第6章 終わりの始まり

6-1


「ということで、シオン先生はしばらくお休みになるそうです」


 ラーチェがそう告げると生徒の一人が即座に、


「クビじゃないんですか?」


 何人もの生徒がうなづく。遅刻率九〇パーセントを越えるその実績?から、生徒たちは辞めさせられたのではと思わずにはいられなかった。


「シオン先生ほど優秀な方が辞めさせられるわけありません」


(優秀……)


 カチュアにはラーチェのほうがよほど優秀な教師に思えた。授業はわかりやすいし、真面目で優しくて、時には面白い話をして生徒たちを笑わせてくれもする。上級生のキトに聞いても、ラーチェが遅刻したことは今までに無いという。


「もう一度言います。シオン先生ほど素晴らしい魔法士はこの国にもなかなかいません。あなたたちが羨ましいですよ。私も一緒に授業を受けたいくらいです。すこし、時間にルーズなところがありますが、許してあげてくださいね」


(すこし……)


 一昨日、授業終了の五分前にシオンが教室に来たことを思い出す。前回の授業で与えられたソークのコントロール実習の続きだから困らなかったが。明らかに確信犯だ。


「院長先生の話ですと、シオン先生は一週間ほど外出されるそうです。それまで先生の代わりに私がこのクラスを受け持つことになりました。よろしくお願いします」


 生徒たちの喜びようにラーチェは苦笑する。


「ところで皆さんは今どのあたりを勉強してるんですか?」


 ラーチェは全学年に魔法学を教えているが、自分のクラスを持っていない。

 各教師によって授業の内容や進め方が異なるということは、カチュアも聞いて知っていた。

 ラーチェがカチュアのほうを向いたので『ここ一週間ほどは、ソークを練って小石を浮かす実習をやってます』と答えた。


「え……」


 カチュアは両手で水をすくうような形を作り、小石を手のひらに乗せて浮かせて見せた。石は二センチほど上でぴたりと停止している。


「まだ私はちょっとしか浮きませんが……」


「他の人もそれができるのですか?」


「はい。全員できます」


「……ええと」


「どうしたんですか、ラーチェ先生?」


「それって、二年生で行う実習なのです……けど」



*****



「こんにちは」


 名無しの少女は開いていた絵本のページを閉じて、カチュアを見る。カチュアは少女の隣に座り、図書館で借りた本を開いた。


「今日はいい天気ですね」


「うん」


 学院の中庭には五つのベンチが設置されている。しかし日中木陰になるベンチはここ一ヶ所しかなかった。それに校舎から適度に離れているので静かだ。


 どういうわけか今日はいつもより早く授業が終わってしまった。

 クラスメイトに街に行こうと誘われたが、カチュアは断ってここに来た。読みかけの本の返却日が近づいているからだ。


「本、好きなのですか」


「うん。でもじおおいから、えをみてる」


 少女は大きな絵本のページを開いてみせる。そこには母親と女の子が幸せそうに微笑んでいる絵があった。

 カチュアはシナから女の子が戦争孤児であること、学院長であるライザの養女としてここにいることを思い出した。

 人見知りが激しく、無口で、ここのところは中庭の草をむしることに夢中らしい。変わった子どもだと聞いていた。


「おねえちゃんは、なによんでるの」


「魔法士のランクについての本らしいのですが……昔の字で書いてあるので、難しくてあまり内容はわからないです」


 カチュアは女の子がそうしたように本を見せる。


「おわりははじまり」


 女の子は表紙の文字を目で追いながら言った。


「いんちょうせんせいがまえによんでた」


「ライザ様が?」


「うん」


「あの、あなたも旧文字が読めるのですか」


「すこしならった」


「『始まりの終わり』って読むのではないのですか」


 こくりと頷く。


「ずっとむかしのきゅうもじだと、またよみかたがちがう」


「……え」


 女の子は、女の子の言う『ずっと昔の旧文字』の読み方をカチュアに教えた。

 若干のルールが付加されるだけで、旧文字さえ読めれば女の子の説明を理解するのは難しくなかった。注意がいる程度だ。しかしそれを知っているのと知らないのとでは、文の意味がまったく違ってしまう。


「ありがとう」


 カチュアと女の子は、それぞれ自分の本を読むことに戻る。風はなく、空気は暖かく、洗濯にも昼寝にも読書にも適した日和だった。

 カチュアは女の子のおかげですらすらと文章を読むことができた。本の内容は難しい。それでも格段に理解しやすくなった。


「ねえ、おねえちゃん」


「はい?」


 カチュアは、本にしおりをはさむ。


「これつくりかた、しってる?」


 絵本を閉じて、表紙をカチュアに向ける。


 『てづくりのまほう』というタイトルの下に、寄り添って眠る母と子の大きな絵が描いてあった。本には学院の図書館の管理番号が書いてある。女の子もカチュアと同じように図書館で本を借りたらしい。


「これ?」


「うん」


 女の子の小さくて細い指は、娘を包み込むようにして眠る母親の頭のあたりを指していた。

 カチュアは、それを見て女の子に、


「はい、知っていますよ」


「ほんとう?」


「私があなたくらいだったとき、作ったことがあります」


 その言葉に女の子は目を大きくして興味を示す。人見知りが激しくて無口だと聞いていたが、カチュアの印象はたいぶ違っていた。


「こんど、おしえてほしい」


「はい。いつでも言ってください。今からでもいいですよ」


「こんどがいい」


「わかりました。私の名前は──」


「かちゅあ」


 女の子は言った。


「え、どうして?」


「いんちょうせんせいとはなしてたとき、わたしいた」


 カチュアは院長室でライザに初めて対面したときのことを思い出してみる。極度の緊張のせいであの場にライザの他に誰かがいたかなんて覚えていなかった。


「ごめんなさい。気づかなくて」


「うん」


 きにしないで、と女の子は言った。


「ありがとう」


 さっき本の読み方を教わったことも含め、心の底からの感謝を微笑みで表す。その笑顔に女の子も笑みを浮かべる。そして両腕に絵本を抱えて抱きしめ、


「わたしも、ありがとう」


 と、はにかみながら言った。


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