一章


 凄惨な一夜から七日後。


 罗雨京ルオユージンは放浪の末故郷から離れた街、高城に辿り着いた。高城はこの辺りでは一際大きい街で、人や物だけでなく情報を集まる。その事を、聡い罗雨京は知っていた。それと同時に、望みをかけてここまで来たのだ。


 一大門派の嫡子だったとはいえ罗雨京はまだ幼く、境界は練気期だった。その上ほぼ不眠不休、ろくな物も口にせず此処までやって来た為、いつ行き倒れになってもおかしくない。身なりもボロボロで、既に身体は悲鳴を上げていた。


 だがこの街で何か得ることができれば……


 その時、聞き慣れた単語が耳に飛び込んできて罗雨京は目を見開く。


「そういえば聞いた?あの在光上が滅ぼされたって……」

「聞いたわ。まさかあんなに義気に溢れた門派が滅ぼされるなんて。一体誰がやったのかしらね」

「決まってるでしょ?あんなことできるのなんて、阎纪しか居ないわよ!」

「阎纪ってあの魔尊の?冷酷無慈悲って噂は本当なのね」

「そうよ。しかも見た目まで醜くて最悪なんだって……」


 彼の曹灰長石のような瞳が鈍く反射した。

 それは願ってやまなかった、何かの情報だった。


阎纪イェンジー

 これが仇の名前なのか…? 

 いや、わからない。こんなの噂話でしかない。だが手掛かりにはなるかもしれない。


 彼女達に話しかけて詳しく噂を聞こうと思い道を渡った時、突然現れた人にドッとぶつかり倒れ込んだ。


「ガキ!邪魔だよ!」


 罗雨京は勢い余って転がり建物に頭部が当たって、ガツッと音を立てる。頭がぐらぐら揺れて、天地が回った。

 ぶつかった中年の男は見知らぬふりをして、さっさと立ち去ってしまう。


 薄れ行く意識の中、視界に映り込んできた人がいた。


 新月の夜を溶かしたように黒く長い髪、そして金色こんじきの瞳──


 そこでぷつっと記憶が途絶えた。




・・・




「ゔ……」

「あっ、師父!起きたみたいですよ」

「うるさい。騒ぐな」


 じわりと脳に染みてくる言葉はぼんやりとしていて、その後に続いた、はぁ…というため息だけがハッキリと聞こえた。


 罗雨京が重い瞼をなんとか引き上げると、眼前には天井と少年がいた。

 彼は十五歳くらいの少年で、可愛らしい顔立ちをしている。黒目がちの瞳が目を引いた。一つに結ばれた髪がぴょんっと揺れて、彼が愛らしく笑う。

「おはよう、気分は大丈夫?微動だにしないから死んじゃったかと思っちゃった」

「?……俺は……」

「師父が拾ってきたんだよ。猫だけじゃなくてついに人まで拾ってきたから、焦ったよ」


 師父……?

 ここはどこかの門派なのか……?


 罗雨京は寝かされていた牀からゆっくりと起き上がり、少年から目を離し隣の男を視界に映して、息を呑んだ。


 その男は、正に人外の様に美しかった。


 高い位置で一つに括られた黒髪は顔周りが編み込まれていて、さらさらと肩から流れ落ちている様はそれだけで風雅だ。柳叶眼に閉じ込められた月のような瞳は縦に瞳孔が開き、妖しく揺らめいている。薄く色付く唇の山はきゅっと持ち上がり、艶っぽい。頬には紋様のようなものが入っていた。


 修真者は見目麗しい者が多く、一大門派の嫡子だった罗雨京は自然と見慣れていたが、それでも目の前の男は異常な美しさで、若々しい。傍目には二十代位に見えた。


 だがあまりにも見つめていたからか、その男はチッと舌打ちをして冷ややかに言い放つ。

「クソガキ、用もなく人を見るのは失礼だと躾けられなかったのか」


 男の美しさとは反対の毒々しさに、罗雨京は度肝を抜かれる。

 彼の属していた在光上は礼儀正しさを重んじていた為、このような人に出会った事もなければ、話したことすらなかったからだ。


「…っ失礼しました」


 慌てて目を逸らすと、隣に居た少年が口を挟む。

「もう、師父!口汚いですよ」

「……」

「そうだ、君はこれからどうするの?」

「俺は……」


 どうするも何も、罗雨京には行く当てもなければ頼れる人も居ない。

 返答に困っていると、男が予想外のことを口にした。

「ここの門弟になればいい」

「……良いのですか」


 罗雨京からすれば助かる事この上ないが、何か裏があるのではと訝しんでしまうのも事実だ。

 悩んでいると、ああ…というような表情をされる。


「拾ってきてしまったのだから面倒は見る」

「師父は何だかんだ優しいですよね」


 そうだ、この男が俺を助けてくれたのは事実だ。ならば信じてみたって……


「あの、助けてくださりありがとうございました。俺のことを弟子にしてくださいませんか」


 罗雨京が頭を下げると、男は頷き、名前は、と口にする。


「罗雨京と申します」

「私は阎纪だ。生活の詳しいことはそこにいる蔡叶ツァイイエに聞け。お前の師兄になる」


 罗雨京はその言葉に、束の間身動きが取れなくなった。

 聞き間違えなどではない。確かに聞こえたのだ。


 阎纪と!

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