第7話 大切なもの

 人にはそれぞれ大切なものが存在する。


 金や命が大切と言う者も居れば、時間が大切と言う者もいる。その他にも多くの大切なものがあるだろう。


 この世には大切なものが多過ぎる。


 人もそうだ。


 獅子は我が子を千尋の谷に落とす、このことわざを知っているだろうか?


 これは、深く想う相手、大切な人にわざと試練を与えて成長させること、またはそのようにして成長させるべきであるという考えを意味する。




 だから俺は、


 大切なもの等から距離を置いた。


 幸せを願って。






 数時間前。


 俺は玄関から出て、商店街のある方へと向かっていた。


 そして、親父のあの言葉が胸に刺さっていた。



『ハハッ、その…あー…葵ちゃんとは上手くやってるか?』



 さっきは無難に普通だと答えた。


 しかし、実際には2日連続で殴られ、まともに話さない関係。これが果たして普通と言えるのだろうか。


 それに…


『もし何かあったらすぐ連絡しろよ! すぐ駆けつけるからな!!』


 何もない。


 ないようにする…。


 折角の新婚旅行。1週間は2人で楽しんで欲しい。俺が邪魔をするなんて、あり得ない。


 その為にはアイツにまず謝らないといけない。誠意を見せる為にはやっぱり物かなんか買うか? でも好きな物とか知らないし…


 世理は頭を悩ませながら進む。


 そんな時だった。


「こんな所で何してるの?」


 どこか男勝りな声、だがその声は高く鼓膜を揺らした。


 振り返るとそこにいたのは、高校の時の1つ上の先輩、高橋たかはし 那由なゆさんだった。


「えーと…散歩に」

「バカ。そんな事聞いてるんじゃないわよ。今ロンドンにいるんじゃないの?」


 那由がそう言うと、頭を軽く叩かれる。


 那由は世理の高校の時の美術部の先輩だった。よく絵の描き方などを教わっており、その帰りにはご飯に行ったりとよくしてもらっていた。


 たが世理にとっては1番会いたくなかった相手でもある。


 世理は目線を下げる。


「? なによ?」


 格好はダボダボの灰色スウェット。このような明るい時間帯の服装とは思えない。せめてそういう格好は深夜コンビニに行く時だろう。


 まぁ、パーツは良いんだけど…服が…


 俺は自然と目線を下から上に移動させる。


 …せっかく綺麗な見た目してんのに…勿体ない。


 黒く艶のある長髪。透き通るかの様に白い肌にぱっちり二重の目。目尻は少し上がっており、少し明るい雰囲気を醸し出している。


「だ、だからなによ?」


 那由は世理の呆れたる様な表情を見て、顔を顰め、自分の身体を隠すように抱きしめる。


「別に…夏休みなんですよ。去年は課題とかで帰って来れなかったですけど今年は頑張って終わらせました」

「へー…! じゃあ今暇って事?」

「いや、暇じゃ…

「散歩してるんでしょ? ちょっと付き合え!」


 那由はそう言って世理の腕を掴むと、商店街とは逆の方向に歩き出す。


「いや、俺やる事が…!」

「…何よ、私を日本に置いて行った癖に」

「それはそれ、これはこれ! 兎に角、今俺にはやらないといけない事があるんです! 今、俺は貴方に会いたくなかった!!」


 俺は腕を振り解き、商店街の方へと進む。


 那由は世理を悲しげに、懇願する様に見つめる。


 が、世理はそれを無視する様に商店街へと向かった。




「はぁ…」


 まさかこんな所で会うとは…いつもならあの人まだ寝てるだろ。


 まだ午前10時。あの人の職業を考えればまだ起きるのは早い。


「空白の渇望」。これは累計発行部数9000万部を超える大ヒット漫画である。その多大に張り巡らされた伏線。独特な絵のタッチから、絶妙な進行。銃撃戦などが主で、残虐さが多くあるシーンながら、続きを読ませたくなるストーリーの内容で、ダークストーリーながら1億部を超えそうな、今1番勢いのある漫画である。


 その原作者があの人だからな…普通なら寝てるか、漫画書いてるんだろうけど…。


 高橋 那由。初めて作った漫画を出版社に持って行った高校2年生の頃、編集長に光る物があると言われて半年にして世に漫画が広められた。まぁ、所謂天才って奴だ。


「俺とは生きてる所が違うよな…」


 世理が空を見上げながら呟く。


「って…どういう事よ!!」

「ぐふっ!?」


 突然、俺の腰にとんでもない衝撃が訪れる。


「うおぉぉぉぉぉ……」


 イッテェェェェェ…!! 何が起こった!?


 世理は後ろを振り返ると、そこには仁王立ちをしている那由がいた。


「何が生きてる所が違う、よ!! 世理くんと変わらないわ!!」


 どうやら、つけられていたらしい。


 あんな事を言えば追ってこない、そう思ってたがそうでもなかったらしい。


 しかも、さっき言った言葉、自分に言われたって事分かってる…


「変わりますよ」


 俺は地面に座りながら言った。


 俺とは違う、天上人。もう将来が約束された人。この人にはブランドがついた。高橋 那由という名のブランドが。


「変わらない!! 変わらないの!!!」


 那由は訴える様に叫んだ。


 今にも泣きそうに声を震わせて。


 …いつもこの人はそうだ。機微に聡い。


 苦手だ。


「はぁ…分かりました。変わりませんよね。はいはい」

「……今はそれで許すけど、今度また言ったらこれじゃ済まないわよ!!」


 那由さんはそう言うと、満足そうに強く縦に首を振る。


 全く、昔から変わらないな…この人は。


「ほら!! 彼氏なんだから私のご機嫌とって!!」


 少し頬を赤らめ膨らませる那由は、地面に座り込む世理に手を差し伸べる。


「はぁ…"元"ですけどね」


 そう言って俺は那由さんの手を取った。

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