第11話 初めての授業

 ラースが少々派手な自己紹介をしたあと、彼に関わろうとする生徒は少なかった。

 クラスの委員長、副委員長である女子生徒二人の事務的な挨拶、あとはスチールとも交友のある気の良い男子生徒が声をかけてきたぐらいだ。

 他の生徒からは遠巻きにされ、彼の席に近づこうとすらしない。だがそのおかげで、ラースが嫌がっていた質問攻めは回避された。

 ラースにとっては喜ばしいことだったが、スチールに「もっと穏便にね……あまり過激だと友達できないよ」と諌められてしまった。


(ちょっとやり返しただけで過激だと責められるなんてな。心外だぜ)


 ラースは四時間目の授業を受けながら、大きく欠伸をした。今は魔術基礎原理の時間だ。教壇に立って板書する教師を横目に、ラースは窓の外を眺めた。良い天気だった。


(早く授業、終わらねえかな……)


 ラースは既に授業に飽きていた。

 最初こそ教科書の完成度の高さや授業を受けることに新鮮さを感じていたが、それが四回も続けば有り難みも薄れる。特に今日は、午前中の授業が全て座学だったため尚更だ。大体の授業の流れは似通っていて、教師の個性で多少の差異が出る程度。授業の内容が既に理解しきっていることもあって、ラースはこの時間をどうやって暇潰しするか考えているところだった。


(それにしても、名門だと言われるだけはあるな。教科書は要点を押さえていて、煩雑な部分を段階的に教えているからわかりやすい。授業は教科書に沿いながら補足を交えつつ、誤った解釈をしないよう丁寧に教えている。……俺様も、こんな環境で魔術を勉強したかったなあ)


 ラースは教育の質の高さに感心しつつ、過去の己の環境が特殊だったことを再認識し、ため息を吐いた。


 ラースは表向き、農村出身という事になっている。生まれつき魔術を扱えることに長けていたため、親の伝手で神都のある魔術師の弟子となる。しばらくそこで魔術を学んだ後、独学で疑似神経を魔術で作り出した。その有用性を示し、医療分野に多大なる貢献をしたことが認められ、ラースは魔導師となったのだ。


 現実は、ラースは娼婦の子供で、貧民街で育った。


 母は娼館で働いていたが、ラースが七つの頃、仕事中に首を絞められて死んだ。たかが娼婦の子供を引き取る者がいるはずもなく、母の死体を埋葬した後、ラースは娼館から追い出されてしまう。

 幸い、その頃には既に魔術の才能の片鱗を見せており、大芸道の真似事をして何とか金を稼ぐことができた。だが、それが本職の芸人の癇に障り、ラースは彼らに半殺しにされる。


 そんな瀕死の彼を拾ったのが、ラースの師匠となる闇医者であった。

 闇医者がラースを拾ったのは親切心ではなく、新薬の人体実験をするのに丁度良い被検体だったからだ。ラースはそのことに気がつき、瀕死ながらも魔術を行使し、逃げようとしたが失敗する。

 その時、彼が人並外れた魔術の才能があること、何より瀕死の状況で自分を殺そうとした気概を気に入り、闇医者はラースを己の助手として育てる事に変更した。

 闇医者は意外にも面倒見が良かったが、容赦も無かった。子供の手のひらより分厚い魔導書を渡し、一日で覚えてこいと命じるのは珍しくもない。薬草と毒草の効能を教えるため、それらを交互にラースに食べさせたり、魔術の種類によって殺傷能力が違うことを、実践で身体に直接叩き込んだりもした。ラースが魔術を失敗し死にかけた時も、助けられたことがない。心臓が止まった時は蘇生してくれたが、その一度きりだ。

 そんな環境下でラースが反抗しないわけもなく、逃げ出したことも多々あった。だがその度に連れ戻され、さらに厳しく教育されるはめとなった。いつしかラースは逃げ出すことを諦め、大方の魔術を習得するまでの我慢だと己に言い聞かせ、大人しく闇医者の教えを受けたのだ。


 そのような状況が五年以上続き、ラースが十三歳となった頃。遊び半分で作っていた疑似神経がひょんなことから完成してしまい、金にしようと闇医者の伝手を使って医学界に売り込んだら、あれよあれよと周りから持ち上げられ魔導師にされてしまうのだが——それはまた、別の話。


 ラースの波瀾万丈な人生から分かる通り、彼は真っ当な教育を受けたことがない。今回のように学園に潜む機会がなければ、学校生活がどのようなものか一生知らなかっただろう。

 文字通り血反吐を吐いて魔術を習得した己と、暴力も痛みも、死の危険すらも無く勉強に集中できる学生達彼ら

 ラースは、彼らが羨ましいと思った。


(今更な話だ。羨んでも、仕方がねえけどな。……それでも、少しは考えちまうな)


 ラースが世の中の教育格差にやるせない気持ちになっていると、教壇に立っていた教師が困ったように言った。


「あー、ロクラグ君は休みかぁ。じゃあ、この問題を誰にやってもらおうか……皆、一巡したしねぇ。もう一回、最初からかな」


 どうやら演習問題を生徒に解いて欲しいが、指名した生徒が欠席していたようだ。その生徒の名前に、ラースが顔を上げた。


(……ロクラグ?)


 まさかな、とラースは嫌な予感を覚える。隣にいるスチールにさっきの生徒のフルネームを尋ねようとしたところで、ある生徒が教師に言った。


「先生! まだ当たっていない生徒がいます。編入生のラース・ハイドラゴンが、指名されていないです」


 先ほど、ラースに机を蹴られた茶髪の男子生徒だった。彼はラースがいる斜め後ろを一瞥し、ニヤリと笑ってから前を向いた。


「ああ……そういえば今日だっけ。じゃあ、ハイドラゴン君。この問題を解いて、皆の前で説明してくれる?」


 教師は黒板をチョークでトントンと叩く。ラースは面倒臭そうな顔をして、席を立った。

 出題された問題は、魔法陣の構築理論についてだ。「魔法陣が通常円形となることから、魔力が波と考えられる理由を述べよ」と黒板に書かれている。

 ラースは白いチョークを手に持つと、計算式を書き始めた。そんな彼を、スチールは同情しながら見守っている。

 魔術基礎原理は、高等部一年の中で最も難しいと言われている授業だ。また教師であるヘルスの採点も厳しく、十全に理解しているかどうかかなりしつこく質問され、誤った解答をすれば「ちゃんと授業聞いてる?」と煽られる。そのため、授業最後の演習問題は生徒達の間で公開処刑と揶揄されていた。

 先ほどの男子生徒がラースを指名したのは、彼に恥をかかせるのが狙ってだろう。嫌な奴だ、と後ろから睨んだら、突然彼が振り向いてきた。スチールはすかさず顔を逸らし、素知らぬふりをした。


「書き終わったぜ。説明していいか?」


 ラースがチョークを手にしたまま、隣にいたヘルスに尋ねた。教師が頷くと、ラースは身体を生徒の方へ向け、話し始めた。


「まず、魔法陣が通常円形をとる理由は、魔術を発動する際に発生する核を中心に、魔力が等速円運動をしているからだ。この状態の魔力はエネルギーを放出せず、外部から刺激を与えなければ永久に円運動を続けるとする。この円軌道上を動くある一点の魔素(マナ)に横から光を当て、鉛直の壁に射影した場合、直線上で往復運動していると考えられる。これを単振動と呼び、進行波の各点の動きは単振動で表せられる」


 黒板に書いた数式の下に、十字線と波形の図を描く。


「つまり、単振動は進行波の曲線に当てはめることができ、その計算式を用いることができる。また、円の中心を通るよう十字線を引き、半径を斜辺とした直角三角形を作り、徐々に角度を変化させると、その対辺の長さは進行波の振幅と同じ数式で求められる。周期、振動数、周波数は同じ値と単位を取り、変位や速度、加速度を同様に求めるということだ」


 ラースが横に並行して書いていた二つの数式をチョークで下線を引いた後、「そのため、魔力は波として考えることができる……説明は以上だ」と言葉を締める。

 彼の流暢な説明に他の生徒は珍しい物を見たかのような顔をし、ヘルスが黒板を見ながら顎をさすった。


「うんうん、ちゃんと勉強しているね。因みに、魔力を波と考えることによってどんなことに都合が良いと考えられるかは、知っているかな?」


 ラースはチョークを元に戻してから、答えた。


「魔力を波として考えることで、魔法陣を展開しなくても、詠唱のみで魔術を発動できることに説明がつく。音は三次元的な波だ。人間の声は既に個々の魔力の波長と共鳴するようにできている。そのため、魔法陣を展開するよりも簡単に魔術を発動できるが、発動に時間がかかるのと威力が魔法陣より劣るのが欠点だ」


「もう一つ、利点があるよね? それはなに?」


「魔法陣を展開したら発光することだな。音が波として考えられているように、光も波として考えられる。魔法陣が発光する理由は、魔術を発動する際、魔力が励起した結果、余ったエネルギーが光として変換されているのが今の通説だ。利点としては、音よりも光の方が速度が速いため、魔術の発動時間が短いことと、複雑な魔術も行使できるということだ。欠点として、演算量が膨大に膨らんじまうがな」


「うんうん」


 ヘルスはニコニコと笑った。


「じゃあ最後に、初級、中級、上級の、三つの火の魔術の違いを、実際に発動しながら説明してみて」


 他の生徒達が息を呑んだ。ラースはその事に気がつかず、注文が多いなと不満を持ちながら言われた通りに魔術を発動した。

 人差しに魔術を集め、指先程度の火を付ける。


「初級は、魔術を発動する際に発生する核をそのまま使えば良い。詠唱も魔法陣もいらない、一番簡単な魔術だが、魔力効率は悪い」


 次に、手のひらの上に小さな皿程度の魔法陣を展開する。仄かに赤く光った直後、ボッと勢いよく炎が燃え上がった。


「中級は、魔法陣の展開が必要だ。初級よりは魔力効率が良く、威力も高い。だが、複雑なことはできず、火の温度も調整できない」


 そして最後に、ラースは頭上に魔法陣を展開し、詠唱を唱えた。


『火の鳥よ、自由に羽ばたけ』


 瞬間、魔法陣が炎に包まれ、その中から火の鳥が姿を表した。それは本物の鳥のように教室を一周すると、ラースの肩に止まる。不思議なことに、彼の服は燃えなかった。


「上級は、魔法陣の展開と詠唱が必要だが、比較的複雑な魔術を発動できる。ある程度なら火の温度も調整でき、姿形も変えることができる。魔力効率も、三つの中では一番良い。ただ、中級と比べかなり難易度が上がるのが欠点——」


 ラースが手を握って火の鳥を消し、説明を終えようとしたところで教室の異変に気がついた。

 他の生徒が、異様に静かだった。皆、ラースを信じられない物を見る目で凝視している。流石の彼も居心地の悪さを感じ、助けを求めるように隣にいたヘルスに視線をやった。


「うんうん、よく勉強しているね。ハイドラゴン君」


 ヘルスは、先ほどと変わらない満面の笑みで言った。


「二年生の範囲まで予習しているとは、感心感心。皆も、彼の熱心さを見習うようにね」


 ラースは教科書をちゃんと読んでおけば良かったと、後悔した。

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