第131話 斬鉄の問い

 鶫は壬生に手を引かれながら廊下を歩いていた。

……すれ違う人々がギョッとした顔でこちらを見る度に、転移で逃げてしまいたい気持ちになる。どちらかというと、彼らが注目しているのは水着姿よりもその上着――血まみれのパーカーの方なのだが、混乱中の鶫には分からなかった。


 そうして人目に晒されながら、対策室からほど遠くない場所にある医務室になんとかたどり着いた。


「すみませーん。怪我人を見てほしいんだが」


 壬生が大きな声でそう言いながら医務室へと入っていく。鶫はそれに続くように「失礼します……」と控えめに言いながら壬生について行った。


「んん? 誰もいないのか」


 医務室の中に入って無人のテーブルを見てみると「ただいま第三医務室に外出中」と書かれた紙が置いてあった。どうやら勤務医は不在らしい。


「仕方がない。腕は消毒して服は適当に借りよう。シャツとスカートくらいは置いているだろうから」


 壬生はそう言うと、ごそごそと戸棚をあさりだした。そして目当ての服を見つけると、そのまま後ろにいた鶫の方へと服を投げてきた。鶫はそれを慌てて受け取りつつも、「壬生さんは自由だなぁ」と呑気に考えた。


 投げ渡されたのはシンプルな白いYシャツに、タイトな青色のロングスカートだった。サイズが合うかどうか少し心配だが、それは着てみてから考えればいい。


 そんなことを思いつつ、鶫は壬生に促され部屋にあった丸椅子に座り、ひどい状態になっていたパーカーを脱いだ。……割とお気に入りの服だったのだが、多分もう二度と着れないだろう。


 消毒液の瓶を片手に持った壬生は、鶫の傷口をまじまじと見ながら感心したように言った。


「うん、綺麗に繋いであるな。でもこれだと奥の方は消毒出来ないなぁ。もう一回開いて広げてから消毒するか?」


 何でもない風にさらりとそう告げた壬生に、鶫は笑って答えた。


「あはは、そこまではしなくても大丈夫ですよ。壬生さんもそんな冗談言うんですね。……冗談ですよね?」


 鶫が念の為そう問いかけると、壬生は一瞬だけピタリと動きを止め「冗談だぞ」とニコリと笑って言った。……これは恐らく本気で言ってたな。


 内心冷や汗をかきながら合わせるように引き攣った笑みを浮かべていると、壬生は「じゃあこのまま消毒しても大丈夫か。えい」と小さな掛け声をかけて消毒液の入った小瓶を傷口の上で引っ繰り返した。びしゃりと冷たい液体が傷口に触れる。


「ひゃっ!? 冷た、熱っ、いややっぱり寒い!?」


 液体の冷たさと、エタノールの触れた傷口の焼けるような熱さ。そしてそれが気化する寒さをほぼ同時に味わい、鶫は悲鳴を上げた。


「な、何するんですか急に……! びっくりしたじゃないですか! 消毒液はそんな風にドバドバ使うものじゃないですからねっ」


 壬生のいきなりの暴挙に動揺しながら鶫が抗議の声を上げると、壬生は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「こういうのはいっぱい使ったほうが効果があるんじゃないのか?」


「いや、そんな魔法のポーションじゃないんですから……。消毒液はコットンに含ませるくらいで十分ですよ」


 相変わらず天然な所があるな、と思いつつ鶫がそう諭すように優しく告げると、壬生は感心したように頷いた。


「そうだったのか……。すまない、次からは気をつける」


「いいんですよ、悪気がなかったことくらいわかってますから」


 とはいえ床に落ちた消毒液が気化してきたのか、部屋が異常にアルコール臭いのが気になった。……火種があったら爆発してもおかしくはない。


 そんなことを思いつつも、鶫はベッドが置いてある場所のカーテンを引いて、急いで服を着替えた。幸いにも渡された服はピッタリで、そこまで違和感はない。夢路の別荘で借りたままになっていた可愛らしいサンダルがやや服には似合わないが、これくらいならば問題はない筈だ。


……ただひとつ文句があるとすれば、白いYシャツに黒い水着が少し透けることだろうか。まじまじと見なければ分からない程度だが、これは大丈夫なんだろうか。


 少し不安に思いつつ、鶫は医務室の窓を開けた。クーラーで冷やされた空気が勢いよく外に出て行き代わりにじっとりとした生暖かい空気が中に入ってくる。

……アルコール臭を抜くためにはしばらく窓を開けっぱなしにする必要があるが、勤務医が返ってきたとき驚いたりはしないだろうか。一応メモ書きの一つくらいは残しておいたほうがいいかもしれない。


 そうして鶫はサラサラと消毒液の件と服を借りた旨をメモすると、手持ち無沙汰にしていた壬生に向かって話しかけた。


「お待たせしました。対策室に戻りましょうか」


「ああ、うん」


 そう言葉少なに返事をした壬生はおもむろに鶫の前に立つと、感情の読めない顔で鶫のことを見上げた。綺麗な丸い目が鶫を見つめる。


「なあ。――私に何か隠し事をしていないか」


 壬生が静かに告げた言葉に、鶫は思わず息を飲み込んだ。

――隠し事。心当たりはいくつもあるが、バレる様なへまはしなかった筈だ。ざわり、と軽い鳥肌が立つ。壬生は何かに感づいたのだろうか。

 だが、鶫は動揺をおくびにも出さずに平然とした様子で言葉を返した。


「……何のことですか? 仰っている意味がよく分からないのですが」


 困ったように笑みを浮かべながら、いつもの『葉隠桜』を意識して小首を傾げる。

そうして数秒間黙ったまま見つめ合うと、壬生は興味を無くした様に目をそらしてへらりと笑った。


「あー、もういいや。私の勘違いだった。忘れてくれ」


「そうですか? ならいいんですけど……」


 鶫が内心ホッとしながらそう言うと、壬生はいまいち腑に落ちていないような顔でこう告げた。


「なんだか少しだけ、変な気配がした気がしたんだ。果物が腐ったまま入っている箱を開けたような、そんな奇妙な気配。てっきり傷口にまだ魔獣の欠片が残っているのかと思ったけど、別に大丈夫ならいいんだ。たぶんアルコールの匂いで鼻がおかしくなったんだろう」


 うんうんと頷きながらそう言った壬生に、鶫は不思議そうに首を捻った。そっと腕などの匂いを嗅いでみるが、特に変な匂いや気配はしない。

 きっと壬生が言うようにアルコールで一時的に鼻がおかしくなったのだろう。鶫はそう結論付けて小さく頷いた。


 そうして二人で対策室に向かって戻る途中、壬生がふと思いついたかのように口を開いた。


「――そう言えば、私の友達に葉隠とそっくりな奴がいるんだが、ひょっとして生き別れの兄妹がいたりしないか?」


「んん゛っ、どうしたんですかいきなり」


 その唐突なジャブに、鶫は思わず言葉を詰まらせて咳払いをした。


「いや、いつか聞こうと思っていたのを思い出して。その子は私の一つ上なんだが、子供の頃の記憶が無いらしくてな。葉隠とは顔以外にも似ているところがあるし、もしかしたら知っているんじゃないかと思ってな」


 世間話の延長のように軽くそう問いかける壬生に、鶫はどうしたものかと考え込んだ。

――政府の一部、遠野などの人間にはすでに『葉隠桜』の正体はバレてしまっている。ならば壬生や鈴城の様な親しい友人くらいには、自分の正体を打ち明けてもいいんじゃないだろうか。そう考え――心の中で小さく首を横に振った。


 たとえ話すにしても、まだ時期が早すぎる。鶫が正体を隠して政府に入り込んだ目的――さくらお姉ちゃんの真実にはたどり着いたが、それでもまだやることは残っている。

……友達に正体を黙っていることに罪悪感はあるが、八咫烏の真意や、千鳥の問題が一段落するまでは不安要素は増やしたくない。


「うーん、残念ですけど私には分からないですね。とくに弟がいたという記憶もありませんし」


「……そっか! なら別にいいんだ。変なことを聞いて悪かったな!」


 壬生はニコリと笑ってそう言うと、この話はもう終わりだと言いたげに歩調を速めた。どうやら取りあえずは納得してくれたらしい。


 はあ、と胸を撫で下ろす。……壬生と鈴城は、鶫にとっても大事な友達だ。秘密を話した結果、二人に怒られたり嫌われたりする可能性はあるが、それでもいつかはきちんと話をしないといけない。


――だって一番悪いのは、嘘を吐いている自分自身なのだから。






◆ ◆ ◆






――後ろから着いてくる葉隠の足音を聞きながら、壬生は誰にも聞こえないような小さな声で呟くように言った。


「弟、か。――誰も男だなんて・・・・・一言も言ってないのに」


 じわりと滲む不信感。――葉隠桜は、確実に七瀬鶫のことを認識している。だが、それを誰かに話すつもりはないらしい。


「……蘭ちゃんに少し話してみるか」


 そう言って、壬生は目を伏せるようにしてため息を吐いた。どうやら、問題事は色々と山積みらしい。



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