第108話 記憶の鍵

 遠野の足元から、じわじわと赤い炎が広がっていく。その炎は、あっという間にコンテナの中を侵食した。千鳥のすぐ側にも炎はやってきたが、不思議と熱さは感じない。


――だが、誘拐犯たちはそうではないようだった。


「熱いあつい、痛い!!」


「やめてくれ!! 俺を燃やさないでくれ!!」


 誘拐犯たちは必至な様子でそんな言葉を叫びながら、逃げ場のないコンテナの中を這いずり回っている。そんな阿鼻叫喚の景色の中で、遠野は緩やかな笑みを浮かべながらコンテナの中央に佇んでいた。その姿はまるで慈愛の聖母のようでいて、恐ろしい断罪者のようにも見える。


 千鳥はその光景をぼんやりとただ見つめていたが、炎の海をまたぐ様にコンテナの中を走り駆け寄ってきた見覚えのある少女によって、現実へと引き戻された。


「千鳥ちゃん大丈夫!? ああ、こんなに血が‥‥‥」


「すずしろ、さん?」


 千鳥が少なからず面識がある相手――鈴城蘭は、酷く心配そうな顔をして、水がしみ込んだタオルで千鳥の顏を優しく拭った。あっという間に赤黒い色に染まったタオルを見て悲しそうに眉を下げた鈴城は、労わるように千鳥の背中をさすった。


「――ごめんね、遅くなって。うちらが来るのがもう少し早ければ、こんな怪我なんてしなくても済んだのに」


 その鈴城の言葉に千鳥はゆっくりと首を横に振った。――この怪我は、自らの弱さによるものだ。助けに来てくれた彼女達が悪いわけではない。


「私は大丈夫です。……それよりも、この子のことが心配です。あの誘拐犯が話していたんですが、どうやら意識を奪う薬物を使われたみたいです。どうやら私も同じものを投与されているらしく、正直もう意識を保つのが難しくて……」


 千鳥はそう言って、腕に抱く少女のことを見つめた。少女はこの騒ぎの中でも、一向に目を覚ます気配がない。どんな薬を使われたのかは分からないが、体に良いモノではないのは確かだろう。


「うん、分かった。ここから出た後に、病院できちんと調べてもらおうね。場合によってはうちが安全な解毒薬を用意するから安心して! ――だから、もうゆっくり休んで。後のことは、うちらが何とかするから」


 ふらふらとしながら何とか意識を保っている千鳥に、鈴城は明るい調子でそう告げた。


――きっと、こちらを安心させるためにわざと明るく振る舞ってくれているのだろう。その気遣いが、泣きたくなるほど嬉しかった。


「はい、よろしく、お願いします……」


 そう言って気を抜いた瞬間、千鳥は倒れ込むようにして意識を失った。事実、千鳥の体はもう限界だったのだ。頭の怪我に、投与された薬。そして無理をして能力を使った代償はあまりにも大きかった。



「わっ、危ない。……そうだよね、千鳥ちゃんも辛かったよね」


 鈴城は床に倒れそうになった千鳥を間一髪で支えると、心配そうに小さく息を吐きだした。


 誘拐犯たちは遠野の炎――術者に指定された物以外を焼かない特殊な火によってのたうち回っており、鈴城の出る幕はない。遠野はゴミを見るような目で誘拐犯たちを見つめながら、手に持った銃――ゴム弾で彼らの意識を刈り取っている。


……念のため突入用に即効性の睡眠薬を用意していたが、それよりも先に遠野がコンテナの中に飛び込んでしまったので、それも無駄になってしまった。


 だがその素早い行動のお陰で、被害者の彼女達が余計な怪我を負わなくて済んだのは僥倖だろう。女の子の体に、大きな傷なんて似合わないのだから。


――なんとか船に乗せられる前に、二人を見つけ出すことが出来た。でも、この状況はあまり良いものではない。……はやくこの二人を病院に連れて行かないと。


 けれど鈴城の腕力だけでは、二人の人間を運ぶことはできない。そう考えた鈴城は、能力を使い自分の隣に水の塊を呼び出した。そしてその水を器用に手の形にして操り、千鳥ともう一人の少女を抱き上げたのだ。


 そうして気絶している誘拐犯たちを避けながら出口に向かって進んでいると、目の前に倒れていた男がゆらりと立ち上がった。ところどころ蚯蚓腫れのような傷を負っているようだが、火傷というほどの怪我はしていない。おそらく、あまり大きな怪我をさせない様に遠野が火力を調節しているのだろう。


 その男はぼんやりとした目で顔を上げると、血走った目で水の手を見た。


「み、みず? ――その水を、俺によこせぇぇぇ!!」


 それは、恐らく本能による行動だったのだろう。縋る様に千鳥たちを乗せている水の手に向かってよろよろと走り始めた。


「いいよ、好きなだけ飲めば?――飲めるならね」


 鈴城はそう言って男に向かって手を伸ばし、何かをぐっと握る動作をした。すると男の周囲の空気が揺らぎ、水の塊が男の顔の前に飛び出した。その水は男の首に巻き付くと、まるで生物のように蠢いて男の首を絞めつけていく。


「あ、ぐぅ、息が……」


「水なんて取り調べの後でゆっくり飲めばいいじゃん。――あーあ、女の子に酷いことをする奴らなんて、皆いなくなっちゃえばいいのに」


 酸欠によって倒れた男を冷たい目で見降ろすと、鈴城は足早にコンテナの外を目指した。


「ねえ、この二人のことを急いで病院に運んで! 怪我もしてるし、なんか変な薬を盛られたって言ってたから!!」


「はい、了解しました!! 鈴城さんと遠野さんはどういたしますか?」


「うちは一緒に病院に付いてくよ。遠野さんはまだちょっと忙しいみたいだし、緊急の時は先に移動しても大丈夫だって言ってたから」


「そうですか。ではこちらへどうぞ」


 鈴城は近くに待機していた政府の職員にそう告げ、二人を転移管理部の魔法少女がいる場所へと運んだ。


 転移管理部の女性は血まみれの千鳥を見てやや動揺した仕草を見せたが、それをぐっと押さえこんで淡々と転移の準備を進めていた。……確かに知り合いのこんな姿は堪えるだろう。


――彼女のこの姿を見たら、つぐみはどう思うだろうか。


 そんなことを考えながら、鈴城は二人が早く回復するように祈って目を伏せた。地面に浮かんだ魔法陣が、鈴城たちを病院へと運んでいく。光が消えた後には、誰もいない空間だけが残された。







◆ ◆ ◆






「さて、と。これで全部片付いたかしら」


 そう言いながら、遠野は手を上げて指を弾いた。パチンと音が鳴り、それと同時にコンテナの中の火が消えていく。


 床に転がっている誘拐犯――どこかの国の工作員たちを冷めた目で見つめながら、遠野は悩まし気なため息を吐いた。


「でも、助けるのが少しギリギリになってしまったわね。反省しなくちゃ。まあ、私が後少し遅くなっていたとしても、どうせ貴女・・が動いていたでしょうけど。――ねえ、葉隠さん?」


 遠野はコンテナの奥――背の高い木箱が置かれている方へ向かって、そんな言葉を投げた。その木箱は、先ほどまで千鳥たちが背にしていたものだ。


 遠野の言葉に促されるように、ガタリ、と音を鳴らしながら木箱の後ろから人影が現れる。


「……遠野さん。貴女は一体、どこまで知っているんですか」


 酷い頭痛を耐えるかのように左目を押さえた葉隠桜――鶫は、呻く様な声でそう言った。


――遠野の手紙に従ってこの場所にたどり着いた鶫は、堅気には見えない連中が出入りしているコンテナへと転移で忍び込んだ。だが鶫が木箱の裏へと飛んだ時、千鳥は既に誘拐犯と相対している最中だったのだ。


 鶫は咄嗟に糸を張り巡らし、千鳥に銃を向けている銀髪の女の右手に極細の糸を絡めた。もしその引き金を引こうものなら、その手を銃ごと切り落としてやろう考えたのだ。


……この時の鶫は、やや冷静ではなかった。能力を使って人間を傷つける――そのことに、一切躊躇いを抱かなかったくらいには。


 ただその目論見は、突如として現れた遠野によって防がれた。銃を持った女に絡めた糸は炎によって焼き払われ、銃はチョコレートのように溶かされてしまった。そして、鶫がハッとして辺りを見つめているうちに、遠野はあっという間に誘拐犯を制圧してしまったのだ。


 その後は息を殺しながら鈴城が千鳥たちを連れ出すのを見届け、鶫はひっそりと隠れる様にコンテナの床に座り込んでいた。


――だが、千鳥の周囲が燃えている光景を見てから、どうにも頭の痛みが治まらない。まるで、脳がその光景を見ることを拒否してるかのように。


 そんな苦痛に耐えている最中、鶫のことを見透かすように遠野に声を掛けられたのだ。――鶫が遠野を警戒をするのは、当然のことだった。


「どこまで、と言われても少し困るのだけれど。私はあくまでも、八咫烏の指示に従っているだけだから。でも、そうね――貴女には可哀想なことをしたと思っているの。だって、きっと思い出さない方・・・・・・・が幸せだったろうから」


「……は?」


「あらあら、怖い顔ね。折角の綺麗な顔が台無しよ」


 訳の分からないことを言い出した遠野に、鶫は眉を顰めてそう返した。だが、遠野はそれを気にも留めずに続ける。


記憶の鍵・・・・はもう開いた。でもここに来るのを決めたのは貴女自身だし、後悔は無いでしょう?」


「記憶? 何を言って……、っ、ぐっ……」


 脳をかき回されたかのように、視界が揺れる。ズキズキと断続的な痛みを放つ左目が、それに拍車をかけていた。


「そんなに心配しないで? 別に私はこのことを誰にも話すつもりなんて無いわ。そんなことをしたって、私には何の得もないもの。じゃあね、葉隠さん。これからも変わらずに仲良くしてくれると嬉しいわ」


 遠野は一方的にそう告げると、くるりと鶫に背中を向けた。そして振り返りもせずに歩き出した。


「ま、待って。まだ話は終わって――」


「待たないわ。――さようなら、巫覡の子。貴方・・がその身に宿る罪を思い出した時、またゆっくりとお話しましょう」


 そう言って、遠野は去っていった。鶫は呆然とその姿を見つめていたが、入り口の方から別の人間の気配を感じ、急いで身を隠した。どうやら、誘拐犯たちを回収しに政府の人間が入ってきたらしい。


……葉隠桜がここにいるという事は、誰にも知られてはいけない。


 そう考えた鶫は、頭の痛みを堪えながら、政府の近くにある人気のない場所へと転移した。そこで変身を解き、覚束ない足取りで政府の方へと歩きだした。


――遠野は、一体何を言っていたのだろうか。抽象的な表現が多すぎて、まるで煙に巻かれているかのようだった。しかも、記憶を失う前の鶫のことを知っているかのようなあの口ぶり。意図しない内に手のひらで転がされているような感覚に、吐き気がした。


「……わけが、分からない」


――誰かに相談をしたい。ベルは話を聞いてくれるだろうか。失った記憶のことならば、緋衣の方がいいかもしれない。それともシロに話をしてみようか。


 ぐるぐると上手く回らない頭でそんなことを考えながら、鶫はようやく政府の入り口までたどり着いた。門の前にいる警備員に事情――誘拐された魔法少女の身内であることを告げ、政府の職員が迎えやってくるのを待つ。


「貴方が七瀬鶫さんですか?」


 暫くその場で待っていると、厳格そうな眼鏡を掛けた男性が鶫にそう声を掛けた。その首からは、政府の職員を示すカードがぶら下がっている。


「はい、そうです」


「ああよかった。先ほど、七瀬千鳥さんが無事に保護されたと連絡があったところなんです。今は病院で検査を受けているんですが、命に別状はないそうですよ。――本当に良かったですね」


 男はそう告げると、「これから一緒に病院に向かいましょう。七瀬さんも、きっと目が覚めた時に弟さんがいた方が安心できるでしょうから」と続けた。


 鶫はそれにホッとした風に微笑みながら、安堵の溜め息を吐いた。


――千鳥は無事だ。ちゃんと生きている。ああ、本当に良かった。


 そう思った瞬間、気が抜けたのか頭の痛みが増してきた。割れるような痛みに、思わず呻き声を上げながらしゃがみ込む。


「七瀬君? どうしました?」


「いえ、あたまが、痛くて……」


「頭が? ……もしかして例の呪具の影響が今になって?」


 職員の男が焦ったように鶫の肩を掴んだが、鶫は何も言葉を返すことが出来ない。視界が歪み、意識が朦朧としていく。


――心配する声がどこか遠くに聞こえる。さざ波の様な雑音が、頭の中を支配していく。それはどこか心地よくて、どうしてか酷く悲しかった。


「…………ああ。ごめんね、お姉ちゃん・・・・・


 そうぽつりと小さく呟き、鶫は微睡みに身を委ねた。


――記憶の鍵は開かれた。遠野のその言葉を思い出しながら。


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