鴎渚白は海の見える、小さな港の町に住んでいました。


 渚白はうたうことが大好きでした。渚を一人で歩いているときも、お風呂に入っているときも、部活での合唱のときも。

 渚白は合唱の時間が何よりも幸せでした。勿論うたうことができるし、何より好きな男の子のピアノを聴くことができるから。

 渚白の好きな男の子は、背の高くほっそりとした色白の先輩でした。先輩はよくドビュッシーを弾いていました。来月、渚白と同学年の女の子とコンクールでデュオをするそうです。渚白は羨ましかったのですが、先輩たちが良い結果を出せるように応援していました。

 渚白はよく先輩の練習を盗み聴きしていました。先輩たちはドビュッシーの交響詩である「海」を弾いていました。どこか不思議な海原で、先輩たちの音色が軽やかに踊るのです。渚白もその水面で踊っていたいと思いました。しかし渚白はピアノが弾けませんでした。だから渚白は聴いていることしかできませんでした。

 そんなある日、渚白にも舞台に立てる日が来ました。音楽の先生に発表会に誘われたのです。曲はウェーバー作曲の「火の島の歌」を歌うことになりました。ゆったりとしたこの曲は、「海」と同じように渚白のお気に入りとなりました。


 音楽の先生は「望月ちはる」という名前でした。ちはる先生は新任の先生で、音楽大学を卒業したので音楽家の友達がたくさんいました。だから渚白に、せっかく発表するから先生についたほうがいいだろうと声楽の先生を紹介してくれました。

 声楽の先生は隣町に住む、「吉川千絵」先生でした。千絵先生はちはる先生の高校からの友達で、同じ音大を卒業したそうです。千絵先生は優しい声をしていて、歌うと海のように大きく深い声になるので渚白はいつも千絵先生の歌声に惚れ惚れしていました。

 千絵先生はいつも渚白を真っ直ぐに教えてくれました。

 ちはる先生は華やかで荘厳な音楽の世界へいざなってくれました。

 渚白は音楽に包まれて、本当に幸せな夏の日々を過ごしていました。


 しかしある日、渚白は知ってしまいました。

 先輩と同学年の女の子が付き合っていることを。

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