3 雛殺し

 ──丑三つ時。


 鷲子が寝静まったのを確かめてから部屋を出た。

 月の明るい夜で、階段をあがり切った小さなには、大きな格子窓から白い光が射していた。


 階段を挟んで向かいの和室からも、深々と静寂の音がする。


 中央の洋室の扉には鍵がかかっている。

 鍵は団長の睦子が管理している。


 私は鍵を開け、中に入った。

 

 初代の〈歌姫カナリア〉と〈騎士ナイト〉が暮らした部屋は、以来、ふたりの生活の名残に加え、金糸雀倶楽部の活動を記録・保管している資料室の役割を兼ねている。或いは、記念館と言ってもいい。


 鏡台には写真と新聞記事が貼られ、高級品なのにもう人の姿を映すには役不足。その鏡台の上には、宝石箱が。蓋を開けると、大きさに比例して遥かに少ない宝石がぽつぽつと星のように煌めいている。


 私は中央に《金剛石ダイヤモンド》を嵌めた。


 生活の名残の最たるものはだ。伊鈴と花がどうか知らないが、私と鷲子は各々に与えられている。初代の花形たちは、ひとつの大きな寝台ベッドを共有していた。枕元にはふたりが愛でた仏蘭西フランス人形が今も帰りを待つようにして枕に座っている。


 人形を手に取った。


 細かく癖のある髪が、藁のように手の甲を掠る。

 円らな左目を抉り出し、空いた窪みに《血玉ヘリオトロープ》を嵌めて元に戻した。


 部屋を出るとに人影があった。



「眠れないの?」



 伽怜だ。

 私が本来入る事のできない部屋から現れた事は不問。伽怜の胸の内に、既に金糸雀倶楽部への鬱憤が溜まっていると思えばそれも納得できる。


 伽怜は読書用の椅子に寝間着姿で座っていた。

 私は彼女の前に立った。



「風邪をひくわ」


「暑苦しいくらいよ」


「もし川の字で寝るのが辛いなら、交換しましょうか」



 伽怜の瞳に欲望がちらついた。



「本当?」


「私はどこでも眠れるから」


「私、納得がいきませんの。なぜ鷲子さんなんかが〈歌姫カナリア〉なの。私のほうが上手だわ。私が〈歌姫カナリア〉で、それであなたと相部屋だったらよかったのに──」



 私は伽怜の口を、唇で塞いだ。

 伽怜の頬は冷えていた。暑苦しいというのは、嘘だ。ゆっくりと伽怜の頬から指を引き、柔らかな唇に吐息を赦す。



「おやすみ」



 私は和室に入り、空いた布団に滑り込んだ。

 そして、朝。



「きゃあぁぁぁぁぁっ!!」


「!」



 悲鳴に目を覚ます。

 清々しい朝陽が射し込む和室で、乙女たちが飛び起き、各々が不安な声をあげながら廊下へ出て行く。なぜ私がいるのか、問う者はいない。


 私も廊下へ出た。


 階段の手すりに捉まって、沙由李が目を剥いて叫んでいる。



「誰か! 誰かあぁぁぁッ!!」


「どうなさったの!?」



 睦子が一早く駆け寄る。

 その肩を抱いて、沙由李の目線の先、階段の下を見遣った睦子は、絶叫した。



「きゃぁぁぁっ!」


「あ、あ、あ……」



 沙由李と睦子は互いに縋りながら腰を抜かす。


 響瑚が仁王立ちで階段の下を覗き込むのと、伊鈴が目を擦りその伊鈴に縋るようにして花が廊下に現れたのが同時だった。



「伽怜!」



 そう叫び、響瑚が階段を駆け下りていく。

 乙女たちは一様に手すりに手をかけて下を覗き込んだ。私もそうした。


 階段の下、寝間着姿の伽怜が力なく横たわっていた。



「しっ、死んでる!」



 寝惚け眼だった伊鈴が遅れて取り乱し、響瑚に睨めあげられる。



「莫迦! 生きてるに決まってるだろ!!」



 これを合図に風子が階段を駆け下りて行き、美登利、玉枝、万千が続いた。睦子は我を取り戻し、沙由李の背中をさすって励ましている。



「伽怜さん! 伽怜さん!」


「伽怜さん、目を覚まして!」



 玉枝と万千が響瑚同様に伽怜を囲んで跪く中、美登利が玄関のほうへ走っていく。自動電話交換機なんて贅沢品まで与えられるほど、私たちは別格の存在なのだ。



「お医者様をお願いします! 階段から落ちたんです!」



 風子が絞った手ぬぐいを持って戻り、響瑚に渡した。それから恐くなったようで、泣き出した。響瑚が手ぬぐいを伽怜の額に押し当てる。


 そんな様子を見おろしていると、後ろからそっと私の寝間着の裾を掴んだ人物がいた。鷲子だった。蒼白い顔で、言葉もなく、下階の喧噪を見つめていた。

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