第10話 『姉弟』
カン、と小さくグラスをぶつけて乾杯の真似をする。中身がオレンジジュースなのは、ちょっと格好がつかないが。
「それでは改めて。――誕生日おめでとう、千鳥」
「鶫も十七歳の誕生日おめでとう。ふふ、なんだかちょっと気恥ずかしいわね」
「いいだろ、別に。年に一度くらいこんな風に祝ったって」
「そうね。――じゃあ、夕飯を頂きましょうか」
そう言って、鶫と千鳥は二人で微笑みあった。
色々あったけれど、こうして千鳥と一緒に笑いあえることが、鶫にとって何よりの幸せだった。
「蟹なんて食べるのは久しぶりね。高かったんじゃないの?」
「セール中で安かったんだよ。大丈夫、予算は超えてないから」
ベルとのデートらしきものから戻った後、鶫は部活の練習から帰ってきた千鳥と一緒に、普段より手の込んだ料理を一緒に作った。取り出した土産物には驚かれたが、駅ビルのデパートで買ったと言ったら何とか納得してもらえた。ちょっと危ないところだった。
「こうしていると、十年前の大災害が随分と昔に感じるわ」
ふと、千鳥が呟くようにそう言った。
――十年前の大災害。A級を超えるとされる魔獣が引き起こした、街ひとつが
記憶を失くし、家の場所も、両親や親戚のことも思い出せず、唯一覚えていたのは自分の下の名前だけ。
――あの日二人で火の海を駆けぬけたことは、今でも昨日のことのように思い出せる。それが、鶫の一番古い記憶だった。
「十年なんて、あっという間だったよな。子供の頃は毎日どうなるのかと不安だったけど、今は何とかやっていけてるし良かったよ。爺様が引き取ってくれなかったらと思うと、今でも恐ろしいけど」
「そうね。
夜鶴とは、十年前に鶫たちを引き取り養子にしてくれた、奇特な資産家の老人だ。
その老人は三十年前の混乱時に血縁者をすべて失くしており、今も山の中の家で隠遁生活をしているのだが、十年前に何の気まぐれか、避難所で会った鶫たちのこと引き取ってくれた。しかも、こうして生活するための一軒家を与えて、生活費と学費まで払ってくれている。
当初はあまりの気前の良さに疑心暗鬼にもなりはしたが、今は慣れてその善意をありがたく享受させてもらっている。
「いつかは恩返しをしたいけど、させてもらえるかなぁ……。あの人、お金には困って無さそうだし、基本的には人嫌いだから世話もさせてくれないだろう?」
「たまにお会いする時も数分で帰ってしまうし、嫌われているわけではないんでしょうけど、少し難しい人だからどうすればいいのか分からないわね……」
千鳥はそう言って、物憂げな顔をしてため息を吐いた。
夜鶴はこの家に年に一度顔を見せればいい方だが、こちらから会いに行くのは基本的に許されていない。そもそも鶫たちは夜鶴が住んでいる場所を知らないのだ。
夜鶴のことは『家族』と呼ぶには少し距離が遠すぎる。物理的にも、精神的にも。本当に、不思議な人だ。
「そういえば、千鳥は昔の記憶を思い出したりはしないのか?」
「……どうしてそんなことを聞くの?」
鶫は何となく聞いただけだったのだが、千鳥は何故か少し硬い声でそう聞き返してきた。意外な反応に、鶫は少し戸惑う。
「いや、何となくだけど。十年も経つし、ふとした瞬間に色々思い出したとしてもおかしくないだろう?」
「……いいえ。残念だけど私は何も思い出せないわ。――鶫の方は、何か思い出したの?」
千鳥は、心なしか真剣な顔をしてそう問いかけた。その様子に鶫は少々面食らいながらも、口を開いた。
「俺の方も、とくに何にも思いだせないままだよ。……ごめんな。もしかして嫌なことを思い出させたか?」
もしかしたら、千鳥は鶫とは過去への考え方が違うのかもしれない。鶫自身は別に自分の両親のことや過去の記憶なんてどうでもいいが、千鳥は優しいのでそれらを思い出せないことに罪悪感などを抱いている可能性がある。
家族とは、本来とても大切なものであるはずだ。鶫にとっての千鳥がそうであるように、千鳥はきっと思い出せない両親のことも大切に思っているのだろう。
「ちがうの、少しだけ感傷的になっただけだから。――そうだ、気分を取り直してプレゼントを交換しましょう? ちゃんと私の分も用意してくれたのよね?」
「あ、ああ。もちろん」
いやに明るい声で千鳥はそう切り出した。その様子を鶫は少しだけ疑問に思ったが、千鳥はただ単に暗い話をしたくなかっただけなのかもしれない。
そう思い、鶫は変な話を振ってしまったことを反省した。きっと祝いの日にするべき話ではなかったのだろう。
「私からはこれ。手帳と目覚まし時計。鶫は遅刻と忘れ物が多いでしょう? これを使ってこれからはちゃんと気を付けてね?」
「あはは、善処します……。でも、ありがとう。大事に使うよ」
先日ちょうど目覚ましが壊れてしまったので、タイミング的にはちょうど良かった。手帳はこれから魔法少女として生活するのに、スケジュール管理にきっと役立つだろう。
そんなことを思いながら、鶫はまず行貴に貰ったチケットを千鳥の前に差し出した。
「ええと、これは?」
「行貴からの貰い物。女性限定の温泉旅行のチケットらしいから、誰か友達を誘って行くといいよ。――俺からは、これ。開けてみてよ」
そう言いながら、鶫は綺麗にラッピングを施した箱を取り出した。
昨日ベルに「下手くそ」と冷やかされながら頑張った傑作だ。ラッピングなんてすぐに剥がされる物だと分かっていたけど、喜んでもらえるならそれでよかった。
「温泉旅行! いいのかしら、そんな高そうなものを貰ってしまって……。鶫の方は、あら、なんだか可愛いわね」
千鳥は器用な手つきで包装紙を破かない様に剥がしていく。そして中にあるものを見て、目を見開いた。
「アンデルセンの童話集……。それも、これはデンマーク語ね? 原本に限りなく近い文章が手に入るなんて、信じられない!」
千鳥はキラキラとした目で本を見つめていた。
――三十年前の混乱期や災害などで、図書館などの大半は焼けて消えてしまった。国の所蔵の書庫ならばまだ残っているものはあるだろうが、それらは一般市民がおいそれと見れるものではない。
それに鎖国状態に陥った影響で、日本国民の外国に対する心象は最悪だ。焚書扱いとまではいかないが、外国の図書、それもその国の言葉が書かれている本なんて、滅多に手に入らない代物なのだ。だからこそ、外国の図書の蒐集は容易ではない。
千鳥は震える手で、ぎゅっと本を抱きしめた。そこまで喜んでくれるのならば、苦労した甲斐があるというものだ。
「気に入ったみたいで良かっ、――え?」
思わず、言葉がとまる。
――目の前で、千鳥が
「な、何も泣かなくても。別に初版の原書ってわけじゃないし、価値自体はそこまでないんだぞ?」
鶫はおろおろと狼狽えながら、そっとティッシュを差し出した。千鳥が泣くところなんて、数年ぶりに見たのだ。動揺しない方がおかしい。
「ちがうの。鶫が私の好きなものをちゃんと覚えてくれてたのが嬉しくて……。本当に、ありがとう」
そして千鳥は、泣きながらも綺麗に笑った。
――その顔が、ちり、と
「喜んでもらえたならいいんだ。ほら、食器とかは俺が片付けておくから目を冷やしてきなよ。腫れたら大変だろう?」
「……ええ。ごめんなさい、子供みたいに泣いてしまって。先に部屋に戻っても大丈夫? まだ、ちょっと涙が止まらなくて……」
ごめんなさい、困るでしょう? といいながら、千鳥が涙を拭う。別に困りはしないけど、いくら姉弟だっていつまでも泣き顔を見られるのは千鳥だって嫌だろう。そう思い、鶫は快く千鳥を送り出した。
――ああ、喜んでもらえて本当によかった。
そう思い、鶫は満足気に笑った。
◆ ◆ ◆
千鳥は後ろ手に扉を閉め、両手で顔を覆った。ぽたぽたと、指の間から透明な、雫が流れていく。
――嬉しかった。とても、嬉しかった。
千鳥は時々、自分がこんなに幸せに暮らしていていいのかと不安になる。
千鳥はふらふらと立ち上がり、机の引き出しを開けた。そこには、小さな木枠の写真立てが一つ入っている。千鳥はその写真を取り出し、そっと写真の表面を撫でた。
「ごめんなさい」
そうして千鳥は、悲哀に満ちた表情で言った。
「ごめんなさい、――
ぽたり、と手に涙がしみこむ。
――その写真には、二人の人物が写っていた。
五歳くらいの幼い姿をした鶫と、寄り添うようにして笑う、
『最愛の弟、つぐみと。 さくら』
――鶫は、知らない。
――何も、知らないのだ。
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