第5話 固有スキル
――次の日、鶫とベルは家のリビングで向かい合って立っていた。魔獣と戦いに行く前に、まずは変身をしてみるべきだ、と鶫が強く主張したからである。
あらかじめ千鳥には学校を休むことを伝え、教師に連絡してくれるようにお願いしてある。鶫を心配していた涼音先生には悪いが、今日はとても学校に行っているような状況ではない。
当然行貴との予定もキャンセルになったのだが、行貴にしては珍しく簡単に引き下がってくれた。それどころか、鶫の代わりに古物屋に本を受け取りに行ってくれるらしい。やはり持つべきものは友人である。
――でも、行貴はなんで俺がまだ本を取りに行っていないことを知っていたんだろう?
まあ、おおかた鶫が本の受け取りを忘れていると思ったのだろう。助かるのだから、細かいことは別にいいか。
「さて、感想はどうだ?」
「なんていうか、すごいなコレ。……うわ、声まで変わってる」
そう言って鶫は、落ち着かなそうに喉元を撫でた。違和感がすごい。……服の下がどうなっているのか気になるが、この感覚だと何もかもが変質しているに違いない。
――そう、鶫は女性の姿に変身していた。
身長としては、恐らく170センチよりも少し下くらいだろう。肉付きは薄く、全体的にスレンダーな体系だ。
……心の中で念じるだけで、ここまで体が簡単に組み変わってしまうなんて。驚きと共に、畏怖を感じる。神の御業というのは、やはり普通の人間には扱いきれないものだとはっきりと分かる。
そんな鶫の様子を見て、ベルは満足そうに笑った。
「貴様に渡した契約具は、我の作った特別製だからな。些細な違和感などすぐに消えてなくなる」
「こんな小さな指輪なのに……。やっぱり神様はとんでもないなぁ」
魔法少女に変身するために必要な、契約の装身具。鶫が貰ったのは緑の丸い石が付いた大ぶりな指輪で、石の奥によく分からない紋章が刻まれていた。何となく男心をくすぐられるデザインだ。
「服装も、黒いスカートに詰襟のジャケットか。基本的には今着ている服装と似たような感じになるんだな。ちょっと意外だ」
いつも着ている男子制服が、そのまま女性用の服になったような感じである。このままだと地味すぎて逆に浮いてしまう危険性があるな。
だがそう冷静に思いつつも、自分がひざ丈のスカートを穿いているという事実が恥ずかしくてしょうがない。スースーして寒いし、何故女性はこんなものを好んで穿くのだろうか。
「いや、魔法少女の服装は本人の想像力によって変化する仕組みになっている。貴様の格好が大して変わってないのは、ただ単に想像力が貧弱なだけだ」
「じゃあ、世間一般の魔法少女が着てるあのキラキラした服は、全部自分で考えてるのか? ……悪いけど、俺にはとてもできそうにない」
所謂ゴスロリのようなデザインから、おしゃれなアイドルのような服、民族衣装のような装束。てっきり人によって一番似合った服に変化するのだろうと勝手に予測していたのだが、まさか全部自前だなんて。
「ふん、軟弱な。仕方あるまい、明日までにその契約具に服装固定の術をかけてやろう。我の契約者にふさわしい格好をさせてやる」
「えっ」
「なんだ、文句でもあるのか」
「いや、うん、……それで大丈夫です」
正直、どんなものが出来上がってくるか戦々恐々である。もし全体的にフリルとかがいっぱい付いてたら、どんな反応をしていいのか分からない。
けれど、この指輪の完成度から考えると、それなりのクオリティの物が出来上がってくるような気もする。ここは、ベルのことを信じてみよう。
というか、そんなことよりもっと気になることがある。
「ちょっと鏡を見てもいいかな。今の自分がどんな顔なのか気になる」
少しだけソワソワしてしまう。やはり変身と言えば、とんでもない美少女になるのが醍醐味だろう。
鶫がそう言うと、ベルは呆れたようにため息を吐いた。
「人間どもはすぐに顔のことを気にするのだな。たかだか皮一枚の話だろうに」
「そう言うなよ。えーと、鏡はここか。どれどれ?」
浮かれた気持ちで鏡をのぞき込む。そこに映っていたのは――。
「これが、
鶫はそう言って、不満げにベルの方を見た。
肩甲骨の下くらいまである真っすぐな黒髪に、色素の薄いとび色の瞳。その顔立ちは、もし鶫に顔立ちが似ている妹がいたら恐らくこんな感じだろう、といった顔そのものだ。
もちろんシャープさや丸みなど男女の差異はきちんとあるので同一人物には見えないだろうが、なんだかとてもがっかりした気分だ。
「流石にこの顔だと知り合いにバレると思うけど……」
「その時は知らないふりをして惚ければいい。普通は誰も男の貴様が魔法少女だとは思わんだろうよ。――そうだな、何か言われたら生き別れの妹かもしれないとでも言っておけばいい」
「簡単に言うなぁ。まあ、俺だって別に全部の魔法少女の顔を知っているわけじゃないし、このまま知られないことの方が多い……のか?」
あまり魔法少女業界のことは詳しくないので、判断がつかない。けれど、鶫よりも魔法少女に詳しいベルが言うのだから問題はないのだろう。
だが、生き別れの兄妹という設定は色々とまずい。俺と千鳥に過去の記憶が無いことは周知の事実なので、お節介――親切な人が、俺と『葉隠桜』を引き合わせようとしてくるかもしれないのだ。
「だが顔までは変えられんぞ。これ以上変身機能のキャパシティがもうないからな」
「……それならしょうがない。普段の姿の方で眼鏡でもかけて自衛をするしかないか」
これ以上文句を言ってもしょうがない。本来、鶫には嘆く権利も何もないのだ。意見を言えるだけまだマシだと思うべきなのだろう。
「ところで、この状態が『魔法少女』なのか? 感覚自体はあまり普段と変わらない気がする」
「馬鹿め。魔法少女の転換による強化の機能は、異界の空間の中でしか使えん。そんなことも知らないのか?」
「そうなのか? そんなこと一度も聞いたことはないけど」
鶫がそう答えると、ベルは険しい顔で眉をひそめた。
「……なるほど。魔法少女らの保護の為に秘匿しているのか。魔法少女としての力を使えない小娘など、やり方によってはいかようにも扱えるからな」
「でも、それじゃあ普段の生活が危険になるんじゃないか? 名前が売れてくると、質の悪い追っかけとかが出てくるらしいし」
「そうならない様に、魔法少女は変身前でも『二つ』の固有スキルが使えるようになっている。よほどのハズレを引かない限り、そこらの有象無象は太刀打ちできないだろう。問題は組織――外国の工作員だ。団体で銃火器に囲まれれば、なす術の無い者も中にはいるだろう」
外国の工作員か。日本は鎖国状態になって長いけど、手続きを踏めば限られた人々――外交関係者などは入国ができる。一週間以上の滞在は法によって許されていないが、その短期間の中で拉致などの行為を絶対に行わないとは限らない。
日本は今、世界中から注目されている。『
「気を付けるしかないか。……で、その固有スキルっていうのは一体なんなんだ? ゲームみたいな言い方だけど、パラメーターがついたステータス表示とかもあるのかな?」
そんなことをベルに聞くと、思いっきり蔑んだ目で見下された。それもわざわざ鶫の目線より上に飛んで。うーん、芸が細かい。
「そもそも人によって神力の使用効率も、許容範囲も、使える技も違う。ただ単に数値化された物が使い物になるわけないだろう。まったく、これだから無知なモノは困るのだ」
やれやれ、と肩を竦めながらベルは鼻で笑った。まあ、確かに浮かれて変なこと聞いた鶫も悪いだろう。命をかけて戦う魔法少女に対し、ゲームみたいだなんて失礼な物言いだった。反省をしなくては。
「あるのはこの『スキルシート』くらいだな。おい、見てみるといい」
ヴンッ、と機械的な音と共に、薄く光るA4の板のようなものがベルの手に現れた。
その板を、恐る恐る受け取る。全く重さが無くて、なんだか物を持っている気がしない。
どうやらタッチパネルのようになっていて、下にスクロールできるようだ。どれどれ。
「……あの」
「なんだ」
「俺たちの常識だと、こういうのをステータス表示って言うんだけど」
鶫は少し低めの声でそう絞り出した。
円グラフ形式の残存神力、肉体の起動率の表示。自分が使える
「別に我は
「ベル様とはそのうち、相互理解のための意見のすり合わせが必要かもしれない。今後の為にも」
言い聞かせるような口調で、鶫は言った。こんな風な意見の食い違いがあると、きっと後々困ったことになるだろう。その時に被害を受けるのは鶫だ。いくら使われる側とはいえ、むざむざ悪い方向へ向かっていくこともないだろう。
「えーと、このスキルシート?によると俺の固有スキルは――【転移】と【糸】。……糸?」
転移は分かる。自分や物を任意の場所に飛ばす、瞬間移動の能力だろう。スキル紹介の欄にもそのように表記してある。だが、この【糸】というスキルは一体どんな効果があるのだろうか。スキル紹介の欄には「糸を生み出し操作する」としか書いていない。
固有スキルとは別に
「よかったな。その【転移】とやらは当たりだ。調べたところ、政府の中にもその能力持ちは数人しか居ないらしい。我らの立場からすれば、人目につかず移動できるのは都合がいい。褒めてやろう」
「この【糸】ってスキルは……?」
「知らん。一つ目のスキルはほぼランダムだが、二つ目のスキルは個人の特性に由来するものだと聞くぞ。貴様が知らないなら我にも分からん」
ベルだけが頼みの綱なのに、まったく頼りにならない。思わず頭を抱えたい気持ちになった。どうすればいいんだ。
鶫の特性に依存したスキル。……糸を操ることが? 正直なところ、全くと言っていいほど覚えがない。
「……思ったんだけど、この『固有スキル』とか『スキルシート』っていったい誰が考えたんだ? 分かりやすくていいんだけど、何だかこう、現実感がないっていうか」
さっき鶫が思ったように、やはりこのシステムは今時の若者が考える『ゲームシステム』に近い物を感じる。ベルの言葉から推測すると、このシステムは全魔法少女共通のものだろう。あのお堅い政府がこんな遊び心のあるものを作るとは、鶫には少し考えにくかった。
「詳しくは知らんが、貴様らの太陽神――アマテラスが手慰みに趣味で作成したらしいぞ。呼び方や何やらは政府の連中が決めたそうだが。大方貴様らのような頭の軽い連中にも分かりやすいように、このような形で作っただけだろう。それと固有スキルがランダムと資質依存になったのは、自分で考えて技や術を作った連中が、碌に使い物にならなかったからだと言っていたが」
「な、なるほど?」
素直に尊敬したいけど、政府の手のひらで踊らされているような気分にもなり、微妙な気持ちになった。
スキル作成で自滅した連中は、きっと自分の限界を読み間違えたのだろう。思春期ってちょっとそういう風に突っ走っちゃうところがあるよな。
でもある程度基礎システムが出来上がった後で魔法少女になれたのは、まだ運が良かったと思うことにしよう。
はぁ、と肩を落としてため息を吐く。
「――この先、俺は生き残れるのかなぁ」
それだけが、ひどく憂鬱だった。
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