92.

 アンナは遠く離れた木々の隙間から戦闘を見ていた。

 隣には、あの時共にいた護衛がいる。

 あの日、マーシャが四阿で倒れてすぐに駆け寄ろうとしたが、教師は何かを握り潰すような仕草をし、直後に手から漆黒の煙が舞い上がった。

 煙は金と銀、赤が混じり合いながら急速に空へと広がって分厚い雲のようになり、すぐにまとまった形を取り始めた。

 巨大な胴体に、それを支えるだけの巨大な両翼。

 陽光を反射して煌めく鱗は幻想的だと言えたが、形状は不吉そのものであった。

 冒険物語に出てくるドラゴンのようだと思い、アンナと護衛は唖然と見ているしかできなかった。

 煙が収まり、ドラゴンが地上へと降りてきた。

 眠っているようであり、瞳は閉じている。

 その巨躯の重さを証明するかのように地面が揺れたが、翼を折り畳んで蹲るような姿にアンナは恐る恐る歩き出し、マーシャが倒れた四阿へと踏み込んだ。

 教師はもはやベンチに伏せるマーシャには興味を失ったようで、眠るドラゴンの傍らで感心したように見上げていた。

「お嬢様!お嬢様!!」

「しっかりなさって下さい、お嬢様!」

 アンナと護衛は二人がかりで声をかけたが、マーシャは反応しなかった。

 顔を上げ、教師を睨みつける。

「お嬢様に、何をしたのですか!」

 だが教師は顎に手を当て、まるで自分の作品の出来を確かめるかのように、ドラゴンの周囲をうろうろと見て回っている。

 アンナは護衛にマーシャを任せ、教師の元へと駆け寄った。

「お嬢様に、何をしたのですか!」

 同じ台詞を投げかけた。

 教師はようやくこちらを見て、どうでもよさそうに身体を揺らした。

「魂をこっちに移したんだよ」

「…は?…魂…?」

「美しくて巨大なハリボテ。まさに彼女にふさわしい器だろう?これを生かすも殺すも彼女次第だよ」

 両手を広げ、満足そうに笑う教師に、アンナは背筋に悪寒が走るのを自覚した。

「何を…何を言っているのです?お嬢様を元に戻して下さい!」

「死ねば戻るよ」

「何ですって!?」

 何でもないことのように言い放った男に掴みかかろうとしたが、かわされた。

「気安く触れようとするな」

 呟かれた言葉はぞっとするほど冷たかった。

 震えて身体が硬直したアンナに向ける瞳はとても冷たい。

「な…」

「聞こえてた?死ねば魂は元の身体に戻るよ」

 くるりと背後を振り返り、男が笑顔で告げる先には目を薄く開いたドラゴンがいた。

「でもこのままじゃどうしようもないよね。それで僕は考えたんだ。君を殺してくれる王子様を呼ぼう!」

「…何を…言っているのです…!?」

「運命の人になり損ねた君に捧げる、僕の最後のプレゼントだよ」

 にこやかに言い置いて、振り返った時には無表情の男がアンナに言った。

「二時間後、スタンピードが起こる。目的地は彼女の領地。すぐ近くに都市があるだろう。そこだ」

「…は…!?」

 そして男はドラゴンを振り返る。

「悪者にドラゴンの姿へと変えられてしまった姫を、王子様が助けに来るのさ。感動的だね?」

 自らを「悪者」と名乗り、軽く笑う。

「うーん、僕は親切だなぁ。彼女に捨てられたというのに。さ、かーえろ」

「待って…待っ…!」

 アンナの制止も聞くことなく、男の姿はかき消えた。

 魔法なのか何なのか、アンナにはわからない。

 だがそこにいるのは男が残したドラゴンだけだった。

「…お、お嬢様…?」

 恐る恐る問いかける。

 見上げれば、ドラゴンの碧の瞳がアンナを見ていた。

 アンナは涙が溢れてくるのを堪えられなかった。

 お嬢様と、同じ瞳の色だったからだ。

「お嬢様、お嬢様…!お辛いでしょう、苦しいでしょう。おいたわしい…!必ず、必ず元に戻って頂きますからね。しばし、お待ち下さいましね…!」

 そっとドラゴンの鱗に触れるが、反応はなかった。

 ただ静かに、アンナを見ていた。

 アンナは護衛と共に魂の抜けたマーシャの身体を連れ、急いでルイビスタスへと戻った。

 転移装置を使って王都の屋敷へ戻り、侯爵に目通りを願う。

 お嬢様の件で至急といえば侯爵は会ってくれた。

「何だ、何があった?」

「お嬢様がスタンピードに巻き込まれました」

「……なんだと?」

「二時間以内にスタンピードが起こります。ルイビスタスへやって来ると」

「意味がわからん。わかるように説明しろ」

「お嬢様の魂を人質に取られました。スタンピードを収束させなければ、お嬢様が目覚めることはありません」

「…はぁ…私はおまえの戯言に付き合っている暇はないんだが?」

 呆れたと言わんばかりに肩を竦める主人に、アンナは引き下がることなく噛みついた。

 お嬢様の危機なのだ。理解してもらわねばならなかった。

「あの教師が!お嬢様の魂を!魔獣に移したのです!!」

「…待て。そうだ。教師と会うと言っていたな。それで?どうしてそんな作り話を…」

「作り話ではありません!お嬢様は魂を抜かれ、眠り続けておられます!」

「は?どういうことだ」

「お嬢様にお会いになって下さい!お早く!」

「おいおまえ、私に向かって…」

「お願い致します!お嬢様の命が、かかっているのです!」

「…な…」

 早足にマーシャの部屋へ行き、寝室の扉を開ける。

 マーシャは眠っているように見えるが、目を覚ますことはない。

「…マーシャ、起きなさい。おまえのメイドがおかしなことを言う。クビにしたほうがいいのではないか?」

 侯爵が呼びかけるが反応はない。

 不審に思った侯爵は、マーシャの身体を揺らした。

「ほら、起きなさい。魔力切れかな?ポーションを用意しよう」

 だが何も変わらなかった。

 鼻先に手を当てれば呼吸はしている。

 眠っているようにしか見えないのだが、起きなかった。

「魔法で眠っているのか?」

「いいえ…いいえ」

 そこで初めて侯爵はアンナの顔をまともに見た。

 そして、驚く。

 アンナはマーシャ付きになってから、ずっとソツなく取り澄ました表情をしていた。

 娘の為に生きることが生き甲斐であると、常々言っているメイドであった。

 そのメイドが、酷い顔色をして泣いていた。

「…おい、冗談はやめろ」

「冗談であれば、どれだけ良かったことか…!」

 両手で顔を覆って蹲ったアンナに、周囲のメイドも困惑していた。

 侯爵も同意見であったが、困惑しているだけではいけない。

「娘についていた護衛がいただろう。そいつを連れて来い!」

「控えております」

 居室の扉の外から、男の声がした。

 寝室を出て男の元へと向かい、問い正す。

「何があったのだ。正確に話せ」

「教師とお嬢様はルイビスタスの森林公園でお会いになりました。湖畔の四阿にて歓談の最中、突然お嬢様が倒れられ、アンナ殿とわたくしは駆け寄ろうと致しました。そのときあの男が何かをし、黒い煙が舞い上がりました。…煙はドラゴンの姿となり、お嬢様の魂をドラゴンへ移した、と…」

「…貴様も夢でも見ているのか…?」

「真実です!二時間後にスタンピードが起き、ルイビスタスへ押し寄せると言っておりました!ドラゴンを倒せばお嬢様の魂はお嬢様の身体に戻るとも!」

「…は…?本気で言っておるのか?命を賭けて?」

「これは真実であり、わたくしの命を賭けても構いません!スタンピードを起こし、討伐してもらおう、とも言っておりました!もう二時間を切っております!もし本当にスタンピードが起こるなら、ルイビスタスだけでなく、侯爵領が壊滅的な被害を受けることになります!旦那様!」

 護衛の必死な様子を見ても、侯爵だけでなくその場にいた誰もが信じがたい思いを抱いていた。

「そんな妄言を信じろというのか…?」

「旦那様!信じて頂けなくとも構いません!ルイビスタスの門を!せめて、門を閉ざして下さいまし!魔獣は森林公園から参ります!西門を閉ざし、様子を見て下さい!お願い致します!旦那様、お願い致します!!」

 アンナは床に跪き、両手をついて頭を下げた。

 護衛もまたアンナに並び、同じように頭を下げた。

「お願い致します、旦那様!二時間後、何も起こらなければクビだけでなく、責任を取り自決いたします!」

「…そこまで言うなら、良かろう」

 侯爵は執事を呼び、指示をした。

 一時間後、本当に魔獣の群れが森林公園方面からやって来たと報告を受け、侯爵は戦慄した。

 数え切れない程の、波のように押し寄せる万を超える魔獣が来ていると聞き、メイドと護衛が言っていたことは真実だったのだと信じざるを得なかった。

 持っていたティーカップを床に落としたことにも気づかず、部屋の隅に控えるアンナと護衛を見た。

 彼らはただ静かに事態を受け止めているように見えた。

「…本当、なんだな」

 呟けば、メイドは頷く。

「…では、魂を移されたというのも…?」

 暗い表情で、再度メイドは頷いた。

 侯爵は項垂れた。

 何故神は、娘に試練ばかりを与えるのだろうと思う。

 幼い頃より優秀な娘であった。

 何をやらせてもできてしまう。

 だが鼻にかけることもなく、家族に優しく、使用人すら大切にするような子であった。

 王太子の婚約者になりたいと、ここ最近は冒険者の活動も頑張ってきた。

 弟を更正させ、今ではすっかり真面目になったセシルは剣も勉強も前向きに取り組んでいる。

 努力を惜しまず、人を思いやることの出来る心の美しい娘なのだ。

 だからこそ、魔に魅入られたのか。

 哀れな娘であった。

 なんとしても助けなければらなない。

 スタンピードを収束させねばならない。

 魂を移された魔獣が倒されれば元に戻るというなら、倒してもらわねばならなかった。

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