第2話 Omenapiirakkaa [スオミのアップルパイ]
「しんじらんない! ほんっと信じらんない!」
「ねぇ、たいちょうはね」
「今あのハゲの話しないで」
「……うん」
(隊長は、たぶん僕と二人で待っているのが嫌だっただけなんじゃないかなぁ……)
雪白ちゃん、とか可愛いとか言われたところで、スロは男である。
自分よりも歳の近い男の兵士と二人で家に居られるのは、しかも更に不在が長くなりそうな買い物に行けとは。
(隊長、全然伝わってないよ、その気持ち)
(あと、隊長はハゲじゃない。スキンヘッドなのに)
言いたいものの、これを口にしていいのかも分からないスロは、ひとまず大きな紙袋から林檎がこぼれ落ちないように気を配りながら、オディールの少し後をついていく。
「ねぇ、どこいくの」
「どっかそのへんっ!」
……決断力と行動力と、現実がイマイチ噛み合っていない。
まぁそんな彼女だからこそ、こんな格好のまま国境を越えてやってこれたわけなのだろうが。
——女の子は案外強くて怖い。
スロはそう思う。
今だって目の前の彼女は怒り心頭ながらも、その分厚い歩きにくそうな靴でカッポカッポとよろけもせずに歩いている。
「そうだ! お姐様の所にいきましょう? 雪白ちゃんも一緒に」
「だめ、今日はもうじかん遅い、門しまる」
「ええっ、だって嫌よあたし。のこのこあの小屋に戻るなんて」
……そもそも小屋は無事なのだろうか。
今度ユカライネンに防弾装備も相談した方がいいかもしれない、そう思いながらスロは歩く。
第一、暗い時間に門の外に出てしまうのは流石に危ない。
しかも彼女は元々連邦の人間だ、未だに軍の中にはオディールを良く思っていない者やスパイだと疑っている者もいる。
グスタフや、第4の皆が周りにいるからこその安全なのだ。
(もしパピだったら——)
(この子の気が収まるまでちゃんとその身を守ってあげるはず)
「ぼく、かんがえた。こっち」
スロは一人うんうんと頷くと、ひとまず顔見知りの女性隊員がいる場所へと歩き出した。
本当は林檎を一緒に食べたかった友の顔を思い浮かべつつ、両手に抱えたこのいっぱいの林檎はどうしようかなぁ……などと思いながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あらー、それで飛び出してきちゃったの?」
「そうなの! 本当にあいつ意味わかんない。女心わかってなさすぎじゃなぁい?」
「……いやむしろ、そんなのがゴロゴロいるのが軍よ。でも大変だったわね」
「寒かったでしょう?」とホットミルクを差し出され、オディールはゆっくりとそれを口にした。
周りにいる整備兵や技師官の面々が、ド派手な見た目に興味津々なようで若干視線が痛い。
転がり込んだのは同じ陸軍の女性技師官であるノーラ・ヴァロのいる研究室だ。
二人が会うのは数回目だが面識もあるし、ここは格納庫や隊舎からも近く、何より彼女はハキハキしていて面倒見もいい。とりあえず一晩任せようとスロは思いついたらしい。
男女も国籍も分け隔てなく接するノーラは友達も多く頼りにされていて、大抵女性隊員が入隊してきた時の隊舎の案内係を任されている。
今回も担当上官にすぐ連絡して、今夜泊まる部屋も空けておいてくれたそうだ。
その手際の良さと、てきぱきした身のこなしに、やはりこの人も軍の一員なんだなと少し気持ちが後ろ暗くなる。
「どうしたの?」と心配そうに声をかけられると、ぽろぽろと弱気になった言葉が口をついて出てしまう。
「だって、あたし軍人じゃないし、この国の人じゃないし。イェンスくらいしか話し相手もいないのに。せっかく帰ってきたんだからお茶でもしようって、でもあいつ、林檎そのままかじるし、紅茶はよくわからんって言うし……」
「アップルパイ、作るの手間かかるのにね。大尉にも食べてほしかったんでしょう?」
「ち、ちがうもん。あたしが食べたかったの。でも言うこと聞いてくれないし、なんか、コッチにきてもなかなか外にも出られないのは変わらないし……」
(んんーっ、これは普段見てるのと別の意味でまどろっこしいわね!)
ノーラの眉間に少しシワが寄る。
ふと、その視線が斜め下に向いた。
「スロ、何してんの?」
「おすそわけ、ノーラにもりんご、あげる」
気づけばテーブルの空いたスペースに、スロが林檎を一列に並べ始めていた。
どうせこの子は飛行部隊にいる友人と一緒に林檎を食べようとでも思っていたに違いない、無表情ながらそのお腹の音がグーグー鳴っているのに気づく。
はぁーとノーラはため息をついた。
「いいわ、スロそれちょうだい」
◆◇◆◇◆◇◆◇
一口にアップルパイと言っても、世界各国には山ほどのレシピが存在する。
北欧でも、国によって少しアレンジが違ってくるし、各家庭で伝え聞いた味も違うはず。
彼女が果たしてグスタフに作ろうとしていたのはどんなアップルパイだったか。まぁ、たまにはこんな不思議なお茶会もいいんじゃない? とノーラは隊舎の共用キッチンに立っていた。
可愛い! 抱っこさせて! とスロは入り口で捕まってしまった。
まあ女性隊員達に好きなようにさせたなら、あとはキッチンに入るくらい許可してもらえるだろう、そう思ってとりあえず「のーらぁあ!」と震えた声のスロはそのまま置いてきた。
舞い散る雪で姿を消せるのがスロの異能だ。もしかしたら雪に隠れてもう出てこないかもしれない。
「スオミのアップルパイはね、
深めの四角い耐熱皿を用意し、「バターを塗っておいてくれる?」とノーラはにっこり笑う。
生地用のバターと砂糖、卵を泡立て器で滑らかになるまで混ぜ、別で合わせておいたベーキングパウダーとアーモンドパウダー、そしてカルダモンを入れる。
「カルダモン……?」
「そっ、スオミのアップルパイにはシナモンじゃなくてカルダモンを使うの、焼き上がり楽しみにしてて」
綺麗なお洋服に小麦粉ついたらもったいないでしょ? そう言ってノーラは何か手伝おうかとウロウロしていたオディールを座らせる。
小麦粉を混ぜて、耐熱皿に流し込み。生地を整えたらカットした林檎を耐熱皿に触れないように埋め込んでいく。少し林檎が表面から見えるように並べるのがコツだ。そこにグラニュー糖と少しのシナモン、カルダモンを振りかけて……。
「はい! あとはオーブンで30分、焼き上がりまで待ちましょっ」
「えっ、これでいいの?」
「そう、パイ生地被せるのやタルトもあるんだけど、これがスオミの家庭的なアップルパイ。さぁて、焼き上がるまでガールズトークといこうじゃない!」
“なんでもないひ! ばんざい!
てつのあめも きょうきのラヂオもふってこない!
なんでもないひ! ハレルヤ!
きみも! ぼくも! しなないひ!
たんじょうびも きねんびも
いっしょにいられる ほしょうはない
だから
なんでもないひを! まいにちを!
おいわいしよう!
ほら ぼくと きみと いきてるひ!
さぁ とうみつのいどに とびこもう!”
色々話をした。好きなお洋服やお化粧品の事。
連邦にいた頃の生活や、こっちにきてからの事。
やっぱり滅茶苦茶に強いらしい、グスタフの事。
話しながら聞きながら、ノーラはずっと明るく笑い飛ばしてくれていた。今や同年代の女友達なんていないオディールには、とても貴重な時間となった事だろう。
焼き上がったアップルパイは、どちらかといえばパンケーキのような、大きなマフィンのようなものだった。
「ごめんね、流石にバニラクリームはなくって」
「いいの。あたしこそ、突然ごめんなさい」
切り分けた温かいアップルパイ、三つ取り分けて綺麗にお皿にのせる。
「ほらっ! 気にしない気にしない! 冷めないうちに食べよっ」
「うんっ」
スローっ、出ておいで! 焼き上がったわよ! そう呼べば雪がちらほらと舞い、少し疲弊した様子のスロが、むうと頰を膨らませて現れる。
「お疲れーっ、ほらほらちょっと大きめに切っといたからさ! コーヒーでいい?」
「ミルクいれて。多め」
「わかったわかった!」
アーモンドパウダーでさっくり、だけどちょっとジューシーに重たくなった生地が不思議な食感だ。林檎の甘さと、土台になった生地からほんのり香るカルダモン。なんだかぺろっと食べられちゃう。
「……おいしい」
何より、今のムカムカした気分に、この温かなスイーツはじんわり沁みた。
「またいつでもお茶会しましょ! アタシ基本的に日中は研究室にいるからさ」
「……いいの?」
「当たり前じゃない! 同じ師団の陸軍部関係者でしょ」
「……もし、あたしが陸軍の関係者じゃなくなっても?」
不安そうに見るその瞳。長い睫毛は白い頰に影を落とす。
もう……とノーラは困ったように笑う。
(友達だから、って言ってもいいんだけど。ここはね……)
「そんな事ないわよ! ちょっとニブチンで暑苦しいけど、大尉は貴女の事大好きだから……うーん、ちょっとアレだけどね」
逆に、アンタが飽きちゃうってことは? そう意地悪そうな顔で笑いながら詰め寄られ、オディールは真っ赤になった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁーい! 大尉、お疲れ様でぇっす」
研究室に焦りながらやってきたグスタフの目の前で、ノーラはひらひらと手を振っている。
「ノーラ、すまない。そのウチのが……オディールが昨夜来なかったか?」
「えーっ? それアタシ言う必要ありますー?」
「昨日、帰ってこなくて……」
「でしょうねーっ。あ、今もう基地にはいないですよ」
「えっ?」
「さぁどこにいるんでしょうねーっ」
馬鹿力で鉄壁な、我が陸軍の名物大尉。
その顔がこうも崩れるものかと内心笑いが止まらない。
たかがアップルパイ、されどアップルパイ。
どうせ元鞘に収まる事は目に見えている。
ならばもう少しだけ、楽しい経過観察といこうではないか。
「あっ、ちなみに大尉。コレ知ってます?」
「は? 何を……」
「普段こんぺい糖しか食べないとある女の子が、昨日貴方と一緒に食べたかったものです」
「……無事ならいい」
ひったくるようにそのメモ用紙を受け取っていく。
今日も彼は出撃のはずだ。
「なぁ、あのおっさん、今茹で蛸みたいになってたけど」
たった今すれ違った人物を振り返り、電動車椅子に乗った金髪の少年がそう不思議そうに言う。
ノーラは楽しそうに笑った。
「ふふふっ、恋っていいわねーっ」
「あァ? 何言ってんだお前、脳みそお花畑かよ」
「あ、そうだ。アンタにもあるのよ、スオミのアップルパイ食べる?」
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