23.エイザの怒り
リエルの光を横に見ながら、三人は、地底の道を歩いていた。道は岩肌に沿って、うねりながら、谷の奥へと続いている。
「君たちは、女王イコタ様に会いに来たのだったな」
エイザが歩きながら言った。
「はい。でも……会えるでしょうか」
「案ずることはない。私が、何としてでも女王様の元へ連れて行く。夢魔の主に邪魔はさせない。むしろ、一矢報いてやりたいほどだ」
その言葉は、穏やかな口調だというのに、怒りが滲んでいるように聞こえた。何か、言葉にも声にも現れない雰囲気に、こころは気圧されて、口を閉ざした。
「ところで……夢魔の主とは、いったい何者なんですか?」
今度は優利が聞いた。優利の言葉に、リエルは「人間だよ」とまず真っ先に言って、
「しかし、いまの彼女はもう人間ではないだろう」
と付け加えた。その言葉にこころと優利は、二重に驚いた。
「女性なんですか? しかも、もう人間ではない、って……」
エイザはしばらく、その言葉に返事をしなかった。ただ黙々と道を歩き続け、そして不意に、
「彼女のことが、知りたいか」
と二人に聞いてきた。こころと優利は、二つ返事で「はい」と答えた。
「ならば話そう。と言っても……人間の世界での彼女のことを、私たちは知らない。知っているのは、ホシノヒカリという名前だけだ」
「ホシノヒカリ……? 星の、光?」
まるで人の名前に聞こえなかったのだろう。こころは首を傾げた。そして優利は、頭の中で、漢字を色々と当てはめていた。そして、自信はあまりないものの、思いついたことを言った。
「星に、野原の野で星野かも」
「星野……下の名前が、ヒカリさん」
「名前はヒカリと言っていたから、そう区切るのだろうな。ヒカリは、妖精の国を訪れる人間としては珍しく、大人だった。人間、しかも大人が来ることなど、本当に久しぶりで、女王様はとても喜ばれて、彼女を城に招いたのだ」
「女王様が、招いた?」
優利はオウム返しに聞き返していた。夢魔の主が女王様を連れ去ったと聞いていたので、まさか、初めのうちは友好的だったとは思わなかったのだ。
「彼女は初めのうち、怯えていた様子だったが、女王様と打ち解けてからはとてもよく喋るようになった。特に、自分が行ったことがあるのだという、竜の国や人魚の国の話しをよくしていた」
「人間なのに、竜や人魚の国に行ったことがあったんですか?」
「それを信じているのは女王様だけだったがね。私たちは誰も信じなかった。彼女は……あまり良い人間で無いと私たち近衛騎士は感じていたんだ。言っていることのほとんどが、嘘偽りだとミカが見抜いたんだ。人間の世界の話は、ほとんど全てが彼女の良いように飾り立てられ、彼女がとても素晴らしい人間であるかのように語られていた」
こころは顔をしかめた。「自慢話だらけだったんですね」と、嫌そうに言う。エイザは頷き、
「彼女を元の世界に帰すべきではないか、と私たちは女王様に進言した。しかし、女王様は彼女が妖精の国にいることを、お許しになられた。気が済むまで、ここにいればいいと。
……だが、ヒカリは、妖精の国で暮らし、女王様と話すだけでは満足しなかった。恐ろしい本性を剥き出しにしたのだ」
「夢の力を独占するため、女王様を連れ去った……」
「そう。そして、妖精の騎士たちと、夢魔との戦争が始まった。しかし、彼女はとても強大な力を得ていた。女王様の目を盗んで、女王様のリンゴを食べ、夢の力を得てしまった。私たちでは適わず、地底から騎士たちは逃げ帰った。
そしてその戦争が終わると、ヒカリは、地の妖精たちを集め始めた。……あれを、作るために」
エイザが道の途中で足を止め、言った。左に大きくカーブする道の先には、大きな建物が見えた。円形で縦に伸びている。それは一本の塔だった。
「リエルの力のせいで夢魔たちが弱ることに気づいたヒカリは、妖精たちを集めて塔を建てた。あの中で……恐らく、女王様のリンゴの木が育ち始めている」
「あの中で!? 女王様の木が、もう一本……」
「そのリンゴを食べて、彼女はいまも力をつけ続けている。夢魔は増えに増え、水の町を嵐で閉ざした。いつか、風の町も、私の故郷火の町も、全て彼女の力に支配されるだろう」
重い沈黙が、辺りに立ちこめた。三人は、じっと塔を見つめ、思い思いの感情を抱いた。ただ、誰も自分の気持ちを、口には出さなかった。
「さあ……行こうか。彼女のところに。女王様に会うためには、彼女に会わなければならない」
「会わせて……くれるでしょうか」
不安そうなこころに、エイザは笑いかけた。
「無理やりにでも、会いに行く」
その言葉に、笑顔に、こころは安心するどころか震え上がった。エイザの中に、あまりにも強い怒りが渦巻いているのが分かった。もしかしたら、自分が消えるのも構わず、エイザは夢魔の主に刃向かうかもしれない。それを恐れたこころは、
「危ないことだけは、しないでください」
そうエイザに言った。エイザは歩き出した。こころの言葉には、答えなかった。
道は、脇道と合流しながら、塔へと真っ直ぐ向かっていた。途中、邪魔する者は誰もいなかった。こころと優利は、エイザに導かれ、塔の前に立った。
「あれは……地の妖精?」
塔の周りには、夢魔とは違う姿があった。背は低く、体はずんぐりとしていて、小柄なのに大きな岩や重そうなハンマーを持ち歩いている。みな、暗い顔をしていて、三人の方をちらりと見ることはあったが、声をかけるどころか、ほとんど反応もせず、顔を背けてどこかへ行ってしまう。
「彼らは、この塔の建設を夢魔の主に命令されているんだ。塔の周りに足場が見えるだろう。あそこに登って、塔を上へ上へと伸ばしているんだろう……私が最後に見たときより、大きくなっているな」
「……どうして夢魔の主は、塔を伸ばしてるんでしょう」
「女王様のリンゴの木のせいだろう。女王様の分身たるリンゴの木は、女王様が夢を見るたびに成長し、その枝に実を付けるのだ」
こころと優利は、塔を見上げた。高い、とはあまり感じられない。せいぜい、四階か五階建てのマンションぐらいの大きさしかない。しかし、一年程度でリンゴの木がそこまで伸びたと考えると、それは驚くべき速度のような気がした。
「この塔の中に、女王様が……」
「ああ、行こう。中には夢魔がいるだろうが……私が相手をする。君たちは足を止めず、ともかく上を目指すんだ」
「……はい。エイザさん、気をつけて」
エイザは笑って頷き、そして塔の扉に手をかけた。両開きの大きな扉。その片方を開け、中へと入っていく。こころと優利もそれに続いた。
こころと優利は警戒に身を硬くしながら、背後で扉が閉まる音を聞いた。
しかし――塔の中は何も無く、がらんとしていた。
夢魔たちもおらず、家具も装飾品も無い。中を照らす照明すら無かった。壁際に沿って、上に向かう階段がある以外は、本当に何も無い。冷え切った空気が、逆に侵入者を拒絶しているようですらある。
だが、エイザは一言「上から来る」とだけ言い、そして、その場からいきなり走り出した。
「エイザさん!」
こころが叫ぶように名前を呼んだ。だが、名を呼ばれたところでエイザは引き留められたりはしなかった。階段を上っていき、あっという間にその姿が見えなくなる。こころと優利は後を追った。
すると、階段の半ばほどを登った辺りで、上の方から、恐ろしい音がした。何かが爆発したような音と振動が、いきなり伝わってきたのだ。キーンという耳鳴りがするほどの轟音に思わず二人は身を竦ませ、それから、恐る恐る上へと登っていく。
上の階は、やはり照明一つない、がらんとした空間だった。違うのは、夢魔がいることだった。こころが持つ、ミカの光が届かないせいで、部屋の大半は闇に覆われている。
その闇の中で、何かが赤く光っていた。それを見たこころは初め、子供のころにやった手持ち花を思い出した。火を点けた花火を持って振り回すと、光の尾を残しながら、闇の中に火花が散るのだ。その時の光と、いま見えている光は、少しだけ似ていた。
「エイザさん……」
優利が、震える声で呼ぶ。声は小さすぎて、こころにしか聞こえていなかった。それを聞いてこころは、その光を放っているのがエイザだと気づいた。エイザの手が燃えている。大きく開いて、かぎ爪のように曲げられた指の先に、赤い火が灯っていた。その手が振るわれるたびに、夢魔が吹き飛ばされ、あるいは燃やされていく。夢魔と戦うエイザの姿は、鬼気迫るものだった。
ミカともラビーとも、そして水の町の騎士たちとも違う恐ろしい姿にこころと優利が震えていると、唐突に音が止み、火も消えた。部屋の中はまた暗闇に包まれた。
「……上にもまだいるようだ。君たちは、ここで待っていてくれ。音がしなくなったら、階段を上るんだ」
何も言わないこころと優利にそれだけを言うと、エイザは上へと向かってしまった。そしてまた、数秒としないうちに、上の階から戦いの音が響く。
「……い、行かないと……エイザさんを止めないと」
こころが言う。しかし優利は首を横に振って、こころを止めた。
「止めてどうするんだよ」
「だって……あんな」
「オレたちじゃ止められない。エイザさんはいま、怒ってるんだ」
「怒ってる……」
「エイザさんの友だちは、みんな消えてしまったり、想像もつかないほど傷ついてしまった。エイザさんはオレたちのために戦ってくれるんじゃない……たぶん、自分の怒りのために戦ってるんだ」
こころは、上への階段を見た。この場は、任せてしまった方がいい。それに、いま登って、戦うエイザの姿を見るのは恐ろしい。分かっていても、何故か止めなければいけないという感情が生まれてくるのだ。
「あんな戦い方をしたら……エイザさんまで」
なんとか、それだけを優利に伝える。優利は、ゆっくりと頷いた。
「それでも、エイザさんは、そうしたいんだ。夢の力を使い果たしたとしても」
こころは、耐えきれないという風に、優利の手を握った。優利も黙って、こころの手を両手で握り返した。
頭の上では、花火のような、雷のような音が鳴っていた。
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