第155話 異国の朝焼け

 各々が複雑な思いを抱えながら過ごした夜が明け、運命の朝が来た。


 朝早くに訪れたロンドンの街は、日が完全に昇りきっていないためか薄暗く、季節外れの濃い霧が一面に立ち込めていた。どことなく陰鬱な雰囲気が漂っている。


 鶫たちがいる場所の周辺には異国情緒あふれるレンガの街並みが立ち並んでいたが、所々にある破損の痕が被害の大きさを物語っていた。

 そんな光景をぼんやりと見つめながら、鶫は集まった人たちの中に千鳥の姿を見つけて安心したように目を細めた。よく眠れなかったのかやや千鳥の目元が赤い気もするが、比較的元気そうだ。


 一方鶫自身は、人よりも少し早めに現地に出向いていたため、やや眠気が残っていた。

 戦闘には支障がない程度だが、うっかりしてあくびを出さないように気を付けなければならない。……流石にこのタイミングでそんなことを仕出かしたら、色々な偉い人達から怒られてしまう。


 そんなことを思いつつ、鶫は表情を引き締めた。


「――桜さん。事前に教わったことは覚えているかしら? いつもとは勝手が違うから、ちゃんと注意をしないと駄目よ?」


 鶫が静かにロンドンの街並みを眺めていると、遠野がそう問いかけてきた。それに鶫が小さく頷く。


 ――今回の戦いは、いつもと異なる点がいくつかある。


 まず一つは、結界を張って建物や土地を守ることが出来ないことだ。つまり、戦闘での破壊はそのまま街へのダメージになる。

 一応努力義務レベルだが、戦闘の際に街を破壊し過ぎないようには言い含められている。まあそれでも自分の身を優先することは許されているので、臨機応変に対応して良いらしいが。


二つ目は、神力で編んだ服を使わずに、研究機関によって開発された魔石を使用した耐久性の高い服を着用することだ。


 簡単に言ってしまうと、昨日着せられた軍服のような服の事である。デザインは異なるが、現地にいる他の魔法少女たちもこれと同じ素材の服を身にまとっている。きっちりとしたデザインの割には意外と動きやすいのが特徴だ。これによって、神力の無駄遣いを抑制することが出来るそうだ。


 ――過去に魔獣に操られた柩と戦った際、自分が思っていた以上に力を消費してしまっていたのは、戦闘服の維持が原因だろうと鶫は考えていた。


 この見解を政府に伝えた結果、それを踏まえて作られたのがこの服らしい。……あの事件からまだ二ヶ月しか経っていないはずなのに、あまりにも仕事が早い。もしかしたら魔法少女の制服の構想自体は以前からあったのかもしれない。


 三つ目は、結界の外で制限なしに力を行使するためのドーピング――魔石から作られた薬の服用だ。一応後遺症などはないらしい――あっても筋肉痛くらいとのことだったが、まだそこまで実証が済んでいないらしく、多少不安は残る。


 まあ精度は下がるが結界内でしか使えないスキル――透明化なども薬の効果で少しなら使えるそうなので、戦力としては十分だろう。


 ただ、その分怪我には気を付けなくてはいけない。

 結界の恩恵が受けられない以上、戦闘が終わっても負った怪我はそのまま体に残るからだ。一応治癒スキルを持つ魔法少女もこの場に待機しているそうだが、それでも気を付けるに越したことはない。


 まあ戦闘に関して言えば遠野も鶫も基本的には遠距離からの攻撃スタイルなので、魔獣に近づきさえしなければ安易な怪我を負うことも無いだろうが。


 それにしても、と思いながら鶫は振り返って自分の後方にいる風車の姿を見つめた。

風車は何故か大きな箒・・・・を小脇に抱え、片手に大きめのビデオカメラを装備している。


 鶫の視線に気づいたのか、風車はつかつかと鶫に近づくと、いつものように淡々とした様子で口を開いた。


「これ気になる?」


「ええ、とっても」


 主語を省いた言葉だったが、言いたいことは分かる。なので鶫が同じように端的に返すと、風車はふふん、と笑い得意げに話し出した。


「二人の戦闘シーンの撮影と実況役をやることになってる。この箒は研究機関からの支給品。なんか良く分からないけど、柄に付いた魔石を動力にして空を飛べるらしい。魔女っ娘っぽくてちょっと楽しみ」


「あの、どこから突っ込めばいいのか分からないんですけど……」


 ……情報がどうしようもないくらい渋滞していた。

 風車の言葉通りに受け取ると、空飛ぶ箒に乗って鶫たちの戦う姿を撮影しつつ、その実況を風車がするということになるのだが、本気で言っているのだろうか。


 鶫が不安そうに風車を見ると、風車は小さく頷いて口を開いた。


「大丈夫。趣味でゲームの実況動画も作ってるから解説は得意。蟹工船に乗ったつもりでいて」


「それだと泥船の方がずっとマシなんですが?」


 ――地獄へ行くんだぞ、というニュアンスの言葉から始まる船の話を例に出すのは止めて頂きたい。あまりにも縁起が悪すぎる。それならまだ沈む船の話の方がマシだ。


 鶫がため息を吐きながらそう言うと、風車はてへっと誤魔化すように笑った。……仕草は可愛いが、言っていることは全く可愛くない。


「……それはともかく、風車さんも気を付けて下さいね。いくら撮影役とはいえ、戦闘領域に近づくことには変わりないんですから」


 風車の回避能力を疑っているわけではないが、何となく風車には良い映像を撮るために無茶をしそうな気配がある。悪い意味で目が離せないのだ。


 鶫が諭すようにそう告げると、風車は肩をすくめて言った。


「問題ない。むしろ、私が怪我をする可能性はかなり低い。だって私も薬を飲んでるから。いざという時は体をに変えて逃げるから大丈夫」


 そう言うと、風車は鶫の前に右手をかざして手をモクモクとした煙状にしてみせた。


 ――風車のメインスキルは、煙と光だ。一見相反する能力に見えるが、煙と光の屈折によって幻影を見せて魔獣を翻弄するなど、かなり頭の良さそうな使い方が出来る。


「それに上から都合の悪い部分・・・・・・・は隠せって指令を受けてる。どちらにせよ深追いはしない。もし二人が何かやらかしたとしても上手く煙に巻くから安心して戦って」


 風車は手を普通の形に戻すと、そう言って笑った。


 ……よくよく考えてみれば、上が風車を撮影役に指名したのはそれが理由なのかもしれない。イギリス側に下手にドローンなどを飛ばされて好き勝手撮影されるより、最初から映像を偽装できる魔法少女に撮影を頼んだ方が無難だからだ。


 ……だが、政府はなぜこうも魔法少女の使い方が極端なのだろうか。

現状維持を保ちたい保守派と、いかれた発想をしている革新派が殴り合いをしているようにしか思えない。

 その辺りは管轄外なので何とも言えないが、どちらの派閥に付いたとしても苦労しそうだ。

 将来的に政府に勤めるのだけは遠慮したいなぁ、と思いながら鶫は空を仰いだ。


 何にせよ、多少のミスは風車が見えないようにカバーしてくれるらしいので、そこまで気を張らなくてもいいのかもしれない。


 一応事前に壊さない方がいい歴史的な建造物のレクチャーは受けたが、はっきり言ってあまり頭には入ってこなかった。

 教わった直後はそれなりに覚えていたが、一晩経ったら女王の名前を冠した時計台くらいしか思い出せない。……人間って興味がない事に関しては本当に学習能力が下がるな。


 そんなことを思いつつ、鶫は風車に「お互い頑張りましょう」と声を掛けて遠野の元へと戻った。――そろそろ魔獣が現れる刻限だからだ。


魔獣アークエネミーの出現までおよそ五分。準備はいいかしら?」


「もちろん。――仕込み・・・はもう終わってますから」


 遠野の静かな問いかけに、鶫は悪戯気な笑みを浮かべて頷いてみせた。


 ――結界を張らないということはつまり、魔獣が下りてくる場所に事前に手を加える・・・・・ことが出来るということだ。


「霧に満たされたこの街はすでに私の独壇場。たかが空飛ぶトカゲ一匹、すぐに地面に引きずり落としてみせましょう」


 そうまるで悪役のように嘯き、鶫は目を細めた。


「ふふ、頼もしいわね。――さあ、狩りの時間の始まりよ」


 そう言って、遠野が空を見上げる。

 ――空は、紫色の霞が渦巻くように揺らめいていた。

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