第20話 感情の行方
鶫が席を立って数分後、ベルは不可解な違和感を覚えた。何か大切なことを忘れているような、そんな気がしたのだ。
ベルはふと首を傾げた。
――そういえば、先程叩き落した端末はどこへ行ったのだろうか。鶫が拾い上げたことまでは覚えているが、それから先は分からない。手荒に扱っても壊れはしないだろうが、あれは一応政府から支給された物なので失くしてしまうのは流石にまずい。
普通に考えれば、鶫がそのまま端末を所持している可能性が高い。けれど、それならばどうして鶫は端末を返さないのだろうか。
――拾った後に返し忘れたのか、……いや、わざと
そんな考えにたどり着くが、ありえない、とベルは首を横に振った。
短い付き合いではあるが、ベルは鶫の性格を凡そ把握している。七瀬鶫という男は、基本的に従順な人間だ。余程のことがない限り、ベルの意に沿わない行動をとるとは思えない。
唯一の例外があるとすれば、鶫の姉に絡んだ事柄だが――。
「……待てよ。確か姉の旅行先は
最悪の可能性が脳裏を過る。あの鶫が姉――千鳥を助けに行かないなんてことはありえない。
だが、あの場でそれを言い出したとしても、ベルが反対するであろうことは鶫だって分かっていたはずだ。だから、鶫は何も言わなかったのだ。
ベルは即座に鶫のいる場所を探した。鶫が契約の指輪を身に着けている以上、ベルは鶫がどこに居たとしても感知することができる。
……そして、残念なことに予想は的中してしまった。
「――やはりかっ! あの大馬鹿者が!!」
鶫の現在地は、神奈川県――箱根山の中腹である。
ベルはそれを確認すると、すぐさまその場所へ飛んだ。時空が裂けるようにして開かれたゲートから亜空間を通り、閑散とした枯れ木の林へとたどり着き、そこで魔法少女の姿になって、ぼんやりとしながら片膝を立てて座っている鶫を見つけた。
鶫は手の中にあるガラス板――政府への連絡用の端末をクルクルと回しながら、じっと虚空を見つめている。その顔には、およそ何の感情も見受けられなかった。
「見つけたぞ!! ――貴様、自分が何をしたのか分かっているのか!?」
ベルは吠えるように叫んだ。
身の内に滾る怒りを抑えきれずに漏れた神力のせいで、周りの空間が歪んでいく。現世への過剰な干渉は、神の座する場所への強制送還を意味する――だがそれを分かっていてもこの怒りは耐えられるものではない。
鶫は突如として現れたベルを見つめると、困ったような笑みを浮かべて言った。
「随分と早かったね。――いや、それとも
◆ ◆ ◆
――時間は数分前まで遡る。
――魔獣対策本部、オペレーションルームの室長、因幡ほのかは焦っていた。
「28番、
「83番の
「くそっ!! 在野の転移スキル持ちも駄目かっ!」
ダンっ、と両手を机に叩きつけ、必死に思考を巡らせて次に打てる手を探す。
観測された力の大きさから推測される魔獣の等級は、A級。並みの魔法少女では敵うはずがない相手だ。
箱根周辺の地域にはすでに避難勧告を出したが、観光客を含め全員の迅速な避難は難しいだろう。なぜなら、魔獣の出現まであと十分ほどしかないのだから。
「あーもう、『八咫鏡』の不具合なんて今まで無かったじゃないですかぁ! なんで今日に限ってこんなことが起こるんです!?」
新人のオペレーターが悲痛な声をあげる。それに関しては因幡も同意だが、今さら文句を言ったところで何も始まらない。
――確かに予知システム『八咫鏡』がA級の出現を感知できなかった責任は大きい。本来であれば五時間前には察知できるはずの情報が、今回に限って十五分前になってからしか分からなかったのだ。
魔法少女の派遣予定も、そのせいで完全に崩れてしまっていた。
C級、B級はあらかじめ出現予測が立っていたため問題なく事に当たれたのが、政府所属の魔法少女の転移スキルのクールタイム――そのわずかな時間に割り込む様にして今回の魔獣の出現が予知されたのだ。
……元々在野の魔法少女には期待していなかった。彼らに緊急出動の
「六華のメンバーはどうなっている? 出現までに間に合わないにしろ、被害は最小限に抑えなくてはっ……!!」
「政府のヘリが
その報告に因幡は歯噛みした。今から三十分ということは、約二十分もの間、魔獣の蹂躙を許すことになる。
……最悪の場合、十年前の大災害を超える被害が出るかもしれない。
「室長。やはり上に問い合わせて、契約神による強制転移を許可してもらった方がいいのではないでしょうか? 在野の魔法少女には使えるのに、政府が使えないなんておかしいですよ」
他の職員がそんな意見を出したが、因幡は首を横に振った。
「確かにそれが出来れば全て解決できる。けれど上は絶対に許可を出さないだろうな。――政府側の強制転移を禁止にしたのは、天照大神の御意向によるものだ。いくら緊急事態とはいえ、許可が下りるわけがない」
天照大神が強制転移を禁止にしているのは、様々な理由があるとされている。曰く、人道的な理由だとか、契約神の権限が増えることを危惧しているなど、色々な憶測があるが定かではない。
因幡の地位ではその真意を知ることはできないが、おそらく上の人間であればもっと詳しい事情を知っているはずだ。
――けれど何にせよ、現時点で天照大神の意向に背くわけにはいかない。政府の職員として、それだけは破ることが出来ない絶対のルールである。
「せめて二十分だけでも時間が稼げれば……」
「もう一度在野の子たちに戦ってもらえるか掛け合ってみませんか? A級の討伐記録がある方にだけ、再度連絡をしてみましょう」
「……ああ。やってみてくれ」
因幡は震える手をぐっと握りしめ、もう一度在野の魔法少女に掛け合ってみようと決心した時、リリン、と鈴の鳴る音が聞こえた。
「おい、鳴ってるぞ」
「これ96番ですよ。先ほど連絡を取った時に、かなり強く罵倒されたんです。もしかしたら再クレームかもしれません……」
――在野の魔法少女。通し番号96、葉隠桜。現在の等級はC。転移スキル持ちの稀有な人材だ。
ただしこちらに連絡をしてくるのはいつも契約神の方で、職員は誰も彼女本人と話したことはない。
そして彼女の契約神は気性が荒いことで有名だ。この切羽詰まった状況で長々と話したい相手ではない。
因幡は大きく舌打ちをすると、近くにあったヘッドホンを手に取った。今が緊急であることを伝え、クレームは後日にしてくれと頼むしかないだろう。
「仕方ない、私が出よう。すぐに済ませる」
――さっさと切り上げて通話を切ってしまおう。因幡はそう考え、通話機のボタンを押した。
「――はい、こちら魔獣対策本部、オペレーションルームの因幡です」
『――よかった。ちゃんと繋がった』
記憶にある契約神とは違う、涼やかな声音がヘッドホンから聞こえてきた。明らかに女性の声である。
因幡はハッとして、静かな口調で聞いた。
「まさか、葉隠桜さん本人ですか?」
『はい、そうです。政府への連絡はこちらであっていますか? こうして連絡を取るのが初めてなもので勝手が分からず……』
「ああ、魔法少女の方からの連絡は、必ずこの場所に繋がるようになっているので心配しなくても大丈夫ですよ。今日はどうされましたか?」
『先ほど連絡があった箱根の件ですが、――
「……現地?」
『私、いま箱根にいるんです。今のところ避難警報しか聞こえないのですが、出現までに魔法少女の派遣は間に合いそうですか?』
因幡は、ごくりとつばを飲み込んだ。
――現在、彼女は箱根にいる。転移スキル持ちの彼女がそこに居る理由を、期待してしまってもいいのだろうか。
因幡は逸る気持ちを抑えながら、口を開いた。
「いえ、申し訳ありません。六華の二名を急遽現地に派遣しましたが、出現までには間に合いそうもないのです」
『何分必要ですか』
「え?」
『――私は何分
――それは、つまり。
「た、戦ってくださるのですか!?」
因幡の大声に、周りにいた職員がぎょっとした顔をして振り返る。
因幡は動揺を飲み込んで、通話の受信回線を部屋単位のものに切り替えた。この会話を聞いていれば、他の職員も自分の取るべき行動が分かるだろう。周りから動揺の声が聞こえるが、今はそんなことを気にしていられない。
『そのつもりで連絡をしました。ええと、先に宣誓をした方がいいですよね? ――【我が神に誓って】ここに降り立つ者を迎撃することを宣言します。 ……これでいいでしょうか?』
そう言って、葉隠桜はさらりと何でもないことのように【宣誓】を終わらせた。この宣誓こそが、魔法少女が結界を作り出す鍵であり、檻でもあるというのに。
檻というのはそのままの意味である。魔獣の出現が予測される場所で、政府の端末を通して【宣誓】をすることで、その魔法少女は戦いから逃げられなくなる。
魔獣が現れるまで彼女達はその場から移動ができなくなり、現れた際には自動的に魔獣を引き込んで結界が張られることになる。差し詰め、檻に閉じ込めるように。
――葉隠桜は最近C級になったばかりだ。技の精度も何もかもが、A級の魔獣を相手取るには
彼女の契約神に連絡を取った際、場繋ぎで戦いに出る者のことを『捨て駒』だと揶揄された。彼女もきっとそれを聞いていただろう。それなのに、彼女はこうして名乗り出てくれたのだ。
彼女と契約神の間でどんなやり取りがあったのかは分からないが、彼女のこの行動は覚悟の上なのだろう。
因幡は自らの不甲斐なさに泣きたくなった。この仕事も必要なことだとは分かっているが、結局自分達は彼女達に命じるばかりで、直接的に力になれることは少ない。
因幡達オペレーションルームの職員は、基本的に恨まれる立場である。なぜならここの職員たちは、時には魔法少女を使い捨てにする命令を出さなくてはならないことがあるからだ。
政府所属の魔法少女には、緊急出動の拒否権は与えられていない。それ故に、無慈悲な命令を下すときも少なくはない。
もしも今の段階で、政府の転移スキル持ちが空いていたら、きっと因幡は室長としてその子に箱根への出動を命じていただろう。たとえその子の等級がE級だったとしてもだ。
職員の中には、魔法少女の遺族たちに襲撃を受けた者すらいる。
――けれどそれが組織であり、護国の徒としての使命でもある。
感傷に浸っている暇はない。ただ、自分にできる最善を取り続けるしかないのだ。
そして因幡は、冷静に時間を報告した。
「二十分、いいえ、余裕をみて三十分の時間を稼いでくだされば、六華の二名が現地に到着します。必ず、それまでには間に合わせてみせますから……!」
『そうですか。――あの、ひとつだけいいでしょうか』
「はい、何なりと仰ってください」
因幡は、何を言われても仕方がないと身構えた。彼女の出動は完全な善意であり、義務として強いられたものではない。システムの不具合が原因とはいえ、そう
けれど、彼女の口から出た言葉は違っていた。
『――
ふふふ、と微かに笑いながら彼女は穏やかにそう言った。それに対し、因幡は何も言葉が出なかった。
――なぜ彼女は死を前にして、そんな風に穏やかに笑えるのだろうか。因幡には、どうしても分からなかった。周りの職員からも、息をのむような音が聞こえてくる。
「……必ず勝てる者を派遣します。絶対に、街に被害は出させません」
因幡は硬く拳を握りしめた。
この
――我々は自分なりの仕事をして、戦ってくれる魔法少女達に報いなければならない。たとえ悪だと罵られようとも。
因幡のその言葉に、彼女はほっとしたように息を吐いた。
『頼りにしています。……ああ、すいません。時間切れみたいだ――』
「葉隠さん? もしもし? ……切れてしまったか」
そんな言葉を残し、葉隠桜との通話は途絶えた。
因幡はそっと胸に手を当て、目を閉じてから息を吐いた。――気持ちを切り替えなければならない。
目を開けると、因幡は後ろを振り返って言った。
「みんなさっきの通話は聞いていたな? ――急いで自分のやるべき仕事に取り掛かれ!!」
――はい!! と一斉に声が上がる。中には涙ぐんでいる職員もいた。気持ちは分かるが、今は泣いている余裕などない。
「……勝って生き残ってほしいと思うのは、私のエゴなんだろうな」
因幡はそう呟きゆるく首を振ると、自らのすべき仕事へと戻っていった――。
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