第18話 自分のためではなく。
王宮の大広間には、すでにたくさんの人たちが集まっていた。国内の貴族たちはもちろんのこと、他国の王族や貴族、外務官たちの姿まである。
もっとも、下位貴族の令嬢であるカミーユに、国内の貴族はともかく、他国の貴人たちと面識があるわけもなく。エスコートしてくれるアルベールの言葉で、それを知ったのだった。
アルベールと並んで会場に足を踏み入れれば、広間に集まった人々の視線が一斉にこちらへと向かう。興味本位にこちらを眺める人々に交じって、明らかな敵意がいくつも感じられた。
公爵家の嫡男のエスコートを受けているからか。英雄閣下であるアルベールの婚約者となったからか。いずれにしても、カミーユの存在を気に入らない者たちは、カミーユが想像していたよりもずっと多いようだった。
傍らに立つアルベールが、さりげなく自らの身体でカミーユを隠そうとするのに気付き、「大丈夫ですわ、アルベール様」と密かに声をかける。このくらいのことで、アルベールの手を煩わせたくはなかったから。
気に入らないのは分かるけれど、アルベール様の婚約者となった私が怖じ気づいていたら、……何よりも、私を選んでくださったアルベール様に失礼だもの。
敵意の主のほとんどが女性であったこともあり、カミーユは己を奮い立たせて背筋を伸ばす。婚約者となった以上、自分の評価もまた、アルベールの評価となるのだ。怯えている場合ではないと、そう改めて思った。
問題ない、と伝えるために、頭一つ以上背の高いアルベールを見上げながら微笑みかける。彼はいつも通り何かを誤魔化すように空咳を零した後、「行こうか」と言って笑みを返してくれた。
「陛下に挨拶をした後は、好きに過ごして良いはずだ。もっとも、挨拶にくる者たちの相手をせねばならないだろうが。……疲れたらすぐに言って欲しい。休憩室とは別に、私専用に部屋を陛下に用意してもらっているから、気兼ねなく休めるだろう」
僅かに身を屈めて、アルベールはそう耳打ちしてくる。その近さに、今では恐怖よりも緊張を感じながら、こくりと頷いた。
今回の夜会で、休憩室がいくつか用意されているのは知っていた。男性用の休憩室に、女性用の休憩室。少し広めの部屋は、誰もがくつろげる空間となっていたはず。そのため、個人でも先に伝えておけば休憩室を用意してもらえるのだな、くらいにカミーユは思っていた。
まさかそれが、『カミーユのために休憩室を用意しなければ、夜会への参加を取り消す』と、アルベールが国王であるテオフィルに言い切った結果であるとは、気付くはずもなかった。
滅多に社交界へ顔を出さないアルベールが必ず訪れる夜会であることもあり、会場にいた貴族たちは我先にとアルベールの元へやって来て挨拶をしていった。朗らかに会釈を交わし、貴族らしい含みのある言葉で会話を続ける。
中にはもちろん、傍らに寄り添うカミーユに興味を持つ者も大勢いた。良い意味でも悪い意味でも、アルベールの傍は注目の的であった。
「アルベール、ここにいたのか!」
次から次へと訪れる貴族たちの相手をしていたら、少し離れた所からそんな言葉が聞こえて来て、アルベールと二人、顔をそちらへと向ける。
同時に、ぱっと周囲の人垣が割れた。声を上げたその人物の進行を妨げないよう、示し合わせたように真っ直ぐに。
左右に動いた人々の間をゆっくりと歩み寄って来たのは、光り輝くような金色の髪と、深い藍色の瞳を持つ中性的な容貌の一人の男性だった。柔らかな表情にもかかわらず、真っ直ぐに視線を向けるのを躊躇われるような、そんな存在感を持つ人。
あまり社交界に顔を出さないカミーユでも、その人物の姿には、さすがに見覚えがあった。
「国王陛下にご挨拶申し上げます」
アルベールがそう言って姿勢を正し、礼の形を取る横で、カミーユもまたそれに倣い礼をする。
三年前、前国王が急死したことにより、二十六という若さでこのギャロワ王国を治めることとなった国王、テオフィル・ギャロワ、その人であった。
王太子であった頃から驕ったところのない気さくな人物であるとして有名であったが、穏やかな笑みを浮かべる様は、理想的な君主の姿のようにカミーユには感じられる。
テオフィルはアルベールの正式な礼に、「楽にしてくれ」と言いながら苦笑を漏らしていた。
「このような場に、英雄と名高いお前が来てくれただけでも喜ばしい事だからな。余興も用意しているから、楽しんでいってくれ。……そしてこちらが、以前からお前が言っていた令嬢か」
テオフィルはそう言うと、アルベールによく似た藍色の瞳をカミーユの方へと向ける。声をかけられるとは思っていなかったため、びくりと驚きながら顔を上げた。
血は争えないと言うべきか、アルベールの従兄にあたる彼もまた、端正な面持ちの美丈夫であった。アルベールのように威圧的にさえも見える圧倒的な美貌でなく、女性的な優美さも垣間見えるため、むしろ親しみやすい雰囲気の優男に見える。
言葉を返そうと口を開いたカミーユに、しかし傍にいたアルベールが庇うように前に出る。「陛下の仰る通り、こちらがエルヴィユ子爵家のご令嬢、カミーユ・カルリエ嬢です」と、彼はカミーユの代わりに応えた。
「申し訳ありませんが、私は心が狭いので、陛下と言えど彼女が他の男と言葉を交わすのが非常に気に入りません。なので私を通して頂ければ嬉しいのですが」
きっぱりと、テオフィルを目の前にしてアルベールは言い切った。あまりに堂々とした物言いに、テオフィルの方が呆気に取られた顔をしている。何を言われたのか分からない、というような顔で。
「アルベール様……!」と、さすがにカミーユは声を上げて彼の腕に触れた。実は先ほどから、アルベールは他の貴族たちにも同じような態度を取っていたのだ。それもこれも、カミーユが男性を恐れる為の方便なのだとは理解していたけれど。まさかいくら知己だと言っても、国王であるテオフィルにまで同じような態度を取ろうとは。
カミーユに呼ばれたアルベールは、いつものように微笑みながら「どうかしたか? カミーユ」と訊ねてくる。
どうかしたも何もないだろう、と思うのだが、アルベールの当然のような態度に言葉を続けることを躊躇った。彼がテオフィルに対してあのような言動をするのは、当たり前のことなのだろうかと思ってしまったから。
あまりにも堂々としていらっしゃるし……。私が社交界にあまり出ないから、知らないだけなのかしら……?
困惑しながらアルベールを見上げていたら、「まあ、そう言うだろうとは思っていたが」と、僅かに苦笑を交えたような声が聞こえて来てそちらに顔を向ける。
テオフィルはその端正な容貌に困ったような色を浮かべて、こちらを見ていた。
「我が従兄ながら、本当に心が狭くて申し訳ない、カミーユ嬢。本当に申し訳ない、のだが……、どうか、彼を見捨てないでやって欲しい」
テオフィルはそう、真摯な表情で言った。
「この男は、君から捨てられたら、もう二度と誰とも結婚するなどと言わないだろう。君が他の誰かと結婚し、幸せになったとしても、だ。……脅すわけでも、命令でもない。ただ、幼い頃からの友人として顔を合わせて来たが、彼がこんな風に笑みを浮かべるのを初めて見たから。……堅物で真面目で面白味もない男だとは思うが、どうか幸せにしてやってくれ」
ふっと笑みを零してテオフィルが言うのに、アルベールがぼそりと「俺はカミーユの傍にいるだけで幸せだから、今後幸せにしていくのは俺なのだが」と呟いていたけれど。
カミーユはただ、テオフィルの言葉に深く頷き、「もちろんです」と応えた。
誰に言われるまでもなく、自分に出来ることならば、少しでも彼を幸せにしたかった。
テオフィルと別れてから、アルベールの元にはそれまで以上に人が集まって来ていた。傍らにいたカミーユもまた、その度に挨拶を交わしていたけれど、皆一様に先ほどのテオフィルとの会話を口にし、「閣下が嫌がられるでしょうから」と言って、カミーユのことであってもアルベールに言葉をかけていた。
おかげで男性と顔を合わせることが少なくて済み、たくさんの人に囲まれながらも、あまり気負うことなく対応出来ていた。
まあ、だからと言って、完全に気疲れしないわけではなく。そもそも今までに出席した夜会で受けていた挨拶とは、数の桁が違うのである。体力にも気力にも限界が来るのは、仕方がないとしか言いようがなかった。
「カミーユ、疲れただろう。そろそろ休憩室へ向かおうか」
傍で同じように挨拶を受けていたアルベールは、慣れているのかそれほど疲れた様子もなくカミーユを気遣うようにそう訊ねてくる。
今回はアルベールの婚約者として出席する初めての夜会であるため、出来る限り傍にいて、婚約者として不備がないように振舞いたかったのだけれど。
顔に疲労が浮かんでいたのか、「まだ大丈夫ですわ」と応えても、アルベールが納得するはずもなく。優しく微笑んだ彼は、「では、私が疲れたようだ」と呟いた。
「少しで良いので休みたい。共に来てくれるだろうか?」
そう言って手を差し出されれば断れるはずもなく、カミーユは彼の気遣いを嬉しく思いながら、「もちろんですわ」とその手を掴んだ。
挨拶に来ようとする人々の間を進み、大広間から廊下へと足を踏み出す。中庭に面した廊下を進めば、すぐに部屋の扉が見えて来た。王宮に足を踏み入れることがほとんどなかったので、カミーユはよく知らなかったが、それが休憩室なのだとアルベールが教えてくれた。
共用の休憩室に、男性用、女性用と、いくつも並んでいる扉の前を、アルベールは迷うことなく通り過ぎていく。彼がテオフィルから用意してもらった専用の休憩室は、そこから更に進んだ所にある部屋だった。
扉を開いて中に入れば、広々とした部屋の中にいくつかのソファと机、テーブルが置かれていた。大きな窓の向こうはすでに暗く、いくつもの星々がその姿を煌めかせている。
アルベールのエスコートでソファまで足を進めたカミーユは、そこに座って深く息を吐いた。思っていたよりも、緊張していたらしい。今までに会ったこともないような高位貴族や他国の高官の方々と言葉を交わしていたのだ。しかもそのほとんどが男性であったため、気を張らないというのは無理な話である。
カミーユを座らせたアルベールは、その足元に跪いてこちらを覗き込んでくる。心配そうな表情を向けてくる彼に、カミーユは微笑んで「私は大丈夫ですよ?」と呟いた。彼を安心させたくて。
アルベールはそれでも心配そうな顔をしていたけれど、一つ息を吐いて、その顔に笑みを浮かべた。「君がそう言うならば、信じよう」と言いながら。
「だが、しばらくはここで休んでいてくれ。ここならば、外に王宮の使用人もいるから、安心して過ごせるはずだ。あと数人挨拶をすれば、私の仕事も終わり。この夜会で他に用はないから、早々に帰れそうだ。屋敷まで送ろう」
アルベールはカミーユの手に触れると、少しだけ困ったような表情を浮かべる。後ろ髪を引かれるような、そんな顔。
先程、広間で口にした言葉は口実だったのだろうと分かってはいたけれど。「アルベール様、お疲れでしたら、休憩された方が……」と、声をかける。いくら慣れているとはいえ、あのような沢山の客人たちの相手をして、疲れを覚えないはずもないのだ。加えて、カミーユが男性に触れられることのないよう、アルベールが常に気を張っていたのをカミーユ自身も気付いていたから。
少しでも疲れを癒した方がとカミーユは思い口にしたけれど、アルベールは嬉しそうにその顔を緩めた後、首を横に振った。「ありがとう、カミーユ」と言いながら。
「だが、君のためにも、早い所この夜会を辞したい。……その代わりと言ってはなんだが、この夜会が終わった後、しばらく共にいても構わないだろうか。いつも通り、君の屋敷で共に時間を過ごしたい。もちろん、君の名誉を害するようなことはしないと誓おう。君と共に過ごすことが、私にとって最適な癒しだからな」
優しく微笑んで言う彼に、否やと応えるはずもなく。カミーユもまた笑みを浮かべて頷く。「もちろんですわ」と応える声には、彼と共に過ごせる喜びが混ざっていた。
アルベールが扉の前の使用人たちに、「カミーユの血縁者が来た場合以外は誰も通すな」と告げるのを見ながら、カミーユは思わずふふ、と笑ってしまった。彼の過保護ぶりが、少しだけくすぐったくて。それでいてとても嬉しかったから。
国王陛下も仰っていたけれど、私も、アルベール様に守られてばかりではなくて、アルベール様の力になりたい。……幸せだと思って頂きたい。
だから、もう少し外に目を向けて、少しずつでもこの男性恐怖症を治して。彼を支えられたら。
そう思えることが、カミーユ自身、とても嬉しく、誇らしかった。彼の、アルベールのおかげで、少しずつでも確実に、前に進んでいるのだと感じるから。
「社交界に出るのはまだ怖いけれど、きっとアルベール様も応援してくださるもの。頑張ってみせるわ」
手始めに、先日のベルクール公爵夫人のお茶会のように、男性よりも女性が多い社交の場にもっと顔を出すようにしようと、そんなことを思った時だった。
ドンドンッ、と、部屋の扉が激しく音を立てて叩かれたのは。
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