第81話 説得の行方

――力を貸してほしい。真剣な顔でそう告げた葉隠に、雪野は小さく息を呑んだ。絶対に諦めないという強い意志と、それに相反するように時折浮かぶ不安の色。けれど、視線だけはしっかりと雪野達に向けられている。


「力を貸せと言われても、詳細が分からない限りは返答できない。君は一体何をするつもりなんだ?」


 雪野がそう問いかけると、葉隠は真剣な顔をして話し始めた。


「まずは前提として、柩さんを魔獣の支配から解放するのが第一条件となります。核さえ切除できれば、柩さんが操られることは無くなりますよね?」


「……理論上は可能だろうな。魔核を取り出して強制的に柩とのパスを遮断してしまえば、柩が操られることも無くなる。柩を経由して神力タンクにされている契約神も目覚めるはずだ。問題があるとすれば、魔核の侵食がどれくらい広がっているかだろうな。深く根を張っている部分は周りの肉ごと切り取らなくてはならないかもしれない。だが魔核の位置が分からない以上、その方法は使えないぞ。まさかとは思うが、当てずっぽうで柩の肉を切り取るつもりか?」


 雪野が強めの口調でそう問い掛けると、葉隠は小さく首を横に振った。


「――私には、柩さんに巣食っている魔核の位置が分かるんです。その侵食範囲も、おぼろげですが把握しています。手が触れる場所まで近づく事さえできれば、切除自体は可能だと思うんです」


「……馬鹿を言うな。僕の契約神ですら核の場所が分からなかったんだぞ。普通の人間にそんなことが分かるわけがない。それに、そんなことが出来るなら何故もっと早く言わなかったんだ。出し惜しみのつもりか?」


 雪野は眉を顰め、そう言った。雪野の契約神の名はナーサティヤ――インドの医術を司る神だ。その医神を超える診断を人間ができるとは思えなかったのだ。それに加え、このタイミングでの申告はあまりにも不誠実だ。到底信用することはできない。


 強めの口調で責められた葉隠は、何かを耐える様にぐっと唇を噛みしめた。唇に赤い血が滲む。


「……わざと黙っていたわけではないんです。何故魔核の位置が分かるのかは、私にも上手くは説明出来ません。この力は、私の自由意思で使えるものではないんです。ただ、今の私にはソレがちゃんと視えている・・・・・。絶対に見間違えたりはしません。どうか、信じて下さい」


 葉隠は自身の左目の辺りをそっと撫でながら、再度頭を下げた。


 その葉隠の姿を見つめながら、雪野は目を細めて思考した。

――『視える』と断言するということは、魔眼の類なのかもしれない。だが、葉隠の基本スキルは【糸】と【転移】である。魔眼の能力が入る空きはないはずだ。


 人の中には極稀に――雪野の親戚の女性の様に人智を超えた力を持つ者もいる。だが、そういった能力を持つ人間は、例外なく魔法少女としての適格を有していない。神力を受けるための器が異能で埋まってしまっているからだ。……この矛盾は、一体どういうことなのだろうか。


「――さっきからごちゃごちゃと煩いんですよ」


 雪野が考え込んでいると、黙って話を聞いていた日向が低い声でそう告げた。


「面倒な問答なんてこれ以上必要ないです。結局、柩せんぱいは助かるんですか? 助からないんですか? 頼むから、答えて下さいよ。私は、せんぱいにだけは死んでほしくないんです……」


 日向の声は、微かに震えていた。その目尻には涙が溜まっており、今にも零れそうになっている。僅かな希望に縋るようなその姿は、いつもの強気なイメージからは掛け離れたものだった。


……今にして思えば、日向は柩に対してだけは心を開いていたように思う。周りに反発して敵を作る日向に、柩はいつも諭す様に根気よく話しかけていた。日向にとって、柩は姉の様な特別な存在だったのかもしれない。


――けれど、情だけでは何も救えない。

 柩を助けるために動く――葉隠は軽く『助ける』と嘯いてみせたが、あの様子だと成功率はそこまで高くない様にも思える。失敗した時の被害を考えれば、まったくもって論外な提案だった。


 雪野が拒否の言葉を紡ごうとしたその時、葉隠が動いた。


「――助けます」


 はっきりと、葉隠はそう言った。そして葉隠は、日向の肩に両手をのせ、しっかりと視線を合わせた。


「必ず救い出します。――柩さんを、絶対に死なせたりなんかしません」


 ぼろり、と日向の瞳から大きな雫が零れた。そして日向はほろほろと涙を流したまま、絞り出すような声で言った。


「わたし、貴女を信じます。――何でもしますから、どうか柩せんぱいをたすけて下さい」


 小さく嗚咽を漏らしながらそう告げた日向を見て、雪野は深々とため息を吐いた。


――これで僕が断れば、まるで僕の方が悪役みたいじゃないか。


 けれど、何故だろうか。葉隠の言葉には、どこか『信じてみよう』と思わせる不思議な魅力があった。それは果たして、天使の囁きか、それとも悪魔の甘言か。……どちらにせよ、結論は出さなくてはならない。


 雪野は一瞬の思案の後、ずっと握りしめていた右手を開いた。


「まったく。僕も焼きが回ったかな」


 そう小さくぼやき、雪野は葉隠へと近づいた。


「はあ、仕方ないから僕も手を貸してやる。――だが、まずはその作戦とやらを聞かなければ何も始まらない。頼むから、僕を失望させないでくれよ?」


 そう言って、雪野は笑った。




◆ ◆ ◆




 鶫が作戦の概要を説明し終えると、雪野はやや渋い顔をしたが何とか納得した様だった。その事にホッと胸を撫で下ろし、小さく息を吐く。元々、日向よりも雪野の説得の方が困難だと思っていたからだ。


「……確かにそれなら何とかなりそうだな。何なら柩が身動きが取れないうちに実行した方がいいんじゃないか? 停止の札も、あと二、三分しか持たないはずだぞ」


「いいえ、動いている柩さん相手じゃないと意味がないんです。そうしないと、力の流れが読めませんから」


 そう言って、鶫は軽く肩を竦めた。筋肉の動きや、血の巡り。そういったものを動いている状態で観察しなければ、どこまで深く根が張っているか分からないのだ。ざっと見た限りでは根は右肺までで留まっている様だが、詳しく見てみなければ判断はつかない。


「札の準備は出来ました。……本当に、大丈夫なんですよね?」


 不安そうな顔で、日向がそう問いかけた。それに鶫は、しっかりと頷いてみせる。


――成功率は多く見積もって七割。お世辞にも高いとは言えないが、何故か鶫には自信があった。胸の底を渦巻くような高揚感と熱。それは、あの白い少女が鶫の背中を押しているようにも感じたのだ。


「大丈夫。きっと上手くいきます」


 自分に言い聞かせるように、鶫は日向にそう告げた。


 そして鶫は、日向と二人で停止している柩に近づいた。胸元に貼られている札は黒いひび割れのような物が広がっており、今にも破けそうだ。……この様子だと、動き出した瞬間にまた大量の箱が展開されるかもしれない。だが、その為の対策はもうとってある。


「言われた通り、私に『防御』『回避』の札を使用しましたけど、葉隠さんには何もしなくて良かったんですか?」


「私は大丈夫です。――上手く言えないけど、今は凄く調子がいいんですよ。何が来ても、避けられる気がするんです」


 そう言って鶫はふわりと笑った。いつの間にか頭痛はひき、意識はクリアになっている。そして柩に絡みつく黒い炎とは別に、そこかしこに点在する紅い炎。何となくだが、この紅い炎には近づいてはいけない気がするのだ。


 恐らくだが、この紅い炎は次に箱の現れる場所――もしくは怪我を負いやすい場所を示唆しているのだろう。つまりこの炎を避けつつ、魔核が侵食している部分を見極めさえ出来れば、それだけで作戦はほぼ成功とも言える。浸食部位さえ分かれば、後は転移で近づけばいい。


「魔核を刈り取るための糸と、転移するための力はもう回復している。……ここが正念場ですね。――さあ、囚われのお姫様を助けに行きましょうか」


「はあ、偉そうに指図しないでくれます? ……でもまあ、頼りにしてますから」


 鶫がそう告げると、日向はそんな憎まれ口をたたき、ふっと微笑んだ。そして軽く鶫の背中を叩き、真剣な顔で前を向いた。


――やるべき事ははっきりしている。さあ、為すべきことをしよう。


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