第67話 策士と子供

 長い廊下を歩きながら、鶫は疲れた様にため息を吐いた。


――少し、やり過ぎたかもしれない。


 そんな考えが頭の中に浮かぶ。いくら必要なことだったとはいえ、自分よりも格上ばかりがいる場所で、あんなにも失礼な態度をとるのは鶫としても本意ではなかった。……生意気だと嫌われていないといいのだが。


「いつまでもうじうじするな。万事が計画通りに進んでいるのだから、良いではないか」


「……そうだね」


ベルの叱責に、鶫はそっと右手で胸を押さえた。


――事の発端は、因幡との会話からだった。


 会議が始まる二時間前・・・・に政府に到着した鶫は、まず初めに魔獣対策室に顔を出した。その理由は、六華や他の三人の為人ひととなりを詳しく聞き出すためである。

 あらかじめネットや雑誌などで各人の情報は集めてはきたが、実際に一緒に仕事をしている人達から直接話を聞いた方が確実だと考えたからだ。


 それに、単純に彼らにお礼をしたかったというのもある。B級の魔獣との戦闘の際に、様々な尽力を彼らはしてくれた。折角会う機会が出来たのだから、ちょうどいいと考えたのだ。


 そして対策室に訪れた鶫が歓迎ムードの中で因幡達から聞かされたのは、衝撃的な言葉だった。


――それは序列五位、日向葵の悪辣さである。


 世間にはあまり広まっていないが、彼女の上下関係に対する価値観は、それはもう凄まじいものだった。日向は幼いころから芸能界で活動しているせいか、芸歴――活動年数というものに強いこだわりを持っている。彼女の常識の中では、年齢よりも活動期間が長い方が『先輩』として敬われるべき、となっているらしい。


 因幡によると、活動開始が数か月しか変わらない雪野ですら、日向にとっては攻撃対象にあたるらしい。……なんて面倒な性格をしてるんだ。


 それに加え、日向の性格を考えると、今回の会議で鶫――葉隠桜に突っ掛かってくる可能性はかなり高いそうだ。方向性としては、十華としての実力不足の指摘だろうか。

 葉隠桜が、未だイレギュラーを除いてA級の魔獣を倒していないという事実は、確かに十分な攻撃材料となりうる。


 そんなどうしようもない裏事情を聞いて鶫が頭を抱えていると、因幡から一つの提案を受けた。――模擬戦の実施である。

 即ち、シミュレーターを用いたA級との仮想戦闘だ。実際にA級と戦って見せることで、十華のメンバーに直接実力を示す、ということらしい。


――だが、会議の場で仮想戦闘を提案するだけでは生温い。どうせやるならば、この際徹底的に日向の鼻を明かしてやるべきだ。因幡は笑ってそう言った。


 そして鶫と因幡を含む魔獣対策室の面々は、二時間しっかりとその作戦を煮詰めた。会議に遅れそうになったのはその為である。


――作戦の第一段階は終了した。後は、無事にA級の魔獣に勝利するだけだ。

 鶫が緊張しながらそう考えていると、ベルがふわりと鶫の前に移動した。


「それにしても、意外だったな。――真っ向から六華相手に喧嘩を売る提案をする政府の犬いなばの奴も相当だが、貴様もよくあそこまで上手く煽った・・・ものだ」


 ニタリと意地悪そうに笑いながら、ベルは鶫の顔を覗き込んだ。


「やだなあ、ベル様。いつも七瀬鶫わたしがどれくらい悪辣な奴と一緒に居るか知らないわけじゃないでしょう? あれくらい、行貴あいつに比べたらまだまだ手ぬるいよ」


 それに対し、鶫は至って冷静にそう答えた。その姿は、先ほどまで好戦的に日向のことを煽っていた様子とはまるで別物である。それはそうだ。だってあの姿は――ほとんど演技だったのだから。


――二時間の作戦会議の中で、因幡がまず初めに鶫に指示したのは、『日向を怒らせる』ことである。それは、この後に控えている第二の策を効果的に実現するための仕込みだった。

 会議に遅れていく時点で日向が喧嘩を売ってくることは想定していたので、このミッション自体はそこまで難しい物ではない。


 それに鶫には、最大の武器があった。――そう、行貴の行動の模倣である。


 他者を怒らせ、行動を操り、自分の望む方向へ思考を誘導する。そのプロフェッショナルである行貴と普段から共に過ごしている鶫にとっては、割と単純な思考回路をしている日向の行動を操ることなんて、とても簡単な仕事だった。……まあ、それを自分でやりたいかどうかは話が別だが。


「後は勝つだけ。……正直相手によっては厳しい時もあるかもしれないけど、因幡さんの第二の策が成功すれば、十分に勝ちの目は見えてくる」


 鶫は祈るように右手を心臓の上に置き、目を伏せた。


「頼みますよ、因幡さん」


 そう呟きながら、鶫は廊下の先で待機していた対策室のスタッフの一人に促され、シミュレータールームの中に入っていった。





◆ ◆ ◆




「お待ちしておりました。席は事前に用意してありますので、そちらへどうぞ」


十華の面々がモニタールームの前に着くと、魔獣対策室の因幡が丁寧な口調でそう促した。その言葉に眉を顰めながら、日向が言う。


「また貴女ですか……。いつから対策室は葉隠桜の犬になったんですか?」


「馬鹿なことを言わないでくれませんか? 私たちはあくまでも政府の利の為に動いています。政府の顏である十華あなたたちが仲違いするのは、私達としても本意ではないのですよ。これは、その為に必要な措置でしかありません。――まあ個人的な好みで言えば、捻くれた子供なんかよりも、素直で可愛い子の方が好ましいのは確かですけど」


 高圧的な日向に対し、それを鼻で笑うかのように因幡は言った。

 他の十華の面々は、やや呆れた様子でその光景を眺めている。


――以前から問題になっていたが、対策室と日向の相性はかなり悪い。アイドルとしての仕事を優先する日向を、対策室の面々はあまりよく思っていないのだ。それに加え日向の方は、戦いもしないくせに口うるさく注意してくる対策室のスタッフを毛嫌いしている。


……どう考えても日向の方に非があるのだが、まだ彼女が精神的に未熟なことと、六華という特別な立場だったことから見逃されていた面もある。何か切っ掛けさえあれば日向の性格も多少は改善されるのだろうが、今はまだそれも難しいだろう。


 そんないけ好かない奴の鼻を明かす機会が巡ってきたのだから、対策室の面々が協力しない理由はない。

 それにこれはあくまでも、名目上は葉隠桜への肩入れではなく、『十華の運営を潤滑にするための手助け』である。どう転んでも因幡が責められる所以はない。


 日向の言う通り介入し過ぎているのは否めないが、将来有望な魔法少女はがくれさくらの活動を円滑にするための手伝いだと考えれば、政府の理念から見てもそこまで可笑しいことではない。


――確かに今はまだ、葉隠桜の力は他の十華には及ばない。だが、対策室の面々は確信していた。きっと彼女は、十華の中でも有数の実力者に昇り詰めると。

 葉隠桜の成長率は、他の魔法少女と比べるとかなり著しい物となっている。このまま順調に魔獣を狩り続けることができれば、それも夢ではないだろう。


「ふん。まさかとは思いますけど、ズルはしてないでしょうね。貴女の立場なら事前にシミュレーターの相手を葉隠桜に伝えることだってできるでしょう? もしあらかじめ対策ができるなら、力を試す意味がなくなるじゃないですか」


 日向が不満げな顔をしてそう言った。微かにだが、柩や雪野も疑いの籠った目で因幡を見つめている。


……対策室の葉隠桜への態度は、政府の中でもそれなりに有名になっている。疑われること自体は当然のことだ。

 だが今回の件に関しては、葉隠桜も、そして対策室の面々もルール違反はおかしていない。因幡がしたのはあくまでも『助言』と『提案』、そしてほんの少しの手助けである。何の問題もない。


「まあ、皆さまが私達を疑いになる気持ちも分かります。私が皆様の立場だったなら、間違いなく不正を疑いますから。――ですので、日向さん。貴女がこれ・・の設定をお願いします」


 因幡はにこりと微笑みながら、タブレット端末を日向に手渡した。そして訝しそうに受け取ったタブレットを覗き込んだ日向は、驚いたように目を見張った。


「これは、戦闘相手の魔獣の設定画面じゃないですか」


「ええ、そうです。どうも私が見た所、日向さんが一番葉隠桜さんのことを認めていないご様子だったので。どうせランダムで対戦相手を決めても私が疑われて――いえ、角が立ちそうなので、貴女に決めてもらった方が公平だと思いまして。どうでしょうか?」


「……そこまで言うなら、別にいいですけど」


 そう言って日向は疑わしそうに因幡を見やると、さっとタブレット端末を操って何かを選択した。そして画面を確認すると、押し付けるようにして因幡に返却した。


 因幡が、手元に戻ってきた画面を見る。そして呟くように言った。


「A級リストNO.201、迷宮の王ミノタウロスですか」


「何か問題でも?」 


「いいえ? では、これで戦闘システムを実行させていただきます。日向さんもあちらでお持ちください。――皆さんはもうとっくに座っていますよ」


 そう、他のメンバーは因幡と日向がやり取りをしている間に、さっさと席に着いてしまっていたのだ。関わるのが面倒になったのかもしれない。


――けれど、このやり取りはちゃんと彼らの耳にも入っている。日向が対戦相手を選んだ以上、一切の不正はない。たとえそれが――因幡達の計画通りだったとしてもだ。


 部屋の中に入っていく日向の背中を見送りながら、因幡はそっと右手で口元を隠した。笑みが堪えきれなかったからだ。


 そっと廊下に出て、くつりと笑い声を漏らす。


「本当に、あの子は単純なんだから」


――因幡は、最初から対戦相手を日向に選ばせるつもりだった。その理由は、本来ならランダムで選ばれる筈だった相手を特定・・するためである。


 葉隠桜の実力は実質A級クラスとはいえ、相手によっては苦戦することもあり得る。たとえシミュレーターでA級の魔獣を倒してみせたとしても、ズタボロになっての辛勝では、十華のメンバーからの信用は得られない。理想は、あくまでもスマートに勝利することだ。


 もっと時間があれば、データに残されている全てのA級の魔獣の対策を考えても良かったのだが、二時間程度の話し合いでは数体分の対策が関の山だ。そこで因幡は、戦う魔獣の選択肢そのものを減らす方法を考えた。それこそが、この作戦の根幹である。


――まず初めに葉隠桜が日向に圧をかけ、怒りや反発の感情を引き出す。そして日向が怒りのせいで視野が狭まっているところに、無理やり対戦相手の選択権を押し付けたのだ。


 日向の性格から分析すれば、彼女がどんなタイプの魔獣を選ぶのかは、簡単に予想がつく。


『自分は全然苦戦しなかったが、他の魔法少女にとっては厄介な能力を持つ魔獣』

――きっと日向は、そんな魔獣を選ぶ。その予想が見事に的中したのだ。


「リストアップした三体の魔獣のうち一体が、あのミノタウロスだった。対策は十分に練ってある。つまり、ここまでは計画通り。……後は、葉隠さんが無事に勝つことを祈るだけね」


 そう言って、因幡は綺麗に微笑んだ。


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