第21.5話 『さくら』という人

――魔獣到来まで、あと五分。


 温泉街のある箱根湯本では、避難する住民や、観光客による交通渋滞ができていた。その中のバスの一台に、七瀬千鳥ななせちどり芽吹恵めぶきけいの二人は乗っていた。


――とんだ大事になってしまったな。


 そんなことを思いながら、恵は顔色を青くして震えている千鳥の背中をさすっていた。千鳥は警報が鳴り響いた時には比較的冷静だったのに、あること・・・・が分かってからこのような状態になってしまったのだ。

 その理由は何となく推測はつくが、恵は彼女にかける言葉が見つからずにいた。


 十分前までは恐慌状態だった車内も、政府から魔法少女の派遣が決まったと連絡があってからは徐々に落ち着いてきている。それでも乗客の中には千鳥のように怯えている者もいるが、派遣される魔法少女が余程のへまをしないかぎり、箱根にいる人達が魔獣の被害に遭うことはないだろう。


「それにしても、政府の連絡がギリギリ過ぎて焦ったよ。八咫鏡の不具合が原因だって? 政府も、もう少ししっかりしてほしいよなぁ」


「そうよねぇ。しかも政府の魔法少女が間に合わなくて、在野の子に依頼をしたんでしょう? でもその子の等級はC級らしいわ。こう言ったら失礼だけど、本当に大丈夫なのかしら。六華が駆け付けるまで、持てばいいんだけど……」


「そういうことを言うなよ。不安になるだろうが」


 バスの運転手と添乗員の会話が、恵の耳に入ってくる。

 そんな不謹慎な話は、乗客の側でするような会話ではないと思うが、彼らの不安な気持ちは確かに分かる。今回はあまりにもイレギュラーが重なりすぎた。

 八咫鏡の不具合も、政府の派遣ミスも、今までに前例がないことである。また厄介なことが起こるかもしれない、と勘繰るのも無理はない。


……それに恵としても、派遣されてくる在野の魔法少女について少し思うところがある。A級の魔獣を相手取ることを了承したその少女の名前は、葉隠桜・・・。恵の通う学校で最近話題の、可愛い後輩によく似た新人の魔法少女だ。

 できることなら、彼女とはもっと他の形で関わりたかったと心から思う。こんな風に考えるのは不謹慎かもしれないが、今回の戦いで葉隠桜が生き残る可能性は極めて低い。

 そして葉隠桜自身も、きっと決死の心構えでA級の魔獣に挑むのだろう。その無償の献身に、恵は感謝することしかできない。こういう時、自分の無力さが心底嫌になる。

 選ばれた一握りの少女たちに国の命運をすべて託すのは、あまりにも酷な話だろうに。


 それと、もう一つ気になることがある。――千鳥のことだ。

 千鳥がこうして血相を変えて震えだしたのは、葉隠桜の名前が出た瞬間からだ。以前に話を聞いた時には、千鳥は葉隠桜とは無関係だと答えたが、この様子だとやはり何か隠していることがあるのかもしれない。


「千鳥、大丈夫なのかい? ――千鳥?」

 

 恵は流石に不安に思い、口元を押さえて俯いている千鳥にそう声をかけたが、彼女は何も言葉を返さない。恵が確認の為に顔を近づけると、どうやら千鳥は小さな声で何かを呟いているようだった。

 そっと、耳を澄ましてみる。


「――せいだ」


「――私のせいで、あの人が。私がこんなところに居るから。私のせいで。私が全部悪いのに。私が。私のせいで、また・・さくらお姉ちゃんが死んじゃう――」


 ひゅ、と恵は息をのんだ。彼女の口から紡ぎだされたその内容に、恵は背筋が凍るような感覚に襲われた。


 千鳥は壊れたレコードのように、同じ言葉をぶつぶつと繰り返している。その目は恐怖に染まっており、それを懺悔と呼ぶにはあまりにも哀れに見えた。


「っ、千鳥ッ!!」


 恵はいても立ってもいられず、大声で千鳥の名前を呼んだ。周りの乗客が何事かと驚いたように二人がいる方を振り向いたが、そんなことを気にしていられる余裕はない。


 やや乱暴に千鳥の肩を揺すり、無理やり目線を合わせる。このままの状態にしておいたら、きっと碌なことにならない。

 今の千鳥は明らかに錯乱している。これで駄目なら頬を張ってでも正気に戻すしかない。


「――あ、けい、せんぱい?」


 恵の心配をよそに、千鳥はぼんやりとした顔をして恵のこと見つめ返した。その目には、しっかりと恵のことが映っている。

 その様子を見て、恵はほっと息を吐いた。意識がちゃんとこちらに向いているならまだ大丈夫だ。


「千鳥、少し落ち着きなさい。ほら、深呼吸をして」


 恵がそう言うと、千鳥は言われるがままに大きく息を吸った。そのまま息を吐き出すと、千鳥は少し冷静になったのか、困惑した顔をしながら頭を下げた。


「ご、ごめんなさい、先輩。私なんだか取り乱していたみたいで……」


「いいや、かまわないさ。後輩とは先輩に迷惑をかけても許される身分だからね。もっと頼ってくれてもいいんだよ?」


 恵はそんな風に、いつもの調子でおどけてみせた。千鳥はつられるように微笑んだが、それでもその表情はまだ硬い。


 ペットボトルの水を飲ませ、千鳥が多少落ち着いた頃に、恵は話を切り出した。


「……少し聞いてもいいかな?」


「――はい」


「千鳥、君は――やはり葉隠桜のことを知っているんだね?」


 その問いに、千鳥は小さく首を横に振った。恵はその答えに眉を寄せたが、千鳥は困ったように目を伏せて言った。


「さっきのことは、彼女はあくまでも引き金になっただけで、直接の関係はないんです。政府からの連絡で画面に映った彼女の姿が、昔の出来事に重なってフラッシュバックのようになってしまって……。きっとトラウマみたいになっているんでしょうね。もう十年・・も経っているのに、自分が情けないです」


――十年、とは千鳥が記憶を失くしたとされる大災害に関係することなのだろう。けれど、フラッシュバックということは記憶が戻ったのだろうか?


「千鳥は、昔のことを覚えているのかい?」


「断片的ですが少しだけ。大部分は鶫と一緒で何も思い出せないままですけどね」


 そう言って、千鳥は悲しそうに微笑んだ。


「先輩は、私がさっき言っていたことを覚えていますか?」


「ああ、『さくらお姉ちゃん』だったかな? ……他にも色々と不穏なことを言っていたけれど、それはひとまず置いておこうか」


「……葉隠桜さんは、その『さくらお姉ちゃん』によく似ているんです。でも、あの人が彼女であるわけがない――」


 千鳥はまるで自分に言い聞かせるように、そう続けた。


「だってさくらお姉ちゃんは――十年前に私と鶫を庇って死んだはず・・・・・・・・なんだから」


「――それは一体、」


 恵が言葉を続けようとしたその瞬間、空間がブレるような感覚があった。おそらくこの辺りを覆うように、魔法少女の結界が張られたのだ。

 つまり、ついに魔獣がこの箱根に舞い降りたということになる。


「千鳥。この件は後でじっくりと話そう。どうしても、今は戦いの状況の方が気になってしまいそうだからね。君も彼女のことが気になるだろう? ……どういう結果になるにせよ、君は見届けるべきだと思うよ」


 千鳥の言うように彼女と葉隠桜とは直接の関わりはないかもしれないが、その『さくらお姉ちゃん』と重ねて見てしまうくらいには、特別な感情を抱いていることは間違いないだろう。そうでなければ、ただ似ている程度であそこまで取り乱すことはない筈だ。


 恵のその言葉に、千鳥は少しだけ考えるそぶりを見せると、躊躇いながらも頷いた。


「……はい、そうですね」



――そしていくつもの疑問が残されたまま、葉隠桜の戦いは幕を開けた。

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