第30話「いきなり英雄(前編)」
「……は?」
魔術師の少女が目を見開く。
「……はぁ!? 何が起きたの!?」
目を見開いて驚愕する小柄なロリ魔術師。
――そんな姿が“彼方”にあった。
……本当に凄いな。
もうすでに、彼らは俺の眼前から姿を消していたのだ。
目前へと迫り、彼らに致死の一撃を放たんとする
そんな風に、俺は思っていた。
――うぬぼれていた。
俺は誤解していたのだ。
彼らを弱者と侮っていた。“救うべき対象”として見ていた。
だが、その必要は無かったのだ。
あの瞬間、彼らはすでに安全圏へと転移し、退避に成功していた。
俺が救わなければ死んでしまう。その程度の存在と彼らを認識していた。
自分はこの世界における最強チート能力者であり、いわば
一方、彼らはそんな力を持たない脆弱な存在に過ぎないと、ラノベで言う所のかませのモブであると、その程度に思っていたのだ。
ゆえに、俺が助けなければならない、と。
だがそんなことはなかった。
彼らはしっかりとあの化け物と対等に渡り合い、生き延びるだけの実力を持つ戦士達だったのだ。
無意識にとはいえ、見下していた自分が恥ずかしい。
さすがは精鋭と呼ばれる者達。俺の助けなんてそもそもいらなかったのかもしれない。
ステータスが高いからって、ちょっと増長していたのかもしれないな。反省。
「あの子がやったみたいだねぇ。やるじゃないか」
派手な黒ローブを纏った赤髪ロングのお姉さんがこちらを艶かしい目で眺めつつにんまりと口端だけで小さく笑む姿が見えた。
……なんとボリューミーなお胸様だろう。あのふかふかお乳様の間に挟まれてもにゅもにゅされてしまったら、きっと幸福なる無限スリップダメージの果てに幸いなる天の国へ導かれること間違いなしだろう。
――だが、今はそんなことを考えている余裕なんてあるはずも無い。
なぜなら、あの世への特急便はすぐそばにあり、その鋭い眼光で俺を睨みすえているのだから。
ゆらりと長い首をもたげ、こちらへと
憤怒の形相で、奴は激情のままに吼え猛る。
矮小にして脆弱なる生命をあざ笑うかのように、原初の恐怖たる死という概念を魂へと、本能の根源へと直接叩きつけるかのようなおぞましき音。それはもはや声とは呼べない。耳朶を引き裂き鼓膜を打ち砕かんとする轟音。
――
その声を聞いた者は恐怖に発狂し、泣き喚いて混乱するか、現実から逃避せんと思考を捨て呆然と立ち尽くすか、はたまた即座に意識を手放すか、いずれにせよ回復するまではとてもまともな行動など取れやしないだろう。
精神系の状態異常をあらかじめ無効化させる魔法、
まぁ、名前は俺が今適当に決めたわけだけど。
実際にそんな効果であるのかもほぼ想像に過ぎないのだけど。
だって俺には一切効いてないからね。スキル『状態異常無効』。ガチで強いわ。
「大丈夫か?」
遠方の精鋭陣に問いかける。
「だいじょばない! 助けて!!」
鼻水たらした涙目でロリ魔術師が即答する。
一応、会話が通じているということは
きちんと全員
ちなみに
「正直こっちはもう決め手がねぇ。お手上げだ」
ベテラン風のおっちゃんが現状を素直に伝えてくる。一見余裕そうな口ぶりだが、その顔には若干の焦りの色が見える。かなりヤバイ状況ではあったようだ。
などと現状把握をしている間にも、俺の目の前を巨大な尾が通り過ぎる。その風圧だけで体が抉られそうだ。
白兵戦の間合いへと一瞬にして、視認さえ困難な程の超高速で近づいてきた
舞うように旋転してから頭部を近づけての牙、そして体勢を整えての火炎
ワンパターンゆえ見切ってしまえばどうということは無いが、ステータスゴリ押しの超スピードで放たれるそれをまともに回避できる者は少ないのだろう。
なんかこいつ、他を一切無視して、俺だけを執拗に狙って来るんですけど……。
なるほど。俺を“敵”として認識した訳ね。
直撃すれば即死の超速尾撃、無駄の無い動きから放たれる隙の無い二段構えたる噛み付き攻撃、そして三段構えの火炎放射。知覚さえ許さない程の超高速攻撃。
――だが、見える。
今の俺にはその動きが見える。いや、わかるのだ。
本来ならば脳が認識して体を動かすよりも早いであろう超高速の動きが、今の俺には手に取るようにわかるのだ。
あらかじめ結果がわかるのであれば、その果てにある動きが見えているのであれば、その攻撃が通るであろう
それはまさに予見眼。
相手の体のわずかなブレ、筋肉の収縮、微かなバランスの変化、それら小さな変動を無意識に感じ取り、恐らく脳で自動的に処理を行い無意識に予測しているのだろう。
ついさっきまではまともに知覚さえできなかった超高速の一撃一撃が、余裕を持って対処できる。もはや恐れるに値しない。児戯にも等しいとはこのことか。
頭が理解するより早く
脳が攻撃を知覚するよりも早く体が反応し、無意識に、自然と回避行動を行う。
そこに意思など介在しない。無為自然。考えるという無駄な時間をそぎ落とし、あらゆる無駄な肯定を省略し、超高速に対応する。
それこそが、このステータスゴリ押しお化けに対応する唯一の解。
これが、超人ランクの戦闘における最低限の領域……。
攻撃が来る前に安全地帯にいるのだから、被弾するはずがない。
相手が動く直前にすでに避けているのだから、直撃を受けるはずがない。
ゆえに、紙一重だが、確実に命を繋ぐことができる。
予見眼など、特筆されたスキルとしての記載は無かった。ゆえに、これこそが恐らくスキルSランクプラスの世界。達人の境地というものなのだろう。
「凄ぇ……」
「動きにまるで無駄が無ぇ……」
俺の身のこなしに驚嘆の声を上げる精鋭陣の戦士達。
そんな中、戦局を見極めるが如く、冷淡な表情で俺を見つめていた赤髪の魔術師が静かに、だがこの戦場に響き渡るほどに澄んだよく通る声で俺に問いかけてきた。
「攻撃担当の魔術師は総員魔力切れ。白兵担当も決め手にかける。あたしの転移魔法も次で打ち止めだ。あんた、やれるかい?」
そんなの、答えは既に決まっている。
「もちろん、そのために俺は来た!」
スキルが与えた知識に身を任せる形で、俺は全身全霊の一撃を叩き込んだ。
眼前には巨大な頭部。俺の体を噛み砕かんと迫るも回避され、そのまま通り過ぎようとしている。口を硬く閉ざした
遅れてその衝撃と反動により跳ね飛ばされた頭部に引き寄せられるように、巨大な体躯が遥か後方へと吹き飛ばされる。
だが、奴にも王たる意地があるのだろう。
力強く翼をはためかせると、体を器用に旋転させ、その場で踏みとどまるかのように
が、奴が見据えた先に俺はいない。
なぜなら、追撃を仕掛けるべく、すでにその懐へと跳躍を果たしていたからだ。
奴と一瞬だけ眼があった。
だが、遅い!
向こうがどれだけのステータスを保有しているのかはわからないが、こっちだって
飛翔の勢いそのままに、なかば体当たりに近い形で奴の巨大な腹部へと拳の一撃を叩き込む。
声にならない叫びをあげて、巨竜がくの字になって吹き飛んでいく。
その伸ばしきった首の先にある頭部目掛け、
左右の拳でラッシュを叩き込んでからの蹴り。その繰り出す手足の末端から魔力の塊が放たれる。
重い一撃に耐えるべく肉体が静止しているその隙に。吹き飛ばされまいと体を踏みとどまらせているその暇に。放たれたそれらが吸い込まれるかの如く着弾していく。
再び悲鳴をあげながら悶絶する古竜めがけ、一瞬の跳躍をもって近接した俺の蹴りが叩き込まれると、翼を持つ空の王者たる翼竜、その顔が、首が、まるで重力に引き寄せられるかのように無残にも地面へと吸い寄せられ、べちゃりと叩きつけられる。
やがて、その巨大な体が地面へと縫い付けられるかのように、ドシンと地響きを立てて倒れ伏す。
その腹部へと、落下の勢いを利用した踏みつけるような蹴りを叩き込むと、再度響き渡るは悲鳴にも似た竜の咆哮。鼓膜を焼き尽くさんが如く響き渡る古竜の叫び。
一方的だ。
まさに一方的。
こんなものだったのだろうか、この怪物は。と思わされるくらいにあっけなく。
俺はその巨大な体の上を走り、顔面へと拳を叩き込む。
俺の体よりも遥かに巨大なその顔。それが歪み、へしまがり、吹き飛ばされていく。
何発も、何発も、打ちのめす。叩きつける。
的がでかいから当てやすいけど、ちょっと広すぎて疲れるな。
などと冷静に考える余裕さえあるくらいだ。
やがて息も切れた頃、
効果時間の限界。俺の魔力もここまででだいぶ消耗してきた。そうそう何度もこれだけの奥義たるレアスキルを使用するには耐えられないだろう。
終わったか?
俺は地に倒れ伏す
ギョロリと、その眼が動く。
俺を、鋭い眼光が貫いた。
その双眸には、憎悪とか憤怒とか、およそ個人が想像しうるあらゆる負の念がない交ぜにされたようなおぞましくも静かな怒気が宿っており、その全身からは、常人であればそれだけで恐怖と絶望で本人の意思とは無関係に体が、魂が自死を選びかねない程の殺気が発されていた。
首をのそりと気だるげに起こし、翼をはためかせると、古竜は器用に宙を舞い、体勢を整える。
巨大な頭部が影を落とす。
今度は俺が見下ろされる側となった。
絶望的な真実を語るなら、その体に、傷らしい傷なんてろくに付いてやしなかった。
先ほど魔術師が放った魔法の方が、ちみっとではあるが体に傷を付けてるぶん、俺よりも実は負傷させていたのでは? と疑問を起こさせるほどに。
「マジかよ……」
そりゃそうだ。
圧倒はしたものの、こちらが行った攻撃といえば素手による当身のみ。
武器は無い。だからそうせざるをえなかった。そう思っていた。思い込んでいた。
しくじった。剣の一本でも借りておけばよかったのかもしれない。
あれだけ一方的に圧倒されてはいても、奴は致命傷の一つも負ってはいなかったのだ。
確実に当たるし、間違いなく避けられる。
でもそれだけじゃあ意味なんて無い。
確実に損耗はさせているのかもしれない。悲鳴をあげている様を見る限り、恐らく痛くはあるのだろう。そのはずだ。
だが、倒せない。
これは戦だ。殺し合いなのだ。
殺さない限り決着は付けられない。
再び、竜は虚空を揺るがすあの雄叫びをあげた。
それは悲鳴ではない。
これからが本当の戦いであると。戦の開幕であると。今までの屈辱を晴らさんと、放たれたのは殺意の咆哮。
やべぇ。殺せる気がしねぇ……。
鱗が硬すぎる。肉が分厚すぎる。骨が硬すぎる。何より、体がでかすぎる。
例えるなら、HP五万くらいの相手に数百程度のダメージをチクチク与え続けているような、そんな手ごたえだ。まるで気の遠くなるような作業ゲーを思わせる。
それでも、いつかは勝てるのかもしれない。ゲームならば。HPを0にさえすれば倒したことにできるのかもしれない。
けど、それはゲームでの話だ。これはゲームではない。現実なのだ。
効いてはいても致命傷には程遠い。とどめは刺せない。だから、殺せない。ゆえに倒しきれない。
埒があかないな。このままでは勝てない。どうする……?
何かいい手は無いものだろうか。
考える合間にも、翼竜の王は唸り声をあげながら襲い掛かってくるのであった。
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