第41話 合流の先にて

――時はしばらく前にまで遡る。


 千鳥に詰め寄られた後、事情をぼかしつつ、知り合いの少女がこの結界の中にいる可能性があることを伝えた鶫は、深々と頭を下げた。

 千鳥のことを危険に晒したくはない。けれど、虎杖を見捨てたくはない。そんな我儘をどうか許してほしい――そう言ったのだ。


 黙って話を聞いていた千鳥は、複雑そうな表情を浮かべながら言った。


「その子が確実にここに来ているという確証はないんでしょう? それでも行くの?」


「……嫌な予感がするんだ。俺のこういう時の勘は、残念なことによく当たるから」


 そう言って、鶫は右手を握りしめた。全身の毛が逆立つような、胸の奥に深く圧し掛かる不快感。鶫の勘違いでなければ、虎杖がいるかもしれない方向から魔獣の気配を感じるのだ。

 魔法少女がしくじったのか、それとも交戦中なのか。どちらにせよ、虎杖の身に危険が迫っているのは確かだ。


 鶫がそう告げると、千鳥は困ったように目を伏せ微笑んだ。


「鶫って、そういうところは昔から変わらないわね。どうせ私が止めたって聞かないんでしょう?」


「そんなことは、ないけど……」


 そして千鳥はしっかりと鶫の右手を握ると、目を合わせて言った。


「――私も一緒に行くわ。それが駄目なら、私も鶫がここから離れるのを許さない。どうせ鶫のことだから、私を安全な場所に残していくつもりだったんでしょうけど、そうはいかないんだから」


「……それは、」


 鶫は迷いながら、ぐっと唇を噛んだ。千鳥の予想は大体当たっている。千鳥には、魔獣の気配がしない場所に隠れていてもらおうと考えていたのだ。その方が、鶫も安心して行動できる。


 そんな鶫の葛藤を表情から読み取ったのか、千鳥は穏やかな声で言った。


「大丈夫。危なくなったらすぐに逃げるから。……そんなに心配しなくても、私もそれなりに鍛えてるのよ? リンゴくらいだったら片手で潰せるんだから」


「……それは怖いなぁ」


 そう言って、鶫は小さく笑った。こうなってしまえば、千鳥の説得は不可能だろう。

……もともと我儘を言っているのは鶫の方だ。いざとなれば、鶫が体を張ってでも彼女のことを逃がさなければならない。千鳥はああ言ったが、女の細腕で魔獣をどうにかできるほど世界は甘くないのだから。


「危なくなったら、すぐに逃げること。約束できるか?」


「その時はちゃんと鶫の手を引いて逃げるわ。――あの時みたいにね」


 千鳥は懐かしむ様に笑いながら、悪戯っぽく言った。十年前の大災害の時のことを言っているのだろう。鶫は苦笑すると、すっと南ゲートのある方向を指さした。


「あの子がいる南ゲートは向こうだ。――急ごう」





◆ ◆ ◆

 




 その後、南ゲートに行く途中で虎杖を虐めていた少女――夢路に出会い、虎杖の居場所を聞き出すことができた。

 何があったのかは分からないが、夢路は本気で虎杖の身を案じており、必死で鶫に助けを求めていた。


 話を聞いた鶫は、泣きじゃくる夢路を千鳥に強制的に預け、一人単独で虎杖がいるであろう、魔獣の気配が色濃くしている場所へと走り出した。後ろから千鳥の止める声が聞こえたが、夢路という足枷がいる以上、千鳥は鶫を追うことができない。


 その悲痛な声にちくりと胸が痛むが、鶫は好都合だと考えた。

――この先には、確実に魔獣・・がいる。そんな場所に千鳥を連れて行きたくはなかったのだ。


 それに、鶫だって策も無く走り出したわけではない。夢路の話からすると、魔獣はそこまで大きくはなく、足も遅いらしい。それならば、幾らでもやりようはある。


 鶫は走っている途中で移動販売用のバイクを見つけると、後ろの荷台を外して見様見真似で操作し、右のアクセルをひねり加速した。正しい運転方法ではなかったのか、所どころからギシギシと奇妙な音が聞こえてきたが、そんな細かいことは気にしていられない。

 あとで警察から無免許運転を怒られるかもしれないが、遊園地内の備品は魔獣が倒されたら修復されるので、たとえこのバイクが壊れたとしても問題はない。

 

 そして真っすぐ進んだ先で虎杖を見つけ、そのすぐ側に立っていた青い化物――鬼の魔獣にバイクごと突っ込んだのだ。


 ぶつかる前に鶫はバイクから飛び降りたが、衝撃が大きかったのか、青鬼はバイクと一緒に勢いよく後方へと吹き飛んだ。

 青鬼がバイクと壁の瓦礫と共に倒れこむのを確認すると、鶫は芽吹から受け取った護身グッズ――煙玉を鬼のいる方向へと投げたのだ。地面にぶつかると同時に煙玉は破裂音を奏で、鬼のいる周囲一面に白い煙が広がっていった。

 作成者の芽吹曰く、効果時間は十分ほど。煙で視界を誤魔化してる間に、虎杖を連れて逃げなくてはいけない。

 

 虎杖は地面に倒れて震えており、その右足は痛々しく腫れていた。これが夢路の言っていた足の怪我のことだろう。そして顔を合わせた際にひと悶着あったのだが、ついさっきまで鬼に追われていたのだから、混乱しても仕方がない。


 虎杖も挫いた足以外に怪我はないようで、鶫はほっと胸を撫で下ろした。こんな状態で魔獣から攻撃されなかったのは、まさに運が良かったと言える。……いや、そもそもこの結界に巻き込まれた時点で運が良いも悪いもないのだが、今はとりあえず置いておこう。


 鶫は鬼が倒れている方をちらりと確認すると、気絶した虎杖を背負ってその場を後にした。止めを刺すのは、今の鶫には無理だろう。それに急がなければ、鬼が起き上がってきてしまう。


……あの鬼はD級にしては形が小さかったが、その分特殊能力が強い可能性がある。今の鶫では太刀打ちができない以上、逃げる以外の選択肢はない。

 そもそも、あの程度の攻撃で倒れてくれたのが奇跡だったのだ。もしも鶫がこの前戦ったD級の敵――カマキリのようなサイズをしていたら、それこそ手も足も出なかっただろう。

 今回の出現時間の変化が、魔獣にどんな風に影響しているのかは分からないが、出現時間が短くなった分、弱体化しているのかもしれない。


――芽吹先輩には感謝しないといけないな。

 そんなことを考えながら、鶫はポケットに入っている護身グッズの残数を思い浮かべた。

 煙玉があと一つ、とりもちが一つ、それと催涙スプレーが一つ。どれも魔獣にたいして効果があるのかは微妙だが、こうして目くらましに使う分には有効だ。多少の時間稼ぎにはなるだろう。


――とりあえず、まだ鬼が追ってくる様子はない。背後から感じる重圧は消えないが、気配が動いていないので、まだあの場所に留まっているのだろう。運よく、当たり所が悪かったのかもしれない。


 そこで鶫は、ふと自分の左の薬指を見つめた。そこには、ベルとの契約の魔道具――緑の石が付いた指輪が嵌っている。ベルとの連絡は未だに取れない。もしかしたらここから出るまでは、ベルも干渉が出来ない様になっているのかもしれない。


 そんなことを思いながら、鶫は考え込む様に俯いた。

――千鳥はこの場にいないし、虎杖は気絶している。鬼も動いていないし、変身を試すにはいい機会かもしれない。

 そう考え、鶫は服のフードを深くかぶり、顔が見えない様にした。外にある写し鏡に映るのは、魔獣か魔法少女のどちらかだが、不具合で鶫の姿が映らないとは限らない。用心に越したことはないだろう。


 そして鶫はゆっくりと深呼吸をし、指輪に力を込めた。体中を巡る神力が、鶫の体を作り変えていく。そして服装はそのままに、女性の体に変身しきった時、鶫は耐えがたい不快感に襲われた。


「――うっ、ぐううぅっ!!」


 口から低いうなり声が漏れる。鶫はたまらずに変身を解き、立ち止まって荒い息を吐きだした。


――き、気持ち悪い・・・・・!!


 鶫は吐き気に耐えながら、涙目で空を仰いだ。変身をした後の、まるで蛆虫が全身を這いまわるかのような悍ましい不快感。あんなもの、一秒たりとも耐えたくはない。

 けれど、女性に変身するだけであれだけの副作用が出るのだ。そんな状態でスキルを使えば、あれ以上の副作用が鶫の体を襲うことだろう。そう考え、鶫は身震いした。


――とてもじゃないけど、これじゃスキルは使えそうもない。

 透明化のスキルを使って逃げようとしたところで、気分が悪くなって倒れるのが落ちだ。


「……そもそも、魔法少女は何をやってるんだ」


 そう言って、鶫は眉をひそめた。結界が張られてから、もう既に三十分は経っている。それなのに、交戦どころか魔獣を野放しにしているなんて。

 一般人が結界に巻き込まれていることは知らないのかもしれないが、それにしたって悠長すぎる。


――まさか、魔法少女はもうやられてしまっているのか?

 そう考え、鶫は首を横に振った。それはないだろう。もしやられていたとしても、すぐに政府の後詰めが出てくるはずだ。

……ならば、この魔獣が放置された状況はなんなのだろうか。鶫にはさっぱり見当がつかなかった。


 多少の疑問を抱えつつ、鶫が千鳥たちを置いていった場所に戻ると、そこには二つの人影が増えていた。服装が普通なので、おそらく魔法少女ではないだろう。

 二人の前にいる千鳥は、鶫を見てほっとしたような顔をしたが、その表情はどこか硬く、色濃い不安が見て取れる。


「ねえ! 虎杖さんは無事なの!?」


 鶫が彼らの元に行こうとしたその時、夢路が鶫に向かって駆け寄ってきた。その目は赤く、泣きはらしたような跡が見て取れる。


「虎杖は無事だよ。今は少し疲れて寝ているけど、足以外の怪我はないからそのうち目を覚ますはずだ」


「良かった――!」


 夢路はそう声を上げ、両手で顔を覆った。彼女達の間に何があったのかは分からないが、争いあうような関係でなくなったことだけは確かだろう。詳しいことは、虎杖が起きてから聞けばいい。


「君が彼女の居場所を教えてくれたお陰だよ。お手柄だったね」


「うん……」


 鶫がそう言うと、夢路は複雑そうな顔をして頷いた。深い罪悪感を抱えているような、そんな表情だった。

……いくら本人に逃げろと言われたとはいえ、彼女自身が人を見捨てたという事実は変わらない。こうして虎杖が無事だったから良かったものの、もし虎杖が死んでいたら、この少女は立ち直れなかったかもしれない。二重の意味で、虎杖のことを助けられて良かったと思う。


 そして夢路を連れ添って千鳥たちがいる方へと足を進めると、二つの人影のうちの一人――ショートカットの背の低い少女がずいっと前に出て、鶫に言った。


「君が七瀬つぐみか?」


「あ、ああ。そうだけど君たちは――」


 そう鶫が問いかけようとしたその時、少女にガッと両肩を強い力で掴まれた。少女は下から鶫を覗き込む様に、真剣な顔をしてこちらを見つめている。そこで鶫は、奇妙な既視感に襲われた。


――この子、どこかで見たことがあるような気がする。

 その疑問の答えが出る前に、少女は鶫に向かって言った。


「単刀直入に言う。――私たちに協力してほしい」

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