第74話「甘々な空間と、殺伐とした空間」

「そんな……私こそ、空気を悪くしてごめんなさい……」


 陽に先に謝られたことで、真凛は申し訳なさそうに頭を下げて謝ってきた。

 もう先程までの全身から出されていた不満全開のオーラは鳴りを潜めている。


「いや、秋実は何も悪くないよ。ごめんな、せっかく楽しみにしてくれていたのに」


 今回真凛に非がなかったことを陽は十分に理解している。

 だから真凛が自分を責めないように優しい声でそう伝えた。

 すると、真凛は陽の顔を見上げ、ウルウルと目を潤し始める。


「お、おい、別に泣かなくても……」

「あっ、い、いえ……これは、べつに……」


 そう言って言葉を紡ごうとする真凛だが、それ以上うまく言葉が出てこなかった。

 その間も目に涙は溜まっていき、溜まった涙は次第にあふれ始める。

 どうして涙が止まらないのか――自分でも制御できない状況に、真凛はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。


「…………」


 一生懸命目元を拭き始めた真凛を前にし、陽は真凛の頭に手を置く。

 そして、ゆっくりと優しく頭を撫で始めた。


「……ぐすっ、そういうの……よくないです……」


 陽に頭を撫でられた真凛は、女の子の頭を撫でることに関して注意をするが、表情は先程までの思い詰めたような表情とは違い柔らくなっていた。


 安心しているような――そして、どこか嬉しそうな表情で真凛は陽の手になすがままにされる。

 それどころか、自覚しているかどうかはわからないが自分から陽の手に頭を押し付け始めた。


 まるで猫みたいな表情を浮かべて気持ち良さそうにする真凛を前にし、陽は半ば反射的にとった行動がうまくいってよかったと安堵する。


「嫌なら逃げるといい」

「……相変わらず、いじわるですね」


 陽の言葉に対して真凛は不満そうな言葉を返すが、表情は不思議と笑顔のままだった。

 当然逃げたりはせず、陽にされるがままになっている。

 電車内だというのに、ここだけ別空間のような雰囲気になってしまっていた。


「――うっわぁ、相変わらず周りを気にしないなぁ」


 席に付いて離れたところで陽たちを見ていた凪沙は、思わずそう漏らしてしまう。

 まるで二人だけの世界に入っているような友人たちを見て、自分は離れたところにいてよかったと心の底から思っていた。


 田舎で、朝早い時間というのもあって車両内はほとんど人はいないが、それでも全くいないわけではない。

 現在あの二人はこの車両にいる全員の視線を集めているのだが、当の本人たちは気にしていないのだから凄いと思ってしまう。


「――で、君は今から何をしでかすつもりかな?」


 そして今度は、斜め前に座って陽たちのことを睨む元友人へと凪沙は声をかけた。

 その元友人――現在全身から嫉妬のオーラを全開に出している佳純は、声をかけられたことでその矛先を凪沙に向ける。


「今、余裕ないから」

「怖いって」


 挑発に乗るどころか忠告をしてきたことで、今の佳純がどれだけやばい状態なのかを凪沙はすぐに理解した。


 要は、今喧嘩を売ってくるなら何をしでかすかわからない、と佳純は言いたいのだろう。

 本気でやりあえば百パーセント負けないことを理解している凪沙だが、それがわかっていても今の佳純の迫力には飲まれそうになってしまった。


 しかし、この状況は想定していたため、凪沙は自分がすべきことを全うしようとする。


「そもそもこの状況は自業自得でしょ? 君、陽君と何かしらの取引をして今日来たんじゃないの?」


 凪沙は佳純に比べて陽との付き合いは短いが、それでも陽がどういう人間かは理解していた。

 陽はやる気がなく無責任な男に見えるが、実は打算的で計算が高く――そして、お気に入りのためなら無茶なことでも平気でやってのける男だと凪沙は思っている。

 そんな陽が、何も用意をせずに犬の前に猿を連れ出すはずがない、というのが凪沙の読みだ。


「うるさい」


 凪沙に指摘された佳純は、機嫌が悪そうに視線を窓の外に向けた。

 その態度で図星だと確信した凪沙は更に踏み込むことにする。


「わざわざそんな恰好までしてきたのにね。その恰好、本当は陽君のためじゃなく真凛ちゃんのためにしてきたんでしょ?」

「何、秋実さんに怒られたのにまだやる気?」


 凪沙が佳純の秘書のような恰好について触れると、佳純は凄く不機嫌そうな目を凪沙へと向けてきた。

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