2-3


「シナです。入ってもよろしいでしょうか」


「……いいわよ」


 機嫌が悪いときの声色だったので、シナは慎重にドアを開けた。部屋には読書をしているライザしかいなかった。


「あら、お客様はどちらに?」


「中庭の噴水の中」


「……?」


「悪いけど、中庭にまわって頂戴。そこに可哀想な男がいるから、入学生にするのと同じ話をしてあげて欲しいの。あと、一番汚い部屋でいいから今夜だけ学生宿舎に泊めてあげて」


「かしこまりました。ライザ様」


 失礼します、と言い残してシナは部屋を出た。口調は比較的穏やかだったが、これまでの経験上、ライザが不機嫌であることは明らかだった。



*****



 シナがライザの部屋に到着する少し前。

 どぼん、と、中庭で大きな音がした。数人の生徒が、何事が起きたのかと窓から顔を出す。

 噴水池から高々と水しぶきが上がり、霧状に散って風に流されていく。


「こんどは、にじがでた」


 草むしりをしていた女の子が手を止め、噴水へと走ってくる。女の子は池の中で大の字になっているジードの顔を覗き込む。


「またあったね」


「お前にもう一度会いたくてな」


 強がりでそんなことを言うと、女の子は照れてしまったのか、草むしりをしに戻ってしまう。

 ライザに斬りかかった時は噴水から五メートルと離れていない地面に、そして今度は噴水池の中に落とされた。ライザの魔法の精度に驚きを通り越して呆れてしまう。


 青い空の上を雲がゆっくりと流れていた。

 やや傾きかけたの光が、美しい虹を作り出している。

 円形の噴水池の中央にある噴出口からは、三本の水柱が上がっていた。池の水深は膝丈くらいなので、ジードは背中を強く打っていた。

 池から上がり、靴を脱いで中の水を流し出していると、女性が近づいてきた。女性はジードを見つけると胸の前で両手を合わせ、


「本当にいらっしゃいましたわ」


 と言った。


「なにが『本当』なのかわからないが、あんたがシナか」


「そうです。初めまして」


「ジードだ。一晩、世話になる」


 どこかの貴族の屋敷の女中のような格好をした、二十代半ばくらいの小柄な女性──シナは必死で笑うのを我慢していた。確かにライズが言った通り、ジードは全身ずぶ濡れで見るからに可哀想だ。


「……そんなに楽しいか?」


「ええ、とっても」


 ついに堪えなくなって、くすくすと笑いはじめる。ジードはシナを池に落としたくなる衝動に駈られて腕を掴もうとしたが、


「わらったら、かわいそう」


 いつ戻ってきたのか、草むしり少女がシナの服の裾を引っ張っていた。


「あら……ごめんなさい」


「謝る相手が違うだろ」


 シナはジードに向かって軽く頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。そして、女の子とジードを交互に見つめてから、


「この子とお知り合いとは思いませんでしたわ」


「知らなかったのか、俺とこいつは一緒に草むしりするほどの仲だ」


「したことない」


「……と、おっしゃっていますけど」


 正直すぎる少女に苦笑しつつ、ジードは話を本題に戻す。


「ギルドがどうしてこうなったのか教えて欲しいんだが」


「はい、ライザ様から承っております。それと宿舎もご案内いたします。……この子はどうしましょう?」


 女の子は、先ほどから二人のやりとりを黙って見つめている。ぶかぶかのローブから僅かに露出している指先は、土で汚れていた。


「くるか?」


「いい」


「そうか。やる事があるもんな」


 こくりと頷くと、女の子は正門のあたりまで走っていき、再びしゃがみ込んで雑草をむしりはじめる。

 ジードは歩き出したシナの後ろについていく。


「面白い子だな」


「そうかしら」


「なんて名前なんだ?」


「誰も知りませんわ。名前がありませんから、あの子には」


 どういうことだとジードが問う。


「言ったとおりです。あの子は、私も詳しくは聞いていないのですが――記憶を失っているそうです。生まれた場所や自分の名前、言葉さえも記憶から欠落してしまっていて……でも、ライザ様のおかげで、今みたいに話せるようになりました」


「愛称とかはないのか」


「生徒さんたちからは、カフルと呼ばれております」


「大地の女神カフルか。いい名前じゃないか」


「そうでしょう? でも、あの子は自分で名前を考えたいと言ってききません。そう呼ばれるのをとても嫌がります」


 だからいつも呼ぶときに悩んでしまいます、と、シナは苦笑する。


「あの草むしりは、誰かにやらされてるのか?」


「まさか。あの子が自分からしています。八歳になったばかりですから、まだ学院には入学できませんし。時間を持て余しているのだと思います」


「そのことで訊きたいんだが、ギルドはどうなったんだ?」


 贅沢な造りの正門と比べかなり地味な裏門を抜け、木々に囲まれた細いなだらかな坂道を歩くと、すぐに宿舎らしき建物が見えた。

 振り返ると学院からジードの足元まで濡れた足跡がついていた。それを見て、ジードが不快そうな表情を浮かべる。

 シナは微笑み、先ほどまで二人がいた建物を指さす。


「裏からだと見栄えが悪いのですけど、先ほどまで私たちがいたのが魔法士学院シリウスの校舎です。昔シリウスは魔法士ギルドとしてクライトの地下にありましたが、六年前この建物に移転してそれと同時にギルドから改名いたしました」


「なぜ学院なんだ?」


「魔法士育成のための教育施設になったからです。七年前のゼノン公国との戦争の功績で、それまで畏怖いふと嫌悪の対象だった魔法士は、国民から支持されるようになりました。でも、まだ終わっておりません。いまだに各地で、ランク持ちが迫害され殺され続けています」


「で、その救済か」


「そういうことですわ。ちなみにシリウスの運営費は、一〇〇パーセント国が出資してくれています」


「随分気前がいいんだな」


「もちろんタダという訳ではありません。でも、有事には国家に協力すること、国側からの要望はそれだけです」


「学院の運営費は、軍事費に比べたら安いものなんだろうな」


「その通りです。それに国は学院を卒業した生徒さんを積極的に雇用しております。国家魔法士が多くなりましたから、いまではシリウスと国の魔法士が共同でランク持ちの管理と監視を行っています。既にこの国の主要な町にいるランク持ちの探索は完了していて残るは小さな町や村……ライザ様は、それが一番大変とおっしゃっていました」


 特に地方には、独自の風習や考え方が染みついている。都市から離れるほど魔法を忌むべきものとして恐れている傾向がある。

 ジードもそういった町で生まれ育った。だからこそ、今後のシリウスと国の活動にはまだ幾つかの難題があることを想像することができた。


「ランク持ちだったら、誰でも学院に入学できるのか」


「いいえ、十二歳になった子だけです」


「えらく半端な救済だな」


「そう思います? でも、各地のランク持ちの子どもたちは、シリウスや国の担当魔法士が定期的に監視していて……十二歳になったらクライトにやってくる仕組になっております」


「迫害や虐待については?」


「国の法の下に、その子をシリウスでお引取りします」


「十二歳しか入学できないのにか」


「ええ。ですからそれまで、どこか別の家庭で暮らしてもらいます。戦争で子どもを亡くした家庭が結構ありますから、引き取り手には困りません」


「そうか」


「他に質問はあります?」


「いや、もういい。長々と説明させて悪かったな」


「構いません、仕事ですし。私は、ここに来てから四年しか経っておりませんが、シリウスの歴史や戦争のこと、ライザ様から沢山のことを教えてもらいました。魔法には詳しくありませんが、それ以外のことでしたら何なりと聞いてください」


 学院に背を向け、二人は宿舎に向かう。宿舎の周りには何人かの生徒たちがいた。木陰で読書をしていたり、立ち話をしていたり、窓から二人を眺めている。正面の、開放されている扉から男の子が出てきて、シナに頭を下げ、すれ違い、学院の方へと歩いていく。


「……俺に、ここに泊まれって言うのか」


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