第137話 純粋なる悪意

 とあるビル街に立ち並ぶマンションの一室に、一人の男がいた。その男は携帯電話で誰かと話をしながら、眼下に広がる夜景を眺めている。


「――ああ、来週の水曜日に話ができるように調整をしておいたよ。こちらからある程度の事情は説明してあるから、それなりの地位がある者と話せると思う。ま、詳細は追って連絡をするさ」


『何から何まですまない。……本当に、恩に着る』


「いや、別に礼はいらないさ。大事な友達に協力するのは当然のことだとも。そうだろう? ――七瀬・・


 そう言って男――朝倉あさくらは笑った。


 朝倉は電話を切ると、やれやれとでも言いたげに肩をすくめて革張りの椅子へと腰かけた。そして机の上にのったこぶし大ほどの石――乾いた血のようにどす黒い色をしたザクロの実のようなそれをジッと眺めた。


「百近い少女たちの命によって作られた、悪意の実。……本当であればもう少し力を上乗せできたんだがね。働き者の鶫君には困ったものだ」


 そう言って、朝倉は疲れたような笑みを浮かべた。


――多くの被害者を出したイレギュラーの魔獣による襲撃事件。それは、この男が主犯となって引き起こされた人為的な災害である。

 十一年前にもしもの時・・・・・のためにと沙昏が倉庫に隠していた魔獣の種子を芽吹かせ、虎視眈々と機を伺い、ついにその悪意を花咲かせたのだ。


 恐らく政府はあの魔花を、適正者を攻撃するだけのモノだと思っているだろうが、本当の目的は別にある。朝倉が所属していた宗教組織【黎明の星】の教祖である梔尸沙昏が調整を加えたソレは、少女たちの命を吸い上げ苦痛を力に変換し、そして親花に蓄えられた力は凝縮され――やがて大きな果実となった。


 少女たちの絶望や苦痛が具現化したその石は、通常の魔核よりも禍々しい気配を放っている。


「もう一度十一年前の続きをしよう、沙昏君。今度こそは絶対に間違えたりはしない。……私は、私なりの意地を通す」


 朝倉はそう言うと、ザクロのような石を人差し指でそっとなぞった。仄暗く輝くそれは、ゆらゆらと妖しい輝きを放っている。


――朝倉という男は、恵まれた人間だった。裕福な家庭に生まれ、頭もよく、とんとん拍子に医師になることが決まり、美しい女性と結婚して子供を設けた。気の置けない友人もいて、まさに順風満帆といった生活を送っていたある日――その完璧な生活は崩された。


 三十一年前から突然始まった魔獣の襲撃。日本の鎖国化。物資が無くなっていく不安。そんな中で、朝倉は医師として必死の活動を続けていた。……あの頃の朝倉は、誰かのために身を粉に出来る真面目で善良な人間だったのだ。


 医師として、責任ある大人として、そして一人の父親として恥じぬよう朝倉は動乱の時期を生きていた。だがその真っすぐな性根がねじ曲がったのは、ある意味必然だったと言ってもいいかもしれない。


 ある日、怪我人の治療活動を終えた朝倉が久方ぶりに家に帰ると――最愛の妻子が死んでいた。原形も留めないほどに引き裂かれた妻と、手足がちぎれ血みどろになって動かない幼い娘。どう見ても死んでいるのは明らかだった。


……それからしばらくの間のことは、あまりよく覚えていない。近くに住んでいた友人、七瀬夜鶴が埋葬を手伝ってくれたことはかろうじて覚えているが、その他の記憶は曖昧だ。

 今にして思えば、その事件があったせいで七瀬は日本から脱出することを考え始めたのかもしれない。


 だがそんな七瀬の行動も虚しく、日本から出る前に彼の家族も魔獣の被害にあってしまった。現場となった家は朝倉の時と同じように凄惨な有様で、その現実を認められず、友人である七瀬は心を壊した。

 朝倉は以前の恩を返すようにふさぎ込む七瀬を献身的に支えたが、もしかしたらそれは病んだ友人の姿に自分を重ねていただけなのかもしれない。


 それから時が過ぎ、魔法少女という存在の台頭で比較的平和な生活を取り戻し、ようやく心の整理がつきそうになった頃――朝倉は失われたはずの亡霊と出会った。


 死んだ魚のような目をして、無人となった友人の家の前に佇む一人の少女。遠い過去に見た子供の面影があるその少女は、自らの名を『七瀬あかね』と名乗った。


――初めは、ただ嬉しかった。あかねに対する政府の扱いに憤り、泣いて喜ぶ七瀬の姿に感涙を覚え、徐々に笑顔が増えていくあかねに安堵した。

 けれど何時からだろうか、その幸せそうな二人の姿に息苦しさを感じ始めたのは。


 七瀬が楽しそうに娘の話をする度、あかねが笑いながら朝倉に挨拶する度、心の奥底に墨を落としたような怒りが滲みだしてくる。


 妻子を亡くし、絶望の淵に生き、一生消えない痛みを胸に抱きながら生きていくしかなかった友人と自分。――それなのに、何故アイツだけ・・・・・が救われて幸せそうなのか。――それがどうしても許せなかった。


 もちろん朝倉自身は、それがただの嫉妬であり八つ当たりでしかないことはちゃんと分かっていた。だがそう頭では理解しているものの、折り合いを付けることができず、憎しみを燻ぶらせ続けた。


 そんな折に、朝倉は患者に連れられてやってきたとある集会で――運命と出会ったのだ。

 彼女――黎明の星の巫女である沙昏はあっという間に朝倉の悩みを見抜き、黎明の星へ来るように誘った。そうして言われるがままに黎明の星へと入会した朝倉は、生れて始めて己のやるべきことを悟ったのだ。


 憎き魔獣の存在を許容しなければ立ち行かない日々の暮らし。いたずらに消費されていく魔法少女たち。天照の独善によって支えられた政府は、もはや腐敗しきっていて頼りにはならない。いつやって来るのかも分からない魔獣に怯える生活は間違っている。――ならば、我々のような痛みを知る善人が立ち上がるべきだと沙昏は告げた。


――これから先、無為な犠牲を出さないために力を尽くす。それが例え傍から見れば間違った方法だったとしても、結果が伴えば必ず評価される。そうすれば今まで犠牲になってきた人たち、無残にも魔獣に殺された妻と子も、きっと喜んでくれるはずだ。朝倉は、確かにそう思ったのだ。


 そしてその考えに感化された者たちが黎明の星に集い、沙昏主導の元で「くなどの神降臨の儀」の計画を推し進めていった。


 境界を司る神を人の器に降ろし、縛りを加えることでその権能を人為的に行使する。そうすることにより魔獣の出現率を押さえ、出てくる魔獣のランクを強制的に引き下げることが可能になるのだと沙昏は言った。


 そして研究者たちの試行錯誤の末に降臨の儀のシステムが完成し、あとは数か月後に神の同化を残すだけとなった。


――だがその輝かしい希望に影が差し始めたのは、何時からだろうか。

 いつも超人然とした振る舞いを見せる沙昏が、考え込む様に目を伏せることが多くなり、苛立つことが多くなったのだ。

 朝倉はその沙昏の姿を疑問には思ったが、儀式が近いのでナーバスになっているのだろうと結論付けた。


 だが儀式の当日、朝倉は沙昏がとんでもないことを仕出かしたのを知った。

 沙昏は当初の予定を勝手に変更し、朝倉の友人の孫である七瀬千鳥を本来の器――つぐみと差し替えていたのだ。


 もちろん朝倉は反対した。以前に沙昏に請われて友人の事情――朔良紅音のことを話したことはあったが、こんなイレギュラーを起すために教えたわけではない。

……それにいくら憎んでいるとはいえ、彼らの子供に罪はない。そんな子供を犠牲にするのは間違っていると主張したのだが、沙昏は首を振って朝倉の意見を却下した。


 それでもなお反抗した朝倉は、儀式の間は本部から離れた場所にある倉庫に入れられることとなり、その後の顛末は伝聞で聞いた話しか知らない。


……結局のところ、儀式は失敗に終わった。千鳥を連れてきたせいで儀式当日に朔良紅音の襲撃を受け、儀式は中途半端に実行され未曽有の大災害を引き起こしたのだ。


 儀式の中心地からは遠くにいたことと、組織の高い地位にいた朝倉は沙昏の施術によって神への耐性をある程度植え付けられていたので、何とか命を落とすことなく逃げおおせることができた。

 だが、朝倉の心に残ったのは虚無だけだった。これならばいっそ、死んでしまった方がまだ楽だっただろう。

――志した正義は無残にもへし折られ、多くの犠牲者を出した。そのどうしようもない事実は、朝倉には重すぎたのだ。


 それから朝倉は、周りには何事もなかったように振る舞いながら死んだように日々を過ごしていた。いつもと変わらない単調な日々。輝かしく見えた過去がまるで嘘のようだった。


――そして儀式の失敗から五年後。大病院の副院長に就任した朝倉の元に、一人の少女が訪ねてきた。

 組織の仲間だった若い夫婦の面影を残したその少女は、ギラギラとした目を朝倉に向け、吐き出すように言ったのだ。


「私はどうしてもあの日のことが許せない・・・・。だから私に協力してください、朝倉先生」


「この老いぼれにかい? 私に何かができるとは思えないが」


「私の神様が教えてくれたの。先生、倉庫の中身を持ち出したでしょう? それを使って力を集めて、もう一度儀式を実行するの」


「……アレは本来使用してはいけないものだ。君はそのせいでどれだけの犠牲が出るかわかっていっているのかね」


 朝倉が諭すようにそう告げると、少女は激昂した様に叫びながら言った。


「――そんな事は分かってる!! でもっ、それでも誰かが儀式を成功させないと、お父さんたちは無駄死にしたことになっちゃう!! 二人の研究が、頑張りが、全部無駄になる!! そんなのは絶対に嫌っ!!」


 だから私が何を犠牲にしても儀式を実行するのだと、少女は狂ったように告げた。


「大義はある、意味だってある!! 儀式が成功すれば、最終的に救われる人たちの方がずっと多い!! ――朝倉先生だって、本当はあの日のことを後悔しているくせに」


「それ、は……」


「もう一度、私と一緒にがんばろうよ。幸いなことに本来の器はまだ生きている。私には先生の協力が必要なの」


 その狂っているが真っすぐな目に、思わず心が揺らいだ。


――もう後は無様に終わるだけだと思っていた。意義もなく、意味もなく、無為に消費される人生。背負いきれぬ罪はもう既に山ほどある。その罪を増やしたとしても、救える命があるのなら動くべきではないだろうか?

 沙昏が残した遺産を使えば、少なからず犠牲者がでる。だがそれによって救われる命があるのなら、考える価値はあるだろう。


 見失ったはずの大義と、事件のせいで擦り切れた倫理感。壊れかけていた天秤は、やがて片方に傾いた。

――そうして朝倉は少女の手を取った。それは決して自らがかつて望んだ正義ではなく、悪の茨の道であると自覚しながら。


 朝倉がそうして昔のことを回想していると、ガチャリと部屋のドアが開き一人の少女が中へと入ってきた。


「せんせー、夕飯買ってきましたよ。チーズましましのピザにしちゃったけど大丈夫ですか?」


「……あのね、君は私が何歳なのかちゃんと分かっているかい? もう油ものは胃がもたれてそんなに食べられないんだよ」


「えー、じゃあ先生はついでに買ってきたサラダでも食べてて下さいよ。それなら健康的でしょ?」


「うーん、相変わらず雑な扱いだね。まあ、別にいいさ。今日のMVPは君――蘇芳くん・・・・だからね」


「えへへ、当然ですよね!!」


 そう言って、魔法少女側に属し、政府を騙しきって魔花の魔核を回収してきた少女――吾妻蘇芳は無邪気に笑った。


 彼らの最終目的は、境界を司る神の再降臨。――つまりそれは、七瀬鶫の実質的な死を意味する。

 吾妻の契約神の協力と、後に現れた沙昏の支援者を名乗る神ヴォルヴァの先見の力を借り、魔核を造り上げることに成功した。残るは七瀬鶫を確保し、儀式を成功させることのみ。


「あの子を救おうとした沙昏くんには悪いと思うが、当初の予定通りになるだけだ。――女神ヴォルヴァの話では、鶫君の中に彼女の精神が潜んでいるらしいからね。うん、彼女と話をするのが今から楽しみだ」


 そう呟くように言うと、朝倉はふっと穏やかな笑みを浮かべた。


 間違った大義を抱く者達の夜は、ただ更けていく――。

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