にも被害が出ているようだから休めないって、起き上がって仕事してるー』


「いやだめ! 休めって言って! そのままだと死ぬからって!」


「にゃー」

『わかったー! ねえねえ、主が休めって……うにゃーん怖い目で睨まれたー……』


 いやレクトール、休んでよ……。

 部下たちを思う気持ちもわかるけれど、休んでくれよ……。

 そのままだと本当に確実に死ぬぞ。

 なにしろそれがシナリオらしいのだから。


 ああ、でもヒメが言うには発熱してしまったら、もう助けられないって……。


 しかもこの状況では彼は、きっと部下達を必死に、少しでも救おうとするだろうことを私は知っていた。


 その上ロロを睨んで聞く耳持たずということは、もしかしたらもう既に彼は、密かに覚悟を決めてしまったのかもしれない。

 なにしろ彼は、本来のシナリオを知っている。


 それならなおさら彼は最後の力が尽きるその瞬間まで、必死に自分のできる限りの手を尽くすだろう。そして本来のシナリオの通りにファーグロウが負けるのを、できる限り阻止しようとするのだろう。彼はそういう人だ。


 どうする?

 どうする……。


 今、彼が私の目の前にいたら救えるかもしれないのに。

 だけれど今の私は、彼から遠く離れた空の下だ。


 ……。


 …………。


 ……………………。




 じゃあ、私が行けばいいんじゃない?



 レクトールを、死なせはしない。

 だって私の、一番大切な人だから。


 その彼が運命のままに死んでいくのを、私はここで指をくわえて眺めてなんていられない。


 出来るだけのことを、するのだ。


 そう、思いつく限りの全てのことを!


 今は、昼すぎか。

 ご丁寧に、そろそろおなかが空く時間、そんな時間にヒメはここから人を引き上げた。明らかに飢えさせるつもりだな。

 そしてレクトールの命が尽きるのは、今晩。


 ……間に合うか?


 だけれど今、私に思いつく策は他には無かった。


 なら、やってみればいいよね?

 ぶっつけ本番だけど、しょうが無いよね!


 やれそうなことは、なんでもチャレンジしなきゃね!!


 そして私は魔力をいきなり全開にして叫んだのだった。


「ロロ! おいで!! 一番早く、私のもとへ!」


「にゃあーーーん!」

『はいにゃーー!』


 ロロと繋がっている私の感覚が、遠い遠いはるか先で、ロロの魔力が突然膨れ上がったのを感じた。

 そしてその膨張した大きな火球のような魔力が、凄い速さで移動を始めたのも感じたのだった。


「ロロ……? ロロって、あっちに置いてきた、あのロロ?」

 私の大きな声にびっくりして神父様が言う。


「そうです。どうやってかは知らないんですが、あちらを出る前の日に『自分に乗れば早いのに』とロロ自身が言っていたのを思い出したんです。それが本当なら、ちょっと乗せてもらおうかと思って。ヒメが言うにはレクトールが亡くなるのが今夜だそうです。今から馬車を探していては間に合わない」


 だって他にある? 今すぐ帰る方法。


「ええ……召喚しちゃったの? あの魔獣を……? うわあ君、意外に大胆じゃのう……」


 って、妙に驚かれているけれど、でもなにしろ時間がないからね?


 もうこうなったら自分の評判とか見た目の残念さとか、言ってられないよね?


「虐待聖女」だろうが「猫乗り聖女」だろうが、どんな悪名もどんとこいだ。そんなあだ名ひとつで彼が救えるというのなら、大歓迎なんだよ。なんなら「魔女」と呼ばれてもいい。とにかく目的を果たすのだ。


 そうこうしているうちにもやたらと巨大な魔力が、猛烈な速さで真っ直ぐにこちらに向かってくるのを私は刻々と感じていた。


 とにかく速い。

 なんだあれ。まさか飛んでいるのかな?


「ロロが来たら、私はどうにかロロに乗って急いでレクトールのところに向かいます。神父様はすみませんが、ご自分で何とかしてください。もちろん帰ったら出来るだけ早く迎えは寄越しますけど」


 ちょっと環境は悪いけれど、ぜひ「加護」の恩恵をフルに発揮していただきたい。


「ええー? お留守番? せっかくここからが面白くなりそうなのに……」


「いや一応、緊急事態ですからね? 面白いってなんですか」


「しょうがないのう……じゃあ自分でどうにかしようかの」


 神父様とそんなことをのんびり話しながら待っていたら、しばらくして後ろでロロが到着した気配がしたので私は早速振り返った。


「ロロ! 早かっ……え?」


 ん? ロロ、よね……?


 え…………?



「にゃあおう!」

『来たにゃー!』

 そう、野太い雄叫びとともに目の前にいたのは…………。


 なにこれ、大きいな!?


 ライオン? より大きいか?

 馬か? いやでも黒いし、全体的には猫科ではあるのがわかるから、なんだこれ!?

 巨大な……黒豹……をがっしりとさせて、ワイルドな感じを限界までてんこ盛りにしたような……。


 爛々とした金色の目だけが、かろうじてあの子猫のロロの面影を残しているが、そこにいたのは子猫のロロとは全く別の何かだった。


 私が戸惑いを隠せないで唖然としていたら、神父様が妙にうきうきとロロらしき獣に近づいて嬉しそうに言った。


「おお~初めて間近で見たのう、本物のキャスパリーグの姿……」


「え? は? きゃす……? なに?」


「キャスパリーグ、伝説の暴れ猫じゃよ……しかもこれは随分と大きいのう……」


 神父様がキラキラした目でロロ? を撫で回していた。


「にゃお゛お゛ぉん!」

『まかせてー!』


 って、いや、褒めてないから。胸張らなくていいから。んん? 褒めているのか?

 ちょっと混乱しているぞ。


「これなら二人乗れそうじゃの」

「え!? 神父様も乗るんですか?」


「乗るじゃろ。馬なみに大きいではないか。ワシも早く帰れてうれしいな~。こんな寒いところに一人ぼっちとか嫌じゃろ」


「ええ……でも急ぎますよ? 大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃよ~体は丈夫に出来とる。それにワシがいたら安全じゃよ? 誰がどんなに攻撃してきても、何も攻撃が当たらんようにワシがまるごと加護で守ってあげるよ? ふぉっふぉっふぉ」


 って、なるほど神父様の「加護」という防御壁か。


「にゃお゛お゛ん!」

『一人も二人もいっしょよー! だいじょぶー!』


「おおロロありがとうの。じゃあ失礼して……よっほいっ」


 そして私が唖然としているうちに、神父様が軽やかに巨大化したロロにまたがったのだった。

 そうだったよ、この人、身体能力凄いんだったよ……。


「アニスも早く~急ぐんじゃろ?」


「あ、はい……」


 おかしいな、ロロを喚んだのは私なのに、気がついたら主導権を神父様に取られているぞ。

 でも人生経験という意味では神父様の方が桁違いなので、その判断に異議を唱える気持ちも無いのだけれど。


 私が神父様の後ろにおそるおそるまたがると、神父さまは前傾姿勢になってロロにしがみつく体勢になったのだった。


 なるほど、しっかり捕まらないとね。じゃあ私は神父様に……。


 では。


「ロロ、急いでレクトールのところへ!」


 そしてロロが、ものすごい速さで駆け出した。


 間に合え! 間に合え……! ああどうか間に合いますように!

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