砦1

 思わず据わった私の目は隠しようがなかった。


「……レックで十分でしょ。気軽でわかりやすくて最高。かりそめの夫婦に親密感なんていらない」

「でもせっかくだし、少しはあってもいいんじゃないかな」

「え? いいじゃないですか。将軍様と呼んでいるわけではないんだし」

「なんじゃアニス、そんな味気ない。おお、では、名前を呼ぶのはどうじゃ。言ってみようか、ホレ。『レクトール』」

「はあ? なんで神父様が嬉しそうなんですか。しょうがないですね、はい、レクトール? あの、レックとあまり変わりませんが」

「……でも気に入ったようじゃぞ? なんだか嬉しそうじゃ」

「ええ、そんなに自分の名前が好きだったとは知らなかったです」

「いやそうじゃないじゃろ……」

「……もういいですよオースティン殿、そういうことにしておいてください。私はこっちの呼び名がいいから。撤回される前に撤収します」


 はあ、まあいいですけどね。

 私も意地悪じゃあないんだから、呼ばれたいように呼んであげましょう。せめて形だけでも夫婦でいる間くらいは。

 偽装とはいえ、一応書類上は本物の夫婦になってしまったのだしね。


 ただし、偽装。あくまで仮。

 だからいいかげんその流し目とキラキラをこっちに向けるんじゃない。ヤメロ。

 そうやって私を誘惑しない!


「なんだか空気が少々おかしくないですかね。ちょっと綺麗にしましょうか、ねえ神父様?」

「んん? 空気? ワシには別に、いつものレックの『魅了』くらいしか見えんがの?」

 神父様が私とレクトールの顔を交互に見ながら言う。


「そのキラキラがちょっと多過ぎやしませんかね。ここには三人しかいないのに、一体ナニを『魅了』しようというのでしょう?」


 普段から少々漏れることはあったけれど、最近は特にちょくちょく漏れているような気がするのよね。しかもこっちに向かってくるのよね。


「そりゃあ決まっとるじゃろう……ワシ、そろそろレックが不憫になってきたよ?」

「うーん……状態異常解除」


 私は軽く手を振って、そのキラキラを祓ってみた。

 すると馬車の中に漂っていたキラキラした光はあっさりと姿を消したのだった。


 おお、前の世界のゲームの知識が便利だね。

 私はふと、あのゲームの中で「先読みの聖女」が攻略キャラの一人にかかった魔術を解いていたのを思い出して、真似をしてみたのだ。結構できるものなのね。あ、呪文は適当です。


「アニス……君、容赦ないの……」

 神父様がちょっと気の毒そうにレクトールを見てはいるが。


 

 だって……ねえ。


 絶対に二人には言えないことだけれど。


 こうもぐいぐい来られてしまうとね?

 少しでも気を緩めると、うっかりほだされてしまいそうになる自分がいるのよ。


 なにしろ彼を好きになるのは簡単だ。


 最初からこの顔は好みだし。だからそれだけでもグラつきそうになるというのに中身もいい奴とか、もう何もしなければ惹かれてしまうの待ったなしじゃないか。



 こんなに釣り合わないのに。


 将軍というだけでも身分差を感じて引け目を感じていたというのにこの人は、王族なんていう、もう想像の範囲外の人だった。

 あなた、惚れた腫れたで好きに結婚できる立場じゃないでしょう。こんな後ろ盾どころか身よりもない、身元を保証する人さえもいないような人間と、添い遂げられる立場じゃないでしょうが。

 一体何を考えているのだか。


 今、私の大切なものは、全てこの馬車の中に収まってしまうくらいに少ないというのに。

 うっかり親密になってから、その大切なものを失うリスクなんてとりたくないのよ。


 私が彼の今の期待に応えるのは簡単だけれど。


 もしも私が彼に溺れてしまった後で、いつか飽きられて捨てられたとしたら、私はきっと絶望してしまうだろう。そしてきっと彼に深入りしたことを、私は心から悔やむのだ。


 そんな思いをするくらいなら、今のままの方が平和というもの。


 彼にはちょっと冷たいくらいの態度で十分だ。

 けっして彼をこれ以上近づけてはならない。


 心を守って、深入りするな。適切な距離を保て。

 私たちは楽しい仲間。もしくは同志。


 夫婦というのは偽りで、私の真実の姿は彼の救護員以外のなにものでもない。

 それがきっと彼と私の長続きする一番心地よい関係であり真実の姿。仕事が終わればかつての仲間として、ずっと私たちの友情は続くだろう。


 現状維持がきっと一番。彼がずっと私に友人として微笑みかける、それでいいじゃないか。


 大丈夫、まだ好きじゃない。

 ……大丈夫。

 ……まだ、大丈夫……。




 ――そんなこんなの見えない攻防を繰り広げ、主に私が疲れ果てた頃にやっと到着したレクトール将軍の拠点というのは、なんと城だった。


 なんだか堅牢さだけを考えて作られた要塞のような城。石。どこもかしこも石。強そう。

 でも城なので大きくて、たくさんの人がそこで働いていて、そして城主や軍の首脳陣が快適に生活出来るようになっていた。


 そしてこの夫(仮)、馬車から降りる瞬間からいきなり王族オーラを出し始めたから驚いた。


 なんなのそのキラキラ撒き散らしているやつ!


 いつもの「魅了」といえばそうなんだけれど、でも何かが違う。

 これ、多分意識して出しているのではない。

 その『魅了』に方向性というか、意思を感じない。いかにも普通にしていたら漏れてしまいますという感じなのだ。

 それにしてはダダ漏れですが。なんだこの量。



 そういえば今までは極秘任務中とか言っていたな。まさかそのキラキラを抑えていたということ?

 たしかにその状態で敵の王宮の中まで偵察いや鑑定には行けないとは思うけれど、いや本当に? まさかこっちが本来の姿!?


 そう驚きで混乱する私にはお構いなく、この夫(仮)はそのまま惜しげもなく『魅了』スキルをダダ漏れさせながら優雅に馬車を降りていったのだった。

 やだ王族怖い。


 今この人を、本当に王族なんだと実感してしまったよ。

 これは芝居ではない。圧倒的な本物感。


「お帰りなさいませ! レクトール将軍!」

 城の人たちがずらっと並んで迎えている。

「今帰った。みんなに紹介するよ。私の妻になった、『聖女』アニスだ」

 キラキラキラ~。


 そうしてそのキラキラのイケメンに手を取られて馬車から降りる地味顔の私……って、いいの? ねえこれいいの!? 私にはそのキラキラは出せないのよ……?


「奥様、お帰りなさいませ!」

 しかしみんなしっかり教育された人たちだった。私の地味な見た目などには気付かない様子で、一斉にお帰りコールをして頭を垂れてくれたのだった。


「よろしく……お願いします」

 私はちょっと馬車の外の風景があまりにも想像を超えていたので、それだけ言ってなんとか頭を下げるのが精一杯だった。


 しかしこんなキラキラオーラにまみれたイケメンの隣に立つのは、さすがにちょっと気後れしてしまう。


 いやすみません、こんなに地味で。私がギャラリーだったらちょっとがっかりしてしまいそう。

 ああほら……女性陣のちょっと戸惑いが隠せない感じが……ごめんねーみんなー。半年だけ我慢して?

 みんなの将軍様を無事に救ったら、とっとと市井に消えるから……。


 ほんの半年、この茶番に付き合ってくださいねー……。

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