第46話 悪魔の囁き

 小走りのようなスピードで、鶫は鈴城の後を追った。迷路の道は人がすれ違えるくらいには広いが、それなりに入り組んでおり、少しでも気を抜けば簡単にはぐれてしまいそうだ。


 鶫は走りながら、彼女の後姿を観察した。鈴城の体格は千鳥よりも華奢で、普段戦いの中に身を置いているような人間にはとても見えない。そう思い、鶫は自分が情けなくなった。


――結局、俺は何の役にも立たないな。


 鶫のサブスキルは今回の状況下ではあまり役に立たない。むしろ副作用のせいでスキルを使うと足を引っ張る可能性も出てくる。自分が魔法少女であることを彼女達にばらさなかったのは、葉隠桜の正体を隠す云々よりも、そちらの理由の方が大きかった。まともにスキルが使えないなら、頭数には入れない方がいいと思ったのだ。


 だが、同年代の少女たちが文字通り身を削って戦っている様子を見ていると、罪悪感のようなものが湧いてくる。まるで、一人だけズルをしているような気分だ。


「次の突き当りを左に行って、しばらくは真っすぐ! 最後に階段を上がったら隣に置いてあるバケツを持って待機! 鬼が上ってきたら水をかけて!」


 道の途中で、鈴城がそう叫んだ。どうやら、目標地点が近いらしい。


「分かった。その後はどうすればいい?」


「うちの左手・・を掴んでて。スキルを使った時にふらついたら、強く握ってね。そうすればスキルの副作用を軽減できるから。あ、手が血だらけになっちゃうのは我慢してよ。男の子でしょ?」


「でもその手、今でもかなり痛いだろう? 握っても大丈夫なのか?」


 鈴城はさらりと握れと言ったが、指先の怪我というものは他の部位よりもかなり痛い。走って体温が上がっていることもあり、現在の痛みだって相当なもののはずだ。それに刺激を加えれば、拷問に近い激痛がおこるに違いない。鶫がそう問いかけると、鈴城は呆れたように答えた。


「我慢するに決まってるじゃん。あーあ、怪我なんてしたの久しぶりだから泣きそうだし。……はぁ、何だかんだで君がいてよかったかも。やっぱり一人だとちょっと不安だったし」


「……壬生さんを見てても思ったけど、いくら『六華』だからって、そこまで無理をする必要はなかっただろ。なんなら一般人の保護を理由に無視を決め込んだって良かったはずだ。それで一人魔法少女が死んだって、あんた達に非があるわけじゃない」


……もしもこの場に六華二人がいなければ、鶫は確実に怪我を負った魔法少女のことを見捨てていた。それはただ単純に、自分の限界を知っているからだ。鶫一人であの鬼に相対したところで、倒せるとは思えない。せいぜい逃げ回って時間を稼ぐのが精一杯だ。どちらにせよ、鶫はその魔法少女を助けることができなかっただろう。

 鶫がそう言うと、鈴城はちらりと後ろを振り向いて口を開いた。


「まあね。それはうちも考えた。だって割に合わないし」


「なら、どうして?」


「逃げたら格好悪いから・・・・・・。だって、神様にそんな無様な姿を見せたくないんだもん」


 鈴城はそう言うと、けらけらと笑いながら階段を上り始めた。鶫もその背中に続くように足を進める。目標としている場所まで、あと少しだった。


「――うちにはね、目標があるんだ」


「目標?」


 階段を上りきると、鈴城は唐突にそう話し出した。鶫は水の入ったバケツを持ち、階段の下を覗くようにしながらその声に耳を傾けた。そんな鶫の様子を気にもせずに、鈴城は続ける。


「うちの契約神はね、歴史の中で存在しなかったことにされた神様なの。だから普段はあんまり力も強くないし、神様が人嫌いで名前を出すのを嫌がるから、今も知名度がほとんどないんだ。うちはそんな神様を、どうにか・・・・してあげたいんだよね」


 その鈴城の話を聞いて、鶫はベルのことを思い出した。ベルもまた、人の業によって忘れ去られた古き神の一柱である。もしかしたら、鈴城の契約神とは共通点が多いのかもしれない。


「それは、その神様の権威を取り戻したいってことか?」


「そうなるのかな? うちが頑張って魔獣を倒せば神様の力も増えるし、他の神に弱いって馬鹿にされることだってなくなる。それでね、いつか許可を貰って神殿を建ててあげるの! そうすればうちが魔法少女を辞めてもずっと一緒にいられるでしょ?」


 そう言って、鈴城は夢を語る童女の様な笑みを浮かべた。鶫はその言葉を聞きながら、階段を上り始めた鬼のことを見つめる。――水を掛けるなら、今しかない。


「きっと叶うさ。――それには、まずはここから生きて帰らないと、な!」


 鶫はバケツを引っ繰り返し、立ち上がって鈴城の手を取った。鬼が狂ったような咆哮を上げ金棒を振り回すが、その凶刃は階段の上にまでは届かない。


 そして階段を駆け上がってきた鬼の顏がようやく見えた瞬間、鈴城はスキルを発動させた。


「――我こそは、真実を排し虚飾を肯定する者なり」




◆ ◆ ◆




 鈴城蘭という人間は、魔法少女という力を差し引けば、基本スペックはほぼ凡人に近い。


 幼いころは勉強も運動も苦手で、特に目立ったところのない平凡な子供だった。両親も共働きで彼女に興味がなく、今でこそ友人は多いが、当時はほとんど友人も少なかったので、とても寂しい子供時代を送っていた。


 そんな空虚な日々の中、蘭は偶然受けた病院の検査で、魔法少女としての適性がかなり高いと診断された。そして両親に言われるがまま、魔法少女候補生としての生活を送ることになったのだ。――だが、そこで待っていたのは今まで以上の苦痛の日々だった。


 特に秀でたところのない蘭は、数多くいる候補生の中でも、群を抜いて出来が悪かった。周りからも馬鹿にされ、ことあるごとに失敗を蔑まれる。そんな生活が半年ほど続いた頃、教官もこれ以上は無駄だと判断したのか、除籍を言い渡された。

 そして最後の記念として、様々な神が魔法少女を求めてやってくる『神の間』へと足を踏み入れることを許されたのだ。もちろん誰も蘭が神に選ばれるとは思っていなかったし、ただの思い出作りのようなものだった。


――けれどそこで蘭は、『運命』と出会った。


 不要なモノとされ歴史から葬られた神は、出来損ないの少女を選んだ。それを運命と言わず、なんと呼べばいいのだろうか。


 その日から、蘭の人生は劇的に変わった。自分に自信を持てるようになり、交友関係だって格段に広くなった。そしてついに努力が実を結び、六華という地位にまで上り詰めることができたのだ。


 だからこそ、蘭はいつだって神様に感謝し、信仰に近い敬意を抱いている。それこそ――神様の心証の為に命を懸けるほどに。

 


「迷路の中にばら撒かれたモノ。それは【水ではない】――全てを燃やし尽くす【業火】である!!」


 蘭の契約神は、虚飾と混沌を司るエジプトの神だ。――その名を『ゲレグ』。正義と真実を冠するマアトの対極に位置する者である。

 その権能をモチーフとしたスキルの名は『事象改変』。世界の理を一部書き換える・・・・・恐るべき能力だ。


 蘭の宣言と共に、水が揺らめくように青い炎に変わっていく。それと同時に迷路のあちこちから黒い煙と木が焦げる匂いが広がり、あっという間に辺りを炎が埋め尽くした。


 火だるまになった鬼が、叫び声を上げながら階段を転げ落ちていく。その階段にも火が燃え移り、あれではもう上ることは適わないだろう。


 くらり、と蘭の体が傾く。このスキルはとても強力だが、力の消費がかなり大きい。それ故に副作用――睡魔はあっという間に蘭の意識を奪っていくのだ。


「――ッ、痛、たぁ」


 完全に意識が落ちそうになった瞬間、蘭の左手に激痛が走った。


「起きろ!! さっさと逃げるぞ!!」


 焦ったような顔をして、鶫が叫んだ。蘭はぼんやりとあたりを見渡し、今の状況を把握した。炎の勢いは凄まじく、このままでは二人とも焼け死ぬかもしれない。呆けている暇はなかった。


「あ、はは。そうだね、逃げなくちゃ」


 そう言って、蘭はもう一つのスキルを発動させた。そして同時に襲い掛かる眠気を、鶫の手を強く握ることで耐えながら、炎の中に一歩足を踏み出した。


「おい、そっちはもう火が――」


 鶫が蘭の肩を掴み止めようとしたその時、火の海が道のように二つに割れた・・・


 唖然として炎の道を見ている鶫の手を引き、蘭は大きな隈ができた目を細めて笑った。


「うちのもう一つのスキルは『幸運』。発動している限り、この炎は完全に無効化できる。――でも使っていられる時間は短いから、もう行くよ!!」





◆ ◆ ◆





 燃え盛る炎の海で、鬼は身体中の痛みにもがき苦しんでいた。硬かった青い皮膚は焼けただれ、燃え落ちた木材が鬼の体を削っていく。その姿はもはや鬼とは呼べず、赤黒い肉塊のようだった。


 半死半生の鬼の頭の中は、怒りと憎しみで埋め尽くされていた。


――最初に厄介な魔法少女を潰したというのに、この様はなんなのか。それもすべて、あの人間どものせいだ。


 そんなことを考えながら、鬼はうめき声を上げる。自身に残された時間は、あとほんの僅かしかない。


――魔法少女という最大戦力を排し、後は誘い込まれた人間――魔法少女の適性者を狩るだけの簡単な仕事だったというのに、完全に封殺された。決定打の無さと、足の遅さが大きな敗因と言ってもいいだろう。

 だが、予想外だったのはあの三人――現役の魔法少女共だ。あいつ等さえいなければ、上手く事が進んだというのに。


 鬼は段々と炭化していく自身の体をもどかしく思いながら、咆哮した。


――ああ! もう一度チャンスさえ貰えれば、絶対にあいつ等を殺してみせるのに!!


 怨嗟の声を上げながら、鬼がこと切れようとしたその時――天啓が鬼の頭の中に響いた。


≪――そうか。じゃあ、もう一度・・・・行っておいで≫


 それは、まるで悪魔の囁きの様だった。鬼の体を焼いていた炎はいつの間にか黒い霞に変わり、ゴツゴツとした皮膚に変わっていく。まるで、新しく体が作り替わっているかのようだ。


≪さあ、進め。――役割を果たすんだ≫


 不可思議な声に導かれながら、黒き鬼は崩壊する迷路を進んでいく。――その姿は、さながら地獄の獄卒のようだった。

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