喝采のあとで

元之介

第1部第1話 結希と研一

「ねえ、聞いてよ」

 また結希ゆきの聞いてよが始まった。研一けんいちはうんうんと頷きながらも聞く気がない。

「だから、聞いてって」

2歳下の結希は今度は研一の腕を掴んで引っ張った。

「どうしたの?」

仕方なく研一は結希の方を向く。

「あのね、あの・・・」

 結希は言いながら車窓から見えた女子歌劇団の公演看板を指差した。

「バラ戦争をモチーフにしたミュージカル?」

研一が結希の指差した大きな看板を眺めながら言った。

「あれ、観に行きたい」

「お母さんに言えば、直ぐ取ってくれるんじゃない?」

 研一はしきりにノートに何か書き込んでいる。

「何書いてんのよ」

結希が指摘した。

「宿題」

「宿題? 宿題って言うのは家に帰ってやるものじゃないの?」

「家に帰ったらネトゲ参加しなくちゃ」

「またゲーム? おばさん心配してたよ」

「なんで俺んちのこと知ってんだよ」

 研一は文句を言うが怒った風はない。結希とは家が近く幼馴染みで、妹も同じ存在だった。もちろん親同士も仲が良くかなりの情報を共有している。研一が現在ネトゲに嵌まっていることも筒抜けだった。

「それより、あの舞台」

 結希が女子歌劇団に話を戻した。

「ねえ、行かない?」

結希が研一の目を覗き込みながら問いかけた。

「歌劇団にもミュージカルにも興味ない」

研一が素っ気なく答える。

「なんでー。面白いよ」

「だから、お母さんと行けばいいじゃん」

「だめだよ。ママと行ったらああだこうだって、直ぐ批評ばっかしになっちゃうんだもん」

 結希の母親、宮島恵子は女優だった。と言っても出演したのはマニアックな自主制作映画ばかりである。

 ただ一本だけ昔のアイドル歌手の主演映画に出たことがある。映画はスマッシュヒットとなった。宮島恵子はその年に新設された映画祭で助演女優賞を受賞した。これが全てである。女優宮島恵子の女優人生はそこで終わっていた。

「とにかくバラ戦争とか興味ないし、ミュージカルとか訳わかんない」

研一がまた素っ気なく答える。

研兄ぃけんにい、て変わったよね」

「変わってねえよ」

「変わったよ。前はさ、映画や、TVドラマでも、色々感想言い合ったよね。今は全然・・・」

 結希が少しねたような仕草をする。その姿はごく自然で、間違いなく可愛い。学校でも人気者でラブレターや告白も研一の知っている限り3回はあったはずだ。

 とは言え誰とも付き合っていないのは、母親のせいか、それとも・・・。

「それにあの女子歌劇団の公演チケットって簡単には取れないんだろ」

 研一が今発車したばかりの駅名を確認しながら結希に言った。

「そこはママのコネで」

「ああ? そういうとこだけはママなのか」

「いいじゃない。使えるものは何でも使う」

「汚ったねえの」

「酷い。ママだって、あそこの卒業生なんだから」

 結希の母宮島恵子は青嵐歌劇団せいらんかげきだんの出身である。ただわずか2年で辞めている。委細不明。結希も知らない。

 ただ、チケットを優先的に取れるコネはあるようだ。一度研一の家族で観に行くチケットを取って貰ったことがあった。

「結希も女子歌劇団行くの?」

 研一が聞いた。

「付属の音楽学校ってこと? 行かない」

結希がきっぱりと答えた。

「行かないの?」

「行かないよ。女優とか興味ないもん」

「じゃあ、高校はどうするの?」

「行くよ。研兄ぃと同じ県立白燦高校。そうしたら一緒に通える」

「今だってしょっちゅう一緒に通ってる」

「学校までじゃないもん。電車だけだもん」

「お母さん、期待してんじゃないの? ピアノだって歌だって習ってんだし」

 研一がドアの角に追い詰めるように結希に問い質す。

「関係ないよ。ピアノも歌も好きだけどさ、歌劇団行く気なんてない」

結希は思わず大きな声で答えた。そしてさほど混んではいない車内を見廻す。

「あのね、ママのコネはチケット売り場の古株さんと仲良しだってだけで。たいしたコネじゃないの」

 今度は声を潜めて結希が言った。

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