66.
次の週の土曜日、サラは伯爵令嬢カリンの屋敷から帰宅しようとしていた。
馬車にはサラとマリアの二人が座り、護衛はいない。
川を渡り、森林公園を走る。
「…サラ様、お疲れですか?」
珍しくマリアから話しかけてくれた、と思ったら、心配されていた。
サラは目を瞬き、にこりと笑む。
「伯爵令嬢からのご招待だもの。私が一番下位なのよ。疲れたというよりは、緊張したわ」
「帰宅されましたら、ゆっくりなさって下さい」
「ええ。ありがとう」
王女殿下のお茶会に参加されていた令嬢の茶会は、一巡した。
来月はサラの番であるが、最近では令嬢の数が増え、どの令嬢もサラよりも上位であるため、順番に茶会に招待する、と言われたら嫌とは言えない。
いや、ありがたいことであるので、もちろん参加はさせて頂く。
皆様に受け入れて頂いているのだ、と感じることができて嬉しい。
冒険者と貴族を繋ぐ、一つの手段になれたらいいと思うのだった。
夕暮れてきた空を見つめていると、林に差し掛かった所で異変を感じた。
睡眠の魔法をかけられたのだった。
サラはレジストしたが、御者とマリアに耐性はない。
マリアが座席に倒れ伏し、御者を心配して小窓を覗けば誰かが御者の隣に座っていた。
そっと小窓を閉じ、サラはため息をついた。
「えぇ…またこのパターン…?」
だが睡眠魔法を使ってくるということは、敵は冒険者であろうと思われた。
冒険者が人に危害を加えようとするなんて、冒険者の風上にも置けない所業である。
術者のレベルはサラより下であることはわかったが、仲間も同レベルかどうかはわからない。
またキャンプ場へ連れて行かれるのだろうかと外を見るが、今度はどうやら道を引き返しているようだった。
「…誘拐かな…?」
眠らせて目的地へ連れて行くのは常套手段のように思える。
「目的は何だろう」
金銭か。
だが英雄の娘を誘拐して、ただで済むと思うだろうか。
「うーん、わからない…」
「こら、サラ!!返事をしろ!!」
耳元で叫ばれるような声が響き、サラは呻いて咄嗟に耳を塞いだ。
鼓膜が破れたらどうしてくれるのだ、と言いたい。
「お、お兄様、声が大きいです…」
「誘拐って何だ!!説明しなさい!!」
声は耳元に聞こえる。
兄がこの場にいるわけではなかった。
サラはつけているピアスに触れ、「それが私にもちょっと…」と言いつつ、状況を説明した。
このピアスはパーティーを組んでいるメンバーならば、どこにいても会話ができるという付呪具だった。
どういう仕組みで会話ができるのかは不明だが、パーティーを組んだ時点で魔力の登録がされるらしい、というのは母から聞いた説明であった。
ただ、会話をしたいメンバーも同じピアスをつけていなければ意味がなく、固定メンバーでもなければ常用されることはない。
「…事情はわかった。だが目的がわからないな」
「うん」
「ああ、俺が家にいて良かった。パーティー組んでいて良かった。ピアスつけていて良かった。すぐ母上に報告をする。騎士団と父上にも報告をする。いいな、自分の命を最優先にしなさい」
「わかりました。今上位貴族の住宅街に戻って来ました。場所がわかったらまた連絡をします」
「うん、でも無理はするな」
「はい」
パーティーメンバーとの遠距離会話は、口を開いて会話するわけではなかった。
付呪具に魔力を流しながら、会話を思い浮かべるイメージである。
なので目の前で会話を楽しみながら、遠距離メンバーとも別の会話をすることも可能であった。
とはいえ、実際は口を開いて会話する方が楽である。そんな器用な芸当を要求される場面はそう多くはない。
今まではなかったが、今回はとても役に立ちそうであった。
一人で出かけることは今までもよくあったが、前回兄といた時に襲われた経緯があるので、念の為、と兄がパーティーを組んでおくよう勧めたのである。
このピアスは小さな魔石が一つきりであり、茶会につけていくにはふさわしくなかった為に、茶会用のアクセサリーはマジックバッグに収納していた。
つけていて良かった連絡用ピアス。
閉めたカーテンの隙間から外を見ていると、今度は母の声が聞こえて来て、再度耳を塞ぐはめになった。
「サラ!!大丈夫なの!?」
「うっ…お、おかあさま、声、声が大きいです…」
「それどころじゃないわ!待ってて、必ずすぐに助けに行くわ。マリアと御者は一緒にいるのね?」
「はい、マリアは馬車の中に、御者は御者席で眠っているようです」
「そう…。今は見えないわね…外の様子はわかるかしら」
母の声に、何故か安堵で泣きそうになりながら、サラはそっとカーテンの外を窺った。
「上位貴族の屋敷街に入ってからまだそれほど経っていませんが、郊外へ向かっているようです。見える屋敷の門が少なくなっています。…川沿いではありませんね」
「そう…地図を広げるわ。…郊外と言っても、東西どちらかしら」
「おそらく、西方面かと」
「西ね…上位貴族の狩猟場があるところかしら」
「狩猟場には行ったことがないのでわかりません…」
「そうね、お父様は狩猟なんてしないし、冒険者からすればお子さまのお遊戯ですものね」
「そ、…そうですね」
いつも通りの母の調子に、困惑すると同時に安堵するという複雑な思いを抱く。
「サラ、マリアの首元のリボンについている魔石、外せるかしら」
「え、マリア…?あ、はい。…えっこれ、魔石…?」
眠っているマリアの首元に結ばれているのは、メイドのお仕着せのリボンである。
蝶々結びの中央部分に、飾りとして覆って止めるタイプの魔石がついていた。
「それを窓の外に向けてくれる?」
「はい」
自分の顔や手が見えないよう注意しながら、窓辺に魔石を向けた。
母の意図を察して、見渡せるように百八十度魔石を動かす。
「反対側もお願い」
「はい」
言われるままに魔石を向けた。
おそらく見ている光景が母の元に送られているのだろう、と推測した。
「もういいわ。サラ、その魔石、自分のアクセサリーにつけておけるかしら」
「わかりました。ネックレスにつけておきます」
「お願いね」
魔石をネックレスのトップ部分につける。
「さてサラ、これから大事なことを言うわね」
母が優しい声で言うので、サラは素直に頷いた。
「はい」
「あなたは眠ったフリをして、誘拐犯達に連れ込まれなさい。マリアと御者もおそらく縛って別の部屋に監禁されるでしょう。あなたが目覚めたら、犯人は目的を言うでしょう」
「はい」
「もし、万が一、あなたが勝てないような相手なら逆らわないで。…おそらくそんな相手は出てこないと思うけど。クソ雑魚だったとしても、ぎりぎりまで話を引き延ばしてね。あなたの身が危うくなるようだったら構わないわ。殺してもいいわよ。処理はこちらでするからね」
「お、お母様、落ち着いて」
「マリアや御者のことは…あなたはきっと気にするわね。でもあえて言うわ。彼女達の存在は一旦忘れなさい。生きてさえいれば回復できる。脅迫の材料に使うんだから、簡単に殺したりはしない。…どちらかというと、材料に使われないよう、上手く話を引き延ばせることが一番よ。…できるかしら?」
「やってみます」
「私達を信じて。必ず助けに行く。もしあなたが皆殺しにしちゃったとしても、私達がなんとかする。大丈夫。…できれば瀕死で止めておいてくれると、後で楽しみが増えるんだけれど。…うん、今のはナシ。できれば生きて捕らえたい。でも無理はしないで。あなたの安全が最優先よ」
「はい」
母の発言は所々物騒であるのに、声音はいつも通りに温かく、優しい。
サラは涙の浮かぶ目を瞬いた。
泣いていることがバレてはいけない。これ以上心配をかけてはいけないのだ。
自分の手が震えていることを自覚した。
怖い。
たとえAランク冒険者になり、大抵の人間よりは強くなったとはいえ、サラはまだ十五歳なのだった。
何故誘拐などされるのか。
悪意を向けられるのか。
前回は兄が共にいてくれた。
今はサラ一人だった。
サラが、マリアと御者を守らなければいけない。
「…サラ、深呼吸をして。大丈夫。家族がついてるからね」
「…はい。お母様、信じてます。助けに来てね」
「ええ、絶対よ。すぐに行くわ」
やがて馬車が止まった。
「…馬車が止まりました。寝たフリをしますね」
「ええ。私達がついてるわ。待ってて。少しだけ、我慢してちょうだいね」
「はい」
サラは座席に横になり、目を閉じた。
眠っているように見えるよう、力を抜いて呼吸を整える。
ややあって扉が開く。
入って来たのはやはり冒険者とおぼしき気配の持ち主が一人、男であった。
マリアの手足を慣れた手つきで縛り、肩に担いで下にいる男に渡していた。
そしてサラへと向き直り、手足を縛る。
普通の縄であったので、切るのは容易い。
ありがたいな、と思いながら、サラは眠ったフリをしたまま肩に担がれ、小屋とおぼしき室内へと入った。
季節は九月、夏であるため暖炉に火は入っていない。
薄目を開けて視界に入る床材は、木であった。
ログハウスのようだと思う。
狩猟場、という話であったから、おそらく休憩の為などで使用する小屋なのだろうと思われた。
二階へと上がり、廊下突き当たりまで歩く。
距離を考えると、小屋とはいえそこそこに立派な建物のようだった。
扉を開け、さらに奥へ。
貴族の邸宅のように、居室があって、寝室へと入ったようだ。
そのままベッドの上に放り出され、衝撃に声を上げそうになるが、耐える。
スプリングやシーツの具合から、かなり上質なベッドだと思われた。
そのまま目を閉じていると、男が部屋を出ていく。
鍵をかけられた。
特に誰かと会話している様子もなく、下の階へと降りて行くのを気配で探りながら、サラは目を開けた。
ランプに明かりが灯され、室内は明るい。
カーテンは閉められており、外の様子は窺えなかった。
サラは身体を起こすか迷う。
気配を探り、近くに人の気配がないことを確認してから身体を起こし、手足を縛られているので飛び跳ねるようにしながら窓際へと移動し、肩でカーテンを少し開けてみた。
いつの間にか空は暗くなっており、窓に映るのは己の姿だった。
外の明かり等が一切見えない所を見ると、周囲には何もないのだろう。
窓に映る己の何とも不安そうな表情にため息をつき、カーテンを戻してベッドへと腰掛ける。
ここには何人いるのだろう。
少なくとも二階に気配はなかった。
とはいえ、サラ以上に強い者がいるのなら、気配を消されたら感知しようもないのだが。
睡眠魔法を使ってきた男なら、Bランク以下である。
サラの敵ではない。
さて、相手の目的を聞かなければ、対応のしようもなかった。
身代金ならば家に要求するのだろうし、その他の目的があるなら犯人が直接語ってくれるはずである。
サラはもう一度深呼吸をして、ベッドの上に上がった。
目が覚めて身体を起こしたものの、見慣れない場所に呆然としている男爵令嬢を演じてみようとしたのだった。
しばしそのままの姿勢で待ってみるが、誰も来る気配はない。
「…えぇ…?まだ寝てるだろうっていう配慮…かな…?」
馬車の中での震えは何だったのか、ここまで来てしまえば後は早く展開が進んでくれないと拍子抜けであった。
さらに待てば、下階気配が騒がしくなった。
階段を上がって来る足音がして、部屋の前で止まる。
鍵を開け、中へと入ってきたのは若い男と、サラをここまで連れて来た冒険者らしき男の二人である。
「ああ、起きていたんだな」
若い男は身なりからして、上位貴族の令息のようだった。
無言で見つめれば、恐怖で動けないと思ったのか不躾に近づいて来て、顔を覗き込んで来る。
ニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべる男は、わがまま放題に育てられたお坊ちゃん、といった雰囲気だった。
顎を捕まれ、持ち上げられる。
不快感がこみ上げるが、眉を顰めるだけで耐えた。
「ふん、なんだ。冒険者なんてやっているというからどんなブスかと思えば、いいじゃないか」
「……」
失礼な男であった。
他人の容姿をとやかく言うな、と思いつつ、サラは無言で見つめるに留めた。
「おまえ、喋れないのか?」
誘拐しておいて、何を言っているのだろうと思う。
「…私を誘拐した目的は何でしょうか」
ストレートに問えば、男は含み笑いをし、次いで高笑いをした。
ひたすらに不快であった。
男が笑い終えるまで黙して待てば、ヒーヒー言いながら呼吸を整え、男は大げさに両肩を竦めてみせた。
「何を言ってるんだ?おまえは僕とここで逢い引きしているんだ」
「…は?」
素で引いた声が出た。
手足を縛り、眠らせて誘拐して来た男が、何を言っているのか。
男が再び近づいて来るので身体を引くと、深追いはせずベッドサイドに腰掛けた。
「おまえが僕に懸想して、どうしても会って欲しいと言うから、わざわざ僕がこの場所を用意して、茶会帰りのおまえが寄り道できるようにしてやったんだ」
「…はぁ?」
意味がわからなかった。
眉を顰めるサラに、男は胸のポケットから手紙を取り出し、見せてきた。
「おまえが僕に寄越したラブレターだよ」
「…私はあなたに会ったことがありませんし、名前も知りませんし、懸想しようがありません」
おまけに見せられたラブレターとやらは、サラの字ではなかったが、サラの名前が綴られていた。
「…私が書いたものでもありません。騙されていらっしゃるのでは?」
あえて気遣うように首を傾げて問うて見せれば、男は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんなことはどうでもいい。大事なことは、おまえがここに来て、僕と一夜を共に過ごしたという事実だ」
「…お断りします」
「現実を見ろよ。逃げられると思っているのか?これだから女は馬鹿なんだ」
「……」
サラは返事をしなかった。
まともに会話ができるタイプの相手ではないと悟ったからだった。
こちらがどれだけ常識的なことを言っても、相手は自分の信じる常識しか受け入れないタイプ。
ダメだこりゃ、とサラは思い、だがまだ目的を聞いていないと思い直す。
「何故そのような事実が必要なのでしょうか?」
あまり刺激しないようにしよう、と思う。
大人しく見えるよう、気弱に見えるよう、少し声を潜める。
冒険者の男は寝室の入口からは離れたが、気配はあるのでおそらく隣室にいるのだろうと思われた。
逃げようとしたり、暴れたりしたら介入して来るのだろう。
目の前の男は得意げな表情になり、ふん、と鼻を鳴らした。
「感謝するがいい。おまえを愛人にしてやろうというんだ」
「は?」
愛人?
何を言っているのだろう、この男は。
ぽかんとしたサラを見て、男は何を勘違いしたのか、満足そうに一人頷いている。
「嬉しいか?そうだろうそうだろう。正妻は子爵令嬢がなる予定なのでな、おまえは男爵令嬢だから愛人だ。まぁ、おまえの頑張り次第で愛情は得られるかもしれないぞ?」
「……」
呆れ果てて言葉が咄嗟に出て来ない、という経験を、サラは初めてした。
「男爵令嬢ごときでは、嫁げたとしても伯爵止まりくらいだろう。だが僕は次期侯爵。愛人になれば生活には不自由させないし、おまえの兄も後見してやってもいい」
「……」
必要ない、と即答したかったのだが、我慢した。
なるほど侯爵家。
一瞬あの令嬢の顔が浮かんだが、目の前の男とは似ていないし、あの家の跡取りは弟だったはずである。
どこの侯爵家だ。
知り合いの家でないことを祈るばかりであった。
こんな馬鹿が跡取りとは。
サラはそっと息を吐いた。
目的は、我が家への発言権を得ることと、王家への影響力を強めることか。
手段が誘拐であれ、「貴族令嬢が男と一夜を共にした」という事実は致命的である。
既成事実がなくとも、あったとみなされるのが貴族社会なのだった。
サラは今後、男爵令嬢としては生きていけなくなるだろう。
結果として「サラを愛人にし、家への発言権を得る」という男の目的は達成されるのだった。
主犯はこの男の父親なのだろうか。
何にせよ、サラは貴族令嬢として傷を付けられ、他人の所有物として扱われる人生が待っているというわけだった。
目の前の男に、サラの怒りは理解できようはずもないだろう。
何故他人にいいように扱われなければならないのか。
家族が、誰よりも尊敬する両親が「自由に生きろ」と言ってくれているというのに。
踏みにじられる筋合いはない。
こんなことが許されていいはずがない。
貴族令嬢として生きていけなくなるのなら、サラは冒険者として生きる道を選ぶ。
こんな男の愛人になど、ならない。
死んでも、ならない。
黙ったままのサラを見て納得したと思ったのか、男はニヤニヤと下品な笑みを浮かべながらサラへと手を伸ばしてきた。
「心配するな。既成事実は必要だからな。これから一夜を過ごすのは事実だが、優しくしてやろう。大人しくしていれば後で好きな物を買ってやるからな」
この男は従順な者には寛容なのかもしれなかったが、サラにとってはどうでもいいことだった。
手がサラの頬に触れようとした瞬間、サラは男を睨みつけた。
「触れるな、下種が」
静かな怒りが、部屋を満たした。
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