第29話UNSTOPPABLE ~強行追跡~ Part.9

「……のうグリムよ、生きておるか?」


 疲れ切った足取りでメアが呼びかければ、家の残骸をベッド代わりにして俯せのまま転がっているグリムは、そのままの姿勢で緩慢に親指を立ててみせた。


 無事ではあるが動きたくない。

 そんな意思が込められた鈍さであり、まったく同感であるメアも、ついつい彼の横に腰を下ろしていた。


「流石の妾ももう動けぬ、こんなに疲れたのは生まれて初めてなのじゃ……」

「魔族の体力でもしんどいか。まぁ、そりゃそうだよな……」


 垂れ落ちる泥だって、ここまで怠惰ではないだろう。首を動かすことさえ億劫になっている二人は、互いに楽な姿勢のまま動こうとせず、ぼけ~っと勝利の余韻に浸っている。とはいえそれくらいは許されるはずだ、なにしろ文字通り精根尽き果てるまで戦って、ようやく手にした勝利なのだから、タコ野郎の残骸で燻っている獄炎が、ほとんど消えかけるまで時間を垂れ流していても、誰に文句を謂われる筋合いはない。


 グリムがようやく口を開いたのは、徐々に白み始めた空に目を向けてからだった。


「はぁ……かっこワルかったな……」

「……唐突じゃな、なにを指してそう思うのじゃ?」

「この有り様が勝った奴の姿に見えるか? これじゃあいいとこ――」

「――オークの腰布といった風情じゃな」


 ボロボロでくたびれているを表すのに、メアの例えは的確だった。

 俯せのままでいるグリムの姿は、敗者といわれても疑うことはないだろうが、体裁など気にしてどうすると、メアは続けた。


「たしかに、こうして寝転んでいるお主を格好いいとは呼び難いが、格好悪いとも妾は思わぬぞ。殿しんがりとして村に残ると口にした時には、思わず見惚れてしまいそうだったのじゃ」

「はいはい、そいつは光栄だ」

はすに受けるならそれでも構わぬ、どう取ろうともお主の自由じゃからな。じゃが誰がなんと言おうと勝ったのはお主じゃ、これだけは疑いようもないじゃろ」

「あ~……、問題はそこなんだよなぁ……」


 ごろりと寝返り打ったグリムはだらしなく仰向けになると、やはり身体を起こすことはせずに続けるのだった。


じゃねえ、俺たち《・・・》が勝ったんだ」

「……のじゃ? ふむ、なぜ勝者に妾が含まれるのだ、とどめを刺したのはお主じゃろうに」

「なんでそこで不思議がるんだ……」


 両者を指さすその仕草にメアが首を傾げるので、グリムは疲れた頭をなんとか回して分かり易く説明することになる。眠気も相まって呂律さえも怪しくなっているが、とにかく彼は舌を動かすことにした。


「一緒に戦ってたんだから当然だろ。このザマで、俺一人で倒したなんて言えるわけがねえ、メアがいなけりゃ確実に殺られてた。……だから、勝ち名乗りまでビシッと決めてやりたかったんだが、うまくいかねえもんだなぁ~」

「妾の分まで、ということか?」

「そのつもりだった、まぁ失敗したけど……」


 空を見上げたままでいるグリムを見つめるメア。その表情は、かわらず不思議そうにポカンとしていたが、彼女の尻尾はどこか上機嫌に揺れていて、二人はまたしばらくの間、黙って身体を休めていた。

 すると、さほど時間が経たないうちに、木々のてっぺんがチラチラと光を受け始める。


「あ、そういえばメア。俺の剣、知らないか?」

「剣じゃと? あぁ恐らくは、森の方じゃろうな。お主が吹き飛ばされたときに、なにかが飛んでいくのが見えたのじゃ」

「……探してくるか、面倒くせえけど」


 のそりと身体を起こしたグリムの足取りは、靴に鉛でも仕込んでいるのかと思うほどで、その鈍重さには、メアでさえ口を突っ込むくらいである。


「ふふふ、昨夜の勇ましさが嘘のようじゃな、まるで老人の足運びじゃ」

「あれだけ戦えば老け込みもするさ、五十は歳喰った気分だぜ」


 とはいえ大金星には相違なく、グリムは木に刺さった大剣と格闘しながら言うのである。

 未熟な魔族の王女サマと、勇者の元腰巾着。この明らかに劣る戦力でさえなんとかタコ野郎を倒すことはできたのだから、勇者と魔王という地上最強のコンビであれば、あの程度は物の数ではないだろう、と――


「アレックスとお前の親父が組んでたら、世界が相手だって負けやしねえ、案外、魔王城での戦いもあっさり終わってるかもな。気になるのは、円盤から落ちてきた奴等をぶっ倒した後に、アレックスがどうするかってところだが――」


 言いながら、えっちらおっちら大剣を引っこ抜いたグリムはふぅと息を整える。普段なら何て事の無い作業でも、疲れているとしんどさ倍増だ。


「――一度共闘してるとなると、あいつから仕掛けることはねえだろうし、テーブル挟んで、滅茶苦茶気まずくなってたりするかもな」


 なんてグリムは意見を求めたのだが、メアからの返事は一向になく、不思議に思って振り返ってみれば、彼女は話を聞いていないどころか瓦礫の上から姿を消していた。

 おおかた、村の様子でも確かめに行ったのだろう。


 やれやれと鼻を鳴らしたグリムはそんなことを気楽に想像しながらノロノロと歩き、崩れた家の残骸から、村の中心を覗き込んだ。


 ……彼の想像は、半分は当たっていた。


 メアはそこにいたし、まぁ村の被害状況を確かめようとしていたのだろう。ただ彼の想像と違っていたのは、立ち尽くすメアの眼前に逃げがしたはずの村人達がいたことだった。

 彼らの間にあるのは、気まずいと表すにはあまりにも重たい空気ばかりで、メアは恐れとも怒りとも、困惑ともとれる村人達の視線を、ただ黙ってその身で受け止めていた。


 誰も、何も言わない。

 或いは、発するべき言葉が分からなかったのか。


 そうして流れていく、葉擦ればかりが漂う沈黙の中で最初に動いたのは小さな影。それはホリィの一歩であって、ぱたぱたと危なっかしい足取りで歩み出た少女を、メアは跪いて迎えたのだが……。

 ホリィは無防備だったメアの腹に、パン切りナイフを突き立てたのである。


 無論、少女の腕力とたかがパン切りナイフの切れ味では、魔族であるメアの肉体には然したるダメージとはならないのだが、それでも少女の突然の凶行には誰も彼もが息を呑み、誰も彼もが目を剥いた。そりゃそうだろう、無垢な少女がナイフを手にして、いきなり魔族の腹を突けば冷静でいろというのが無理な相談だ。


 じいさん達はその場でおろおろし始めて


 グリムだって反射的に背負った大剣を掴んでいたがしかし


 彼は緊急事態に直面しているにもかかわらず、剣を抜くことを躊躇った


 これまでであれば、まず起こりえなかったであろう刹那の戸惑い。その正体は、いざ抜いた剣をどちらに向けるかという問題である。


 ホリィに向ける?


 いや、それはない。彼女があんな行動にでた理由は容易く想像できるし、なによりもホリィは普通の少女に過ぎないのだ。剣を向けるでき開いててではない。


 では、メアにか?


 それも違うはずだ。彼女は魔族の王女であり、人間からすれば敵であることは間違いない。だがそれはあくまでも、人間という括りからくる識別であって、グリムの個人的な視点とはまた異なる。


 では、この握った剣はどうするべきなのか?

 誰に向けるべきなのか?


 そうして困惑のうちに、振り下ろす先を失った大剣を掴んだままのグリムであるが、ふと目に入ったメアの表情に、疑問が解けていくような気がした。

 一番驚いている筈の彼女が、その必要は無いと首を振っていて、しかも彼女が向けている表情は静かで優しく『これ以上ホリィを傷つけはしないから、どうか妾に任せてほしい』とでも言いたげで、グリムは自然と剣を手放してしまっていた。


 メアに全てをませるという判断には、グリム自身、どうかしていると自分に問いかけていたが、その疑念と同等の信頼が頭をもたげて均衡を保っている。となれば、メアの意思がどちらに転ぶかを見守るほか無いだろう。


 ……ただし、それは痛々しい光景だった。


 祈るように跪いたままのメアは無防備を貫き

 ホリィはそんな彼女を幾度も斬りつけ、ナイフを突き立てる

 パパとママをかえして

 魔族なんか死んじゃえ


 これまで吐き出せなかった積年の恨みをここぞとばかりに喚き散らして、感情のままにナイフを振るうホリィの姿と、まるで自らを罰するように抗うことなく、その刃を身に受けるメア。

 しかしやはり、メアには僅かな傷しか付かないのだが、だからといって安堵など出来ようはずもないのである。


 魔王女の気が変われば、それですべてが終わる

 これもまた一つの事実である

 なのにどうだ、誰一人として二人の凶行を止めようとする者はいなかった

 魔族の女に対する恐れよりも、ホリィの気持ちが分かるだけに村人達は動けず

 メアの気持ちが察せられるだけに、グリムも黙って見守っていた


 彼女たちの戦いに決着を付けられるのは、本人達をおいて他にいないのだと、みな暗黙のうちに理解していたのだろう。見守るばかりの彼らが沈黙しているのは、己の無力を痛感しているからなのかもしれない。


 パパとママをかえして

 おねえちゃんをかえして

 もう何回、この叫びを聞いただろう

 もう何回、少女が斬りつけるのを見ただろう


 ホリィの訴えは純粋であるが故に痛々しく、そして枯れることがなかったが、それでも終わりは必ずやってくるもので、その時は確実に迫ってきている。

 どれくらいの時間が過ぎたのかは分からないが、ホリィは休むことなく斬りつけ続け、ついには腕が上がらなくなった。しかし少女は、恨みを宿した眼差しでもって変わらずメアを睨み続けている。


「魔物なんか……死んじゃえ! 魔族なんかみんな死んじゃえばいいんだッ! どうしてみんなを苦しめるの⁈ パパと、ママを……返して! おねえちゃんを返してよッ! おねえちゃんのウソつき! おねえちゃんなんか、おねえちゃんなんか……――」


 少女が抱え続けた憎悪と怒り、そこから続く言葉は誰にでも予想できた。できたがしかし、ホリィはその言葉を口にすることが出来なかった。家族の仇がそこにるのに、憎き魔族がそこにいるのに呪いの言葉は胸に詰まり、その魔族がどうして身動き一つしないのかという、困惑ばかりが湧いてくる。


 体中切り傷だらけになっているのに、魔族は抵抗どころか身も守りさえせず、しかも――


「すまぬ……」


 ――と、静かに詫びたのだった。


 これで許してもらえるなんて甘い考えは、メアだってもってはいない。しかしそれでも口に出たのはこの言葉だけで、或いはこれしか口に出来なかったのかも知れないが、その一言には千の意味が込められており、彼女と目が合ったホリィは思わずナイフを取り落としてしまった。


 メアには我慢や憤りといった色は微塵もなく、ひたすらの情愛と後悔の念が強く滲んでいて、そんな彼女の哀しくも優しい瞳に、ホリィは大好きだった姉の面影を見たのである。それは今に限った事ではなく、ゴブリンから助けてくれたときも、そして緑色の光から皆を守ってくれたときにも見たもので、人外の姿をしていても、ホリィには人間の姿で優しく笑っていたメアの姿が目に浮かんでいた。


 だが現在、目の前にいるのは魔族の姿となったメアで

 彼女は全身傷だらけである

 斬りつけた感覚は少女の手にあり

 だからだろうか、ホリィの頬には涙が伝い落ちている

 訳も分からず、ただただ泣いた

 魔族なんて大嫌いだ


 もう一度、そう叫びたかったけれど心はもうグチャグチャで、どうすればいいのか分からなくなったホリィは、ただただ「メアおねえちゃん」と泣き叫んだ。

 朝日も涙ぐむその鳴き声は許しを乞うようでもあり、そして助けを求めているようにも聞こえ、メアは泣きじゃくるホリィを責めることもなく、やはり優しく抱きしめたのだった。


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「よいぞ、よいのじゃホリィ……」


 メアはホリィが泣き止むまでの間、しばらく彼女を抱きしめ続け、ようやく落ち着きを取り戻したところで静かに腰を上げると、村人達――ホリィのじいさん――の方へと歩み寄った。


「ご老人、まずは謝罪を。姿を偽っていたこと、許してもらいたいのじゃ」


 じいさんは緊張の面持ちで僅かに頷きこそしたが、声は一切返ってこない。だがその訳を十分に理解しているメアは、神妙に続きを話すことにした。

 返事がなくても構いはしない、聞いてもらうことが、知ってもらうことが大切なのだ。


「見ての通り、妾は魔族じゃ。そしてお主を謀っていた妾を信じろと言うのは虫のいい話だとも理解している。じゃが、どうか信じてもらいたいのじゃ、妾は争いを望んではおらぬことを。人魔の争いは長く続き、我らの間には多くの遺恨が残っている、皆が妾を討ちたいと願うことも当然じゃから、その気持ちを否定はすまい。しかしじゃ、どうか新たな恨みを積み重ねる事だけは避けてはもらえぬじゃろうか?」


 村人達は口を閉ざし、だがメアから目を離すことが出来ずにいた。彼女の語り口は穏やかの一言に尽き、眼差しも、そして素振りの一つからも憎き魔族らしい邪悪さは感じられず、むしろ慈愛に満ちた姫君の姿を、村人達に思わせていた。


「妾は誓うのじゃ、人魔の戦を止めてみせると。皆に、そしてホリィに――。子供が憎しみを抱かずに大人になっていける世界にしてみせると。じゃから……、じゃからどうか、今は妾を見逃してもらいたい、何も言わずに、妾を進ませてもらいたいのじゃ」


 村人達からの返事は、沈黙だけ。


 呆気にとられていたのかもしれない、魔族が人間相手にこんなにも丁寧な振る舞いをするなどとは誰も思っていなかったから。もしくは、怯えが残っていたからかもしれないが、とにかく村人達は、黙ってメアに道を開け、それだけで彼女には十分だった。


「……ありがとうなのじゃ」


 去り際の挨拶さえも気品があり、お淑やかに礼をしたメアは、朝日を背に受けながら村を後にしていく。当然グリムも彼女を追うようにして、ノロノロと歩き出していたのだが、じいさん達に呼び止められた。

 聞きたいことは山ほどあるはずだが、じいさんが口にした問いは一つだけで、多分、そいつが一番重要なことである。


「……グリムさん、あの魔族はいったい何者なんですか?」

「…………」


 メアを表す言葉はいくつもある。


 魔族だし、しかも王女サマ

 年頃の娘で、かなりの意地っ張り

 でも努力家だろう


 ザッと思いつくだけでもこれだけあるが、背筋を伸ばして歩いて行くメアの後ろ姿を眺めるグリムの頭に浮かんだのは、より単純で現実的な言葉だった。


 ――あんた等を助けた女の子


 それがグリムの出した答えで、彼の言った意味を、きっと村人達は咀嚼していたのだろうが、彼らが綺麗に呑み込むより先に、グリムはさっさと歩き出していた。

 引き留められては、いつまで経っても先に行けないのだ。


「王都に着いたら村のことは知らせておく、四日もすりゃあ兵隊が様子を見に来るさ」


 そう言いながら後ろ手に手を振って、グリムも村を後にする。

 王都まではまだまだあるし、何が起こるか分かりはしないが、足を止めるわけにはいかないのである。

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