34.

 金曜日、サラはグレゴリー侯爵令嬢の屋敷へとやって来ていた。

 これほど気乗りのしないお招きがあるだろうか。

 到着した瞬間から、サラはうんざりしていた。

 十歳の頃ご令嬢と顔見知りになってから、周囲に侍るたくさんのメイドや護衛を見てきた。

 下賤な者が、と見下す視線を寄越してきた顔がいくつもあった。

 いらっしゃいませ、と頭を下げて迎えてくれるが、その誰もがサラの顔など覚えてもいないのだった。

 下々の顔など覚えるどころか、見る価値もない、と思っている所が好きになれないとサラは思う。

 使用人がこうであるということは、雇用主自体がそういう考えであるのだろう。

 …自らの家を顧みて、使用人失格な彼らが表に出ないことを切に願うのだった。

 庭園に面したサロンに通され、座って待つ。

 しばらくして、ご令嬢がやって来たので立ち上がって頭を下げた。

「本日はお招き頂きまして、ありがとうございます」

「いいのよ。かけてちょうだい」

 来てくれと招いたのはそちらなのだから、「来てくれてありがとう」と言うべきではないのだろうか?まるでこちらが押し掛けたのを許したような返答に、サラは頬が引きつりそうになるのを耐えた。

 招かれたら礼を言う。招いたら、来てくれたことに礼を言う。

 そこに立場は関係ない。当然の礼儀であった。

 仮に親しい友人であろうとも、崩してはいけない一線なのである。

 ご令嬢とその使用人に対する己の感情は間違っていない、と認識を新たにしながら、腰掛ける。

 茶と菓子を用意させた後、ご令嬢はおもむろに使用人を下げた。

「ですが、お嬢様」

「いいの。とても大切なお話があるの」

「…では、サロンの扉前にて待機致します。お嬢様を一人にすることなどできません。それでご容赦下さいませ」

「…わかったわ。内緒話をするけれど、気にしないでね」

「かしこまりました。聞き耳を立てるようなことは、致しません」

「ありがとう」

 聞き耳を立てます、と宣言しているに等しい使用人に礼を言うご令嬢に首を傾げそうになるが、ティーカップを持ち口を閉ざす。

 こちらとしては、聞かれて困るような話をするつもりもない。

 使用人が全員下がり、扉伝いの壁に並んだ。

 サロンは広いので、声を潜めれば確かに話は聞こえにくいかも知れなかった。

「…大切なお話とは、なんでしょうか?」

 さっさと終わらせたくて問えば、ご令嬢は躊躇うように視線をさ迷わせる。

「ええ…。…その、あなた、好きな人はいるかしら…?」

「…どういう意味でしょう?家族とか、そういうことでしょうか」

「好きな人と言えば、殿方に決まってるじゃないの。…ああ、あなたが女性が好きというなら応援するけれど…」

「…何故そのようなことをお知りになりたいのでしょうか」

 面倒くさいな、と、サラは思った。

 恋愛の話など、何故この令嬢としなければならないのか。

「その、あなたが今誰のルートにいるのかを知りたくて」

「…ルート、とはなんでしょうか?」

 それには答えず、ご令嬢は自分のしたい質問をしてくるのだった。

「騎士団総長の息子と仲がいいでしょう?」

「…騎士団総長の息子、というと、バーナード様のことでしょうか」

「そうよ」

「友人だと思っておりますが」

「そうなの?宰相の息子は?」

「副会長は、尊敬する先輩です」

「魔術師団長の息子は?」

「…申し訳ありませんが、その方とはお話ししたことはないと思います」

「アーデン公爵令息は?」

「尊敬する先輩です」

「ギルドマスターの息子は?」

「友人です」

「…王太子殿下は?」

 ご令嬢の口調が明らかに変わった。

 サラは慎重に答えを探す。

「殿下は殿下であらせられますので、私などが気安く接することができる方とは思っていません」

「あら…そうなの?」

「はい」

「そう…あら?じゃぁ誰のルートにも入っていないの?」

「…すみませんが、おっしゃる意味がわかりません」

「夢見る乙女の恋愛遊戯、という言葉に覚えはない?」

「…夢見る…?わかりません」

 先程からこの令嬢は、何が言いたいのだろうか。

 サラは早く帰りたいという思いを必死に耐えていた。

「どうして十歳から冒険者を始めようと思ったの?」

 尋問のようだな、と、思う。

 そして何故全てに答えてやらねばならないのだろう、とも。

 「無難にこなして来い」との母の言葉を思い出し、不快な感情を隠して微笑む。

「当時父は騎士爵を賜っておりましたが、一代限りの爵位でした。兄も私も将来は平民として生きていけるよう、冒険者としての活動を始めました」

「反対されたでしょう?だって、溺愛されていたんだから」

 まるで見てきたように物を言う。

 気味の悪いものを感じながらも、サラは笑顔を崩さない。

「いいえ。両親共に応援してくれました」

「えぇ…?本当に?」

 疑り深そうに言われる筋合いはない。

 意味の分からぬ感覚に、サラは戸惑う。

「私が冒険者をやることに、何か問題があるのでしょうか?」

 問えば、ご令嬢は顔を顰めた。

 嫌そうな、顔だった。

「大有りよ。…わたくしはあなたも転生者ではと思ってるのよ」

「てんせいしゃ…?とは何でしょうか」

「…とぼけてるんじゃないの?」

「意味がわかりません」

 二度目の言葉だった。

 意味が、わからない。

 明らかに困惑した様子のサラを見て、ご令嬢はため息をついた。

「まあ、誰のルートにも入ってないなら、大丈夫…か」

「……」

 気持ちが悪い。

 早く帰りたい。

 「あなたも」ということは、何らかの仲間意識、もしくはライバル意識を持たれていたということだった。

 意味もわからずそのような目で見られて、気持ちがいいわけがない。

 おまけに、冒険者をやることを否定されるのだ。

 …この人と関わりたくないな、と、強く思うのだった。

 ティーカップに口を付けたご令嬢は、ふっと息を吐いた。

「ねぇあなた、わたくしと友達にならない?」

 口に含んだ茶を噴き出すかと思った。

「…どういうことでしょうか」

「わたくし、王太子殿下のことが好きなの。協力してくれない?」

 この人が殿下のことを好きだとして、何故友達になって協力しなければならないのだろう。

 脈絡のなさに、サラは混乱する。

「…友達になることと、協力することは関係があるのでしょうか」

「あるわよ。友達なら、殿下と上手く行くよう協力してくれるでしょう?」

「……」

 よくわからなかった。

 友達なら、人の恋路に介入しなければならないのだろうか。

 そもそも何故、このご令嬢と友達にならなければならないのだろうか。

 何故、殿下とこのご令嬢が上手く行くように協力しなければならないのだろうか。

 好きなら勝手に頑張ればいいのである。

 サラを巻き込む意味が、わからなかった。

「友達なら、協力しなければならないのですか?」

「そうよ。友達って、そういうものでしょう?」

 そういうものだとは思わない。

 全く、思わない。

 善意で協力したい、と思うのは、友人の幸せを願うからである。

 強制されるものではない。

 サラとは相容れない感覚の持ち主の相手をする不快を、耐えることに神経を使う。

 決して表情には出さない。穏やかな笑みを浮かべ、付け入る隙を与えぬよう、上位貴族を気遣う男爵令嬢として振る舞う。

「具体的に何をさせたいのでしょうか?」

「殿下と二人でお話しできるようにセッティングしたり、殿下にわたくしの気持ちをそれとなく伝えたり、殿下のご予定を聞いて、わたくしの予定と合わせたり」

「…それは友達の仕事ではなく、使用人の仕事ではないでしょうか」

「使用人だと、殿下に近づけないじゃない。そんなこともわからないの?」

 なるほど、とサラは思う。

「友達という名の使用人が欲しいと言うことでしょうか?」

「何を言っているの?友達は友達でしょう?」

「グレゴリー侯爵令嬢様が求めていらっしゃる友達が、それ、ということなのですね」

「そうよ。もちろんわたくしと友達になれるのだから、あなたにもメリットがあってよ。筆頭侯爵家の娘と男爵家の娘。貴族社会ではどちらが優遇されるか、考えるまでもないわよね」

 サラはため息をつきたくなるのを、辛うじて抑えた。

 これ以上ここにいても、時間の無駄だった。

「そうですか。申し訳ございませんが、私ではグレゴリー侯爵令嬢様の要望にはお応えできないと思います。私はしがない男爵家の娘ですので、殿下に近づくことなど適いませんの」

「でもあなたには殿下の親友である、お兄様がいらっしゃるでしょ?お兄様に頼んでくれたらいいじゃないの」

 このご令嬢は、兄まで顎で使おうというのだった。

「…それでは、私ではなく兄に直接頼まれるのがいいのではないでしょうか?」

「わたくしがあなたのお兄様に下手に近づいたら、殿下に誤解されてしまうでしょう?いえ、仲良くできるものならしたいけれどね。だからあなたに頼むんでしょう?」

 サラのことも、兄のことも、単なる駒としか見ていないことが、不快だった。

「友達の恋路を、兄に頼むのですか?聞いてくれるとは思えません。自分で何とかしろと言われるでしょう」

「…じゃぁあなたに頑張ってもらうしかないわね」

 何を言っているのだろう、この令嬢は。

 何故私がこの人の為に頑張ることが当然のように言われなければならないのだろう。

 サラはもはや同じ人間と会話しているとは思えなくなっていた。

 投げやりな気持ちで、早く帰りたいという望みを実現する為だけに口を開く。

「私が殿下と顔を合わせる機会と言いますと生徒会になりますが、そこで私が「グレゴリー侯爵令嬢様が殿下と二人で話したいとおっしゃっているので、時間を作って下さい」と申し上げればいいのでしょうか」

 適当に言ったのに、ご令嬢は頬を染めて頷いた。

「そ…そうよ。殿下がお一人でいらっしゃる時にこっそりと伝えてちょうだい」

 冷めた瞳になるのは仕方がない。

 口調だけでも丁寧に、サラは答える。

「殿下のおそばには侍従と護衛がおりますが、どうやってこっそりやるのでしょうか?手紙を渡そうものなら、まず侍従が受け取り、中を確認します。話しかけようとすれば侍従と護衛が遮りますが」

「それはあなたが考えなさいよ」

 ごめん被る、と、サラは思った。

 口に出さなかっただけ立派だと、後で自分を褒めてやろうと思う。

「殿下とお近づきになりたい、という点において、私は友達にはふさわしくありません。グレゴリー侯爵令嬢様は筆頭侯爵家でいらっしゃるので、私などよりも殿下と接する機会は多いのではないでしょうか?」

「…それはそうかも知れないけれど…」

 サラは立ち上がった。

 これ以上ここにいることに耐えられなかった。

「今日はお招き頂きまして、ありがとうございました。そろそろ失礼させて頂きますわ」

「お、お待ちなさい!」

「…なんでしょうか?」

「王太子殿下に言い寄られても、断りなさいよ」

 はぁ?と、サラは言い返しそうになるが、耐える。

 この令嬢が他人を従わせることが出来るとすれば、それは自家の使用人だけであるということを、失念しているとしか思えない。

 サラがこの令嬢の命令に従う必要は欠片もないのだった。

「…おっしゃる意味がわかりませんが、もし仮にそのような事態が起こったとしても、それをどうするかはその時の私が判断しますので、今の私がとやかく言うことはできません。失礼致します」

「はぁ?何よそれ…!ちゃんと断りなさいよ!」

「…王太子殿下に望まれて、断れる貴族令嬢がいるのでしょうか?」

「…っそ、それは」

 王族が政略だろうが何だろうが権力を使って求めてきた時、断れる貴族家など存在しない。

 王太子が個人的に、ということであれば話は別であろうが、そのことについてはサラはあえて触れなかった。

「ただ、そんな心配をなさる前に、ご自身で行動された方が確実だと思います」

「うるさいわね、言われなくてもしてるわよ…!」

「余計なことを申しました。失礼致します」

 一礼をして、出口へ向かう。

 後半はご令嬢の声が大きく、聞こえているだろうなとは思ったが、使用人達のサラを見る目が冷たい。

 無条件でお嬢様に協力すべきと言いたげな表情だ。

 想像していたことなので素知らぬ顔で通り過ぎ、二度と来るまい、と決意した。

 ご令嬢とのお茶会は一時間もかからなかった。

 準備の為にかけた時間の方が長いと思いながら、サラは馬車に乗る。

 まだ日は高い。

 無意識にネックレスに触れながら、サラは思う。

 言い寄られたら断れ、と言われたが、本当に嫌ならば相手が誰であれ自分はおそらく断るだろう。

 ご令嬢にとっての「都合のいい友達」を断ったように。

 ご令嬢への協力を断ったように。

 それが許されるのは、両親が英雄であり、国に大切にされているからという面があることは否めない。

 ただの平民だったら、普通の男爵家であったなら。

 権力に任せて潰すと脅されても自分は断れるのか、と自問すれば、答えは出なかった。

 自分が恵まれた環境にいることを、自覚せざるを得なかった。

 そして両親頼みではなく、自分自身が強く、誰かを守れる立場になりたいと思うのだった。

 それとは別にして…と、サラは思う。

 

 殿下が自分を望んでくれたなら、自分はどういう反応をするのだろう。

 

 …自分でも想像ができなかった。珍しいことだった。

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