第65話 テラスのお茶会

――時は、政府の会見から四月十五日まで遡る。


「遅ればせながら、大学への御入学おめでとうございます。あ、これ千鳥からのお土産です。よかったらどうぞ」


「うんうん、ありがとう。――それにしても、長崎のカステラか。この前は秋田の桜の花が入ったゼリーを貰ったし、千鳥は色々な所を飛び回っているんだね」


 おしゃれなカフェのテラス席に、鶫と芽吹は向かい合わせで座っていた。芽吹は差し出されたカステラの箱を受け取りながら、にこやかに微笑んだ。


「千鳥の転移スキルは、結界の外だと行ったことない場所には使えないらしいんですよ。だから休みの度に各地の支部に遠出させられているみたいで……。俺としては、あんまり無理はして欲しくないんですけどね」

 

 苦笑しながら鶫はそう言った。

――千鳥は最初に政府と契約した通り、移動役としての力を役立てている。移動の為の扉を使用するには、さっき鶫が言ったような条件はあるが、それでもその有効性は計り知れない。……役に立ちすぎて辞められなくなるのは困るが。


 転移関係のスキルを持つ政府所属の魔法少女は、基本的に戦闘にはあまり出ないため、年齢を重ねても引退をしないことが多い。


 ちなみに普通の魔法少女は、長くても二十半ばの年齢で引退していくのが常だ。その理由は肉体の衰えなどではなく、ただ単に世間の目が厳しくなってくるからである。


 その原因は、世間が魔法少女のことをアイドル扱いしていることと、自主的に引退して魔法少女の枠を空けることを望まれているからだ。

 協力してくれる神様の絶対数が決まっている以上、うだつの上がらない年嵩の女性より、若く未来のある少女がその役を担うべき、と世間が考えてしまうのは、残酷だがある意味当然のことなのかもしれない。


 六華レベルの大物になると逆に引退することを惜しまれるようになるのだが、その代わりに後輩の魔法少女からは疎まれるようになるらしい。……本当に魔法少女の業界は地獄だ。


「まあ、命の危険はそこまで無いみたいだし安心したよ。千鳥から『魔法少女になった』と聞かされた時は本当に驚いたからね。私はもう卒業したから学校では力にはなれないけど、それ以外なら何でも頼ってくれたまえ。なに、これでも多少の権力はあるからね」


 そう言って、芽吹は鶫に向かってウィンクをした。その動作が彼女に似合いすぎていて、鶫は思わず見惚れてしまった。


「ん? どうしたんだい鶫くん。そんなにぼんやりして」


「ああいえ、先輩は今日も可愛らしいなと思って」


 鶫が素直にそう答えると、芽吹は目をぱちくりとさせてから、クスリと微笑んだ。


「何だい急に。褒めたって別に何も出ないからね。――あ、もしかして貢物が足りなかったかい? 今から何か買いに行こうか?」


「いえ、何もいらないです。……もしかして、まだあの件を気にしてるんですか? 別にいいですって。俺はあの護身グッズのおかげで助かったようなものですから」


 そう言って、鶫は軽く肩を竦めた。どうやら芽吹は、まだ遊園地の事故のにあったことを気にしているらしい。


……以前に芽吹から新しい眼鏡と手紙を貰った時、手紙には『お礼の気持ち』と書いてあったことを覚えているだろうか。後日芽吹にそのことを問いかけると、予想外の言葉が返ってきたのだ。


――遊園地の事件で鶫が使用した護身グッズ。あれが政府主導で増産が決まったらしい。

……確かに魔獣にも効果があることは、あの事故でも証明されている。だが、知らないうちに実験に付き合わされていた気分になり、鶫としては少しだけ複雑な気持ちになった。


 芽吹としても、図らずも鶫を宣伝役にしてしまった罪悪感があるのか、こうして頻繁に鶫に何かを買ってくれようとするのだ。最初は少しだけモヤっとしたが、それ以上に護身グッズをくれた感謝の方が強いので、今はもう気にはしていない。


「――それにしても、先輩だって忙しいんじゃないですか? 大学に入った途端に専用の研究室を用意されたって言ってたじゃないですか。しかもいきなり室長クラスの待遇でしょう? 先輩の実力は微塵も疑ってないですけど、やっかみとか大丈夫なんですか?」


――帝都大学、魔導理工学研究室。そこが芽吹の新しい学び舎である。

 新入生ながらも自分の研究室を持ち、尚且つ有名企業や政府からのバックアップを受けている稀代の研究家。その西洋風な容姿も相まって、世間からは賛否両論の意見が飛び交っている。


 まあこの先輩なら、有象無象の下らない意見なんて気にも留めないだろうが、それでもやはり心配なものは心配だった。


 鶫がそう問いかけると、芽吹は目を細めて笑いながら両手を組んで机の上に置いた。……胸元が妙に強調されて目のやり場に困る。


「おや、心配してくれるのかい? ありがとう、嬉しいよ。……まあ、最初の数日は嫌がらせみたいなこともあったんだけどね。他の研究室の先輩が一喝したらすぐに収まったよ。緋衣雪 ひごろもゆきという男性なんだけど、君は知っているかい?」


「あー、前に何処かで聞いたような気もします。魔法少女の活動理論における第一人者じゃないですか。よくそんな大物が助けてくれましたね」


――緋衣雪とは、魔法少女の器と適性の関連性や、どういったメカニズムで神力がスキルに反映されるのかを主に研究している二十歳前後の青年だ。彼の研究によって、適性者の選り分けが以前よりもずっと楽になったらしい。まだ身分は学生に過ぎないが、その内政府から勲章を授与されるだろうと噂されている。


「私もそう思って話を聞いてみたんだけどね、どうやら彼は君の担任の涼音先生の遠い親戚らしい。私の入学にあたり、何かあったら助けてくれるように話を通してくれていたそうだ。ふふ、涼音先生にも後でちゃんとお礼に行かないとね」


「涼音先生って、ホントに妙な人脈を持ってますね……」


 鶫はしみじみとそう言った。六華の親戚も含め、涼音の親戚は特異な人物しかいないのかもしれない。


「私としては、君の方が心配なんだけどね。千鳥から聞いたよ。この二か月の間、体調不良による遅刻や早退の数が増えているそうじゃないか。目の奥が痛み出す片頭痛の様な症状らしいが、病院では見てもらったのかい?」


「……ええ、一応は。遊園地で頭を打った後遺症の可能性があるそうですが、MRIも試したけど異常は見つからなくて。しばらくは様子見をしようかと」


 芽吹にそう答えながら、鶫はそっと目を伏せた。――体調が悪いなんて、真っ赤な嘘だったからだ。


 この二か月、鶫は学業も犠牲にしてB級の魔獣狩りに励んでいた。体調不良の理由が目の奥の痛みなのは、こう言うと涼音や祈更が積極的に休めと言ってくれるからだ。……人の優しさに付けこむようで申し訳ないが、月末までの辛抱なので許してほしい。


 B級のひと月の出現数はおよそ五体から八体の間である。時間帯や頻度はランダムになるため、鶫はだいたい一週間前後のスパンでB級と戦うことを決めた。


 その際に政府とひと悶着あったのだが、それはすぐに解決した。


 二度目のB級戦が終わった後、政府からは『戦ってくれるのはありがたいが、B級の魔獣を独占されると困る』といった意味の内容を、かなりオブラートに包んだ言葉で言われた。……もしかしたら、十華入りを承諾した鶫の機嫌を損ねたくなかったのかもしれない。

 だが、鶫としても今回は退くことができなかった。


 鶫は魔獣対策室の因幡に直接連絡を取り、B級との戦いの必要性を強く主張した。

――現段階では、政府の所属でない『葉隠桜』は実戦でしか経験を積むことができない。政府としても、十華に入る『葉隠桜』が弱いのは困るだろう。B級との戦闘をほぼ独占するような形になったことは謝るが、どうか四月の終わりまではその行為を許容してほしい。そう頼み込んだ。

 そして悩み始めた因幡に、鶫はこんなことを言った。


「三月から四月の終わりまで、私は報奨金を受け取ることを拒否します。自分の我儘で戦いの数を増やしているのだから、それが当然でしょう? ――因幡さん。どうかその条件で他の方を説得してくれないでしょうか?」


 この一言の効果は絶大で、因幡は数分の間に自分の上司を説得してしまったのだ。……もしかして政府はそんなにお金に困っていたのだろうか。少し心配になってくる。


 そして因幡が席を外している間に、繋ぎっぱなしだった端末から「なんて高潔な」だとか「尊い」だの奇妙な声が聞こえてきたのだが、彼らの精神状態は本当に大丈夫なのだろうか? 少しだけ不安になってきた。


 そんな交渉の結果、見事許可を勝ち取った鶫は政府公認で心置きなくB級に挑むことができた。……まあ一部の魔法少女からの評判は悪くなったようだが、ルールは破っていないのでそこまで文句を言われる筋合いはない。


――それに、多くの魔法少女たちはそこまで戦いに拘っているわけではないのだ。


 現在の魔法少女の総数はおよそ三千名。その内、A級の魔法少女は三十名ほどで、現在も積極的に活動しているのは、その中でも二十人ほどである。残りの十人は体や心を壊して引退間近か、在野に降りて契約神とのんびり暮らしているかの二択である。

 そしてB級の魔法少女は五十名ほどで、これから先も元気に戦い続ける気概があるのは、およそ三十名ほどしかいない。後はみんなC級以下で実力も似たり寄ったりである。


……このことからも分かるように、『実際に戦える魔法少女』というのは、政府が発表している三千名より遥かに少ないと考えていい。中には、いつ自分が高ランクの戦いに駆り出されるのか怯えている魔法少女だっているのだ。

 そう考えると、今回の鶫の行動はそこまで悪い物とも言い切れない。何度も言うが、本当に魔法少女の業界は地獄である。


 鶫が複雑な表情で机を見つめていると、芽吹は気遣う様にそっと鶫の頭を撫でた。


「あまり無理はしないでくれよ。――君が倒れて悲しむ人間は、きっと君が思っている以上に多いんだから」


「……はい、肝に銘じます」


 そう言って、鶫は殊勝に頭を下げた。鶫本人としては無理をしているつもりはないのだが、もし芽吹に鶫の現状を話したら激怒されてしまうかもしれない。でも、きっと芽吹は怒りながらも鶫に協力してくれるだろう。だって彼女は、とても優しいから。


――けれど、先輩を巻き込むわけにはいかないよな。そう考え、鶫は小さく苦笑した。


 芽吹は自分の歩む道を決めて前に進み始めた。自分が困っているという理由だけで、その足を引っ張るような真似はしたくない。


 そして二人が他愛もない話を続けていると、机の上に置いてあった芽吹の携帯が鳴った。芽吹が携帯を手に取り画面を確認すると、形のいい眉を顰めて口を開いた。


「ごめん、鶫くん。研究室の方でエラーが出たみたいで、今から戻らなければいけないんだ。――またそのうちお茶に誘ってもいいかな?」


「ええ、喜んで」


 笑って答えた鶫に、芽吹はホッとした様だった。そして芽吹はお札を何枚か机の上に置き、席を立とうとしたのだが、あ、と何かを思いだしたような声を出した。


「そういえば、さっき話した緋衣先輩が、君と会ってみたいと言っていたんだ」


「は? そんな有名人がなんで俺と?」


 鶫が首を傾げてそう問いかけると、芽吹は苦笑しながら鶫の耳元に顔を近づけ、内緒話をするような小さな声で言った。


「先輩は政府と情報共有をしているらしくてね。遊園地の事故に巻き込まれた少年が『七瀬鶫』であることも、当然知っているはずだよ。……男性の適性者が現れたかもしれないんだ。研究者として会ってみたいという気持ちは分からなくもない」


 そう言って芽吹は鶫から離れると、にこりと綺麗に笑った。


「というわけで、そのうち連絡が来るかもしれないから、鶫くんが嫌じゃなければ話くらいは聞いてあげてほしい。まあ、そこまで気負う必要はないよ。きっとただの知的好奇心みたいな物だろうからさ」


 そして芽吹は、時間を気にしながら足早にカフェから去っていった。


「……どこもかしこも、面倒なことばかりだ」


 残された鶫はぬるくなったコーヒーを飲みながら、ぼんやりと外の景色を眺めた。散り始めた桜の花びらが、地面に落ちて茶色に変色している。花見の季節も、そろそろ終わりだ。


――春が終わり、もうじき夏が来る。鶫にとっても、新しい季節が始まろうとしていた。

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