第17話 君主の密命
御前会議で譲位を示唆してから、もうじき2年になる。しかし、未だ第一皇子と第二皇子のどちらがその後を継ぐかについては公表していない。
皇子達が目ぼしい成果を残せないまま月日が流れ、国内は貴族達の派閥化が進み、第一皇子派と第二皇子派が睨み合っている状態だ。
帝都の一等地にそびえ立つ、広大な敷地を有する屋敷——皇族の住まいであり、国の中枢機能を担う皇宮も、激しさを増す後継争いの影響を受けて様々な思惑が渦巻く不穏な場所へと変化していた。
いや、あの事件以降、ここも気の休まる場所では無くなった……。
御所の一角にある広い私室の帳台に着座し、和の国の君主は御簾の向こう側で跪く軍服を纏った男の報告に耳を傾ける。
「……では、皇嗣の死因にその夾竹桃とやらが関係していると?」
人払いを済ませた薄暗い部屋の中で蝋燭の火が妖しく揺れる。呟くように確認すると、男の顔がゆっくりと上がり視線が交わった。簾越しでも分かる程整った面構えをした青年は、凛々しい表情を保ったまま怯むことなく首肯する。
「皇嗣殿下の死については、これまで様々な可能性を視野に入れて調査を進めて参りましたが、病死、他殺共に確信を持った結論が得られませんでした。
しかし、この度押収された夾竹桃を使えば、あの夜皇嗣殿下の命を奪うことは可能だったかと……」
淡々と続けられる青年の報告に、皇帝の表情が険しさを増していく。
あれは寒さが堪える夜だった。侍女の悲鳴を聞いて駆けつけると、御所の一室で皇嗣である弟が冷たくなって倒れていた。
もがき苦しんだ形跡は見られたが目立った外傷はなく、彼が口にした物から毒物が発見されることも無かった。
最終的に侍医によって病死であると結論づけられたものの、その診断にずっと釈然としない感情を抱いている。年若く、健康そのものだった弟が急な病で命を落とすなど……それも譲位が可能になった途端に……??
皇嗣は大変優秀な男だった。美しく聡明で臣下からの人望も厚い。歳が二十ばかり違う所為で今は自分が皇帝をやっているが、どちらが君主に相応しいかと問われれば、間違いなく殆どの者が弟だと答えるだろう。
元々貴族達との腹の探り合いが性に合わなかった。さっさと引退して上皇という地位で緩い余生を過ごそうと考えていたというのに……。親子ほど歳の離れた弟が漸く成人し、即位条件を満たしたと思っていた矢先、その訃報はまさに青天の霹靂だった。
どうしても陰謀が絡んでいるのではないかという疑念が拭えず、同じく侍医の診断に疑問を抱いていたこの男に、秘密裏に調査を続けるよう命じたのだ。
皇嗣の乳母兄弟であり、学友でもあった親衛隊士の青年は、いつの間にやら出世して隊長となり、こうして自分の側近を務めている。
事件からもうじき5年……ようやく進展があったか……。
この国では存在が知られていない未知の毒。本当に煙だけで死を招く植物が存在するのなら、気温が低く、暖をとる為に至るところで火が焚かれていたあの日、犯行に及ぶことは容易かっただろう。
「皇嗣殿下の死と関係があるかどうかは調査中ですが、今回の夾竹桃については第一皇子派の貴族が入手に関わっているようです」
青年の薄い榛色の瞳が炎のように強い光を放つ。皇帝はその輝きから顔を背け、小さく息を吐いた。
側妃の子であるが故に後ろ盾の弱い第一皇子はとうとう相手を害することを選んでしまったか。成果を得る為に騒動を自作自演をしている可能性もある……。いや、第二皇子派が第一皇子に罪を着せる為の目論見である可能性も否定出来ないか……。現時点では証拠が少なく動きようがないが、いずれにせよ愚かな策であることに変わりない。
「余が皇帝の器であることを示せと申したのは、そう意味では無かったのだがな……」
皇帝は頭を抱え、疲れ切った表情で眉間を揉んだ。自分の息子に後を継がせるなど、皇嗣の事件が無ければ考えもしなかった。せめて王妃と側近の子を産む順番が違っていればここまで拗れなかったのだろうか……。こればかりは考えても仕方の無いことだ。
「夾竹桃の入手に関わった者ならば、皇嗣の事件についても何か情報を持っている可能性が高い。毒物を広めようとした犯人の思惑も気に掛かる。一刻も早く関係者に事情を確認せよ」
「……殿下自らが皇子殿下の失脚に関わることになる可能性が高いですが、宜しいのですか?」
全く、仮にも君主を相手にしているというのに……。
表情を崩すことなく飄々と言ってのける青年を皇帝は苦々しい表情で見据える。自ら焚き付けておきながら、二年近くもの間この不毛な争いを静観していることを不満に思っているのだろうか?
だが、
……こういうところが君主の器ではないのだろうな。
弟であればそれでも犠牲を出さないよう最善の方法を模索するのだろうと考え、皇帝は苦い笑みを浮かべる。自分のような大義名分があれば多少の犠牲は厭わないという考え方を良しとしない者は多い。
それにしても……皇帝相手でも臆さないこの態度。流石と言えばいいのか……?
皇嗣が即位した暁には、その右腕として国の重要な責務を担っていたであろうこの男、四大貴族の一つである
親衛隊の隊長にまで上り詰める程の手腕と才能を持ちながら、
しかし諜報員としては大変優秀で、最早誰を信じて良いのか分からない状態に陥っている皇宮でも上手く立ち回り、毎回有力な情報を集めてくる。
「構わん。そんな愚か者は間違いなく皇帝の器ではない」
宰相でさえもっと畏まった態度をとるぞと内心毒づきながら、皇帝は「御意」と恭しく頭を下げ、部屋を後にする青年の背中を見送った。
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