第20話BLUE ON BLUE ~敵対行動~ Part.8

「意図が分からないのじゃ、味方が混乱するばかりではないか」

「味方にはあらかじめ説明しておけば済む、こいつは敵を欺くための偽装だからな」

「偽装……」


 ここまで言ってピンとこない辺りが、メアが戦素人である証明でもあるのだが、グリムは呆れるでもなく話を続けた。


「なぁに簡単なことさ。例えば、お前が四人組のパーティ相手に戦うことになったとする。相手は戦士が二人、魔法使い一人、回復師ヒーラー一人だ。さぁ、誰から狙う?」

「そうじゃな……」


 メアには実戦経験はない。

 しかし、考える猶予と勉強熱心な頭脳、それと十分な想像力が揃ってさえいれば、この問いに答えを出すのは、獄炎で湯を沸かすより簡単だ。


「自由に攻撃を仕掛けられるのであれば、まず狙うのは回復師ヒーラーじゃ」

「……理由は?」

「複数思いつくが、なによりも回復魔法を使われることが厄介じゃ。いくら他の敵を攻め立てたとしても、傷を癒やされたのでは決着が付かぬ。戦力を削るには、まず回復源を断つことが肝要――」


 言い終える前に、メアがハッとして口を丸くすれば、グリムが言葉を継いだ。


「そう、それが偽装してる理由、回復師ヒーラーってのは狙われるんだ。だから武器を持って敵を倒す、前線回復師フロント・ヒーラーって職ができた。まさか剣を振り回してる奴が回復役だなんて誰も思わねえし、仮にバレても、誰が回復師なのか簡単には見分けられねえ」

「成程なのじゃ。ではグリム、お主は――」

「ご明察。ついでに言っとくと、小規模のパーティでもない限り、回復専門の回復師ヒーラーが前線に立つことは殆ど無くなってる。連中の出番は戦いが終わった後だからな、戦が一段落するまでは後方で暇してる」

「それは初耳なのじゃ。人間は常に総力を持って我らと争っているものだと思っていたのじゃ」

「適材適所ってやつだよ。それに、ろくに自分の身も守れない奴が、戦場のど真ん中で他人の面倒見れると思うか?」

「うぅむ。お主の言い分はもっともじゃが口が悪いのう」

「ふん、俺のことはいいから身体洗ってろよ。折角沸かした湯が冷めちまうぞ」


 バツが悪そうにしているグリムに肩を竦めると、メアは三度寝室へと引っ込んでタオルを手に取る。湯は少し温くなってきているが、まだまだ温かい。


「じゃがグリムよ、よかったのか? 偽装していることを触れ回るのは、人間にとっては不利益じゃろ。妾にその気はないが、策を吹聴するのは感心できることではないと思うのじゃが」

「心配いらねえよ、前線で戦ってる魔族にはとっくに知られてる。ま、専門の回復師ヒーラーが戦闘職兼任の前線回復師フロント・ヒーラーに置き換わってるのがバレたところで、どうしようもねえけどな」

「あぁ、そうか。偽装していることが知られていても、誰が回復役を担っているかは判別できぬのか。よく練られているのじゃ」


 感心するメア

 ちゃぷちゃぷと水音


 彼女はその幼い肢体を丹念に拭き清めていき、そして時折、思い出したようにグリムと言葉を交わしていた。それはとても穏やかで、ともすれば単調ともいえる静かなやりとりであったが、魔王女である自分に対して一切構えないグリムの態度が、何故だかメアには心地よかった。


 グリムはハッキリ言って無礼ではある。無愛想だし、基本的に口が悪い。

 だが極度に畏まることもなければ偉ぶりもせず、崇めることもしなければ蔑みもしなかった。それはいわば、彼なりのフラットな対応であり、つまりはメアが求めた対等な扱いに近いものがあった。

 だからだろう。彼女は自然と、頼み事を口に出来るようになっていた。


「のうグリムよ。お主、回復魔法を扱えるならば、魔力の制御は得意なのじゃろ?」

「俺より上は大勢いるけど実践レベルではある。――それが?」

「うむ……」


 メアは口ごもった。

 魔族の命は長い。しかしそんな悠長に構えていられる余裕がないことは明らかで、メア自身も急を要する事態にあると理解している。勿論、短期間で極められるほど魔法は容易いものではないし、しかも獄炎を操るとなればより苦心することは明白だ。


 だがせめて、最低でも戦えるようにはなりたいと、彼女は願いを口にする。


「単刀直入に申すが、妾に魔力の扱いを教えてほしいのじゃ。回復魔法は攻撃魔法に比べて高度な魔力制御が求められるじゃろう? 妾は回復魔法に関して浅学じゃが、グリムが相当な使い手であることくらいは分かる。獄炎の修練に魔力制御が必要であるならば、得意とする者から教えを得たいのじゃ」

「真面目だねぇ……」

「我らの行いがこの世界の命運を分けるかも知れぬのじゃから当然じゃ。してグリムよ、引き受けてくれるのか?」


 グリムは暫く沈黙していた。彼にしてみれば魔族の姫を鍛える事になるわけだから、二つ返事で引き受けられるはずもない。だからメアも即答があるとは期待していなかった。ただ壁を隔てた部屋にいるため彼の表情は見えなくても、扉の隙間からメアの足下へと漏れ入ってきている気配が、彼の思案を伝えてくれている。


 そうして、メアが待っていると――


「いいだろう、引き受けるぜ」

「お主ならそう答えてくれと信じておったのじゃ、感謝するぞグリムよ」

「つっても俺が教えられる範囲は狭いぞ? 攻撃魔法は門外漢だし、それでもいいのか」

「無論じゃ。妾が学びたいのは魔力制御の術であって、攻撃魔法の扱いではない。それにお主が熟練の魔法使いであったとしても、獄炎の修練は妾が自ら進めていかねばならんからな」


 獄炎を扱えるのはこの世で二人だけ。そして先達である魔王ディアプレドから学べない以上、メアが独学で身につけるほかない。この修練だけは、誰も手を貸せないのである。


「では、グリムよ。早速なのじゃが、いくつか訊きたいことが――」

「待て待て待て」


 逸る気持ちもそのままであったメアは、きっと質問攻めにしそうな勢いだったのだろうが、流石に勘弁してくれと呆れた声でグリムが遮った。


「これから話し始めたら、明日もこの村で過ごすことになっちまうぞ。訊きたいことがあるなら道中で聞いてやるから、今日はもう寝ろ」

「あぁ……うむ、そうじゃな。そうじゃった、その為に身を清めているのじゃった」

「やれやれ、しっかりしてるんだかしてねえんだか……」

「聞こえているぞ、独り言は声を潜めるものなのじゃ」


 メアが冗談交じりに咎めてやれば、グリムも悪びれた素振りもない返事をする。二人の間にあった緊張も真剣味もくたびれていて、あとはもうダラダラと就寝の準備を進めるだけだろう。明朝のことを思えば、早く休むにこしたことはないのだがしかし、グリムはなけなしの緊張感でもって言葉を絞り出してきた。


「そういやメア。お前、その格好で……、ってか、魔族の姿のままで寝るのか?」

「――? 異な事を尋ねるものじゃな、休むのだから当然じゃろ」

「変化は?」

「お主は歩きながら眠れるのか? 魔法を使いながら眠れるはずがないじゃろ」

「変化魔法はうちっぱなしなんだから、かけてから寝ればいいだろ」


 魔法の多くは発動させるのに魔力を使うが、一度発動してしまえばあとは干渉せずに済むことが多い。例えば火球を飛ばす魔法なんかは、火球を生み出すのに魔力を使うが放ってしまえばあとは魔力を使わない。姿を変える変化魔法もその部類に含まれるだろうと言うのがグリムの言い分で、メアも一部はその通りだと応じる。


「確かに、他者を変化させる場合は一度魔法をかければ済む。じゃが使用者が自らを変化させるには常に魔力を消費し続けねばならないのじゃ。姿を変えるために纏う魔力と、妾の発している魔力は当然ながら同質のものじゃからな、常に魔法を発動し続けねば近しい魔力同士で干渉し合って変化が溶ける」

「じゃあ、その姿で寝るしかねえのか」

「なに心配無用じゃ。今朝にしたってホリィの気配を察して目覚めた。今宵はお主もいるのだから、姿を見られることもないじゃろ」


 すると納得したのか、グリムは鼻を鳴らすだけで反論はしてこなかった。

 この村に住む人々中には、魔王女と前線回復師の警戒をすり抜けられる者はいないし、そもそも忍び寄る理由も必要性もないので、グリムの心配はすこしばかり神経質になりすぎているともいえた。

 ただし視点を人間側に変えれば、人間に化けた魔族の王女がしれっと村に忍び込んでいると言い換えることもできるので、彼が気を揉む理由もメアには理解できていた。


 それくらい重大なことであるし

 それくらい異常なことなのだ


 現状は仮宿の中ではなく、実のところは深い谷で綱渡りをしているようなもの。無事に一日を終えられたことに感謝し、そして、この先の振る舞いをどうするべきか思案を巡らせながら身を清め終えたメアは、絞ったタオルを桶にかけた。


「ふぅ~、サッパリしたのじゃ! やはり活力を養うにはその日の終わりが重要じゃな。グリムよ、お主も休む前に身を清めてはどうじゃ。湯ならば妾がもう一度沸かしてやる、むしろお主の方が汗を掻いておるじゃろ?」

「…………」

「なんじゃ、無視することは――」


 桶を抱えたメアは眉根を寄せていたが、ダイニングを覗き込むなり表情が緩む。

 いくら問うても返事がないわけだ。疲れ果てたグリムは、長椅子で腕組みしたまま寝息を立てているのだから。

 自然と足音を殺した彼女はこれまた静かに桶をテーブルに置くと、グリムの傍へ、そろりそろりと近づいていく。手を伸ばせば届く距離、そこから見下ろす彼女の笑みには悪戯心が満ちていた。


「ムフフなのじゃ。よいのか~グリムよ、魔王女の前で寝息など立てていては、容易く寝首を掻かれてしまうぞ~?」


 どうせ起きているのだろうと思って耳元で囁いてみたが、グリムはまったく目を覚ます気配がなく、メアはつい彼の無防備極まる寝顔を指先でつついてみたい衝動に駆られていた。これまで見た来たグリムの表情は常にある種の警戒を纏っていたから、眉根が緩んでいるその寝顔に触れてみたくなったのだ。


 その感触は、少し硬いがメア自身の頬と似ていた。指先に触れたのは人魔にも似たような部分があると感じさせる共通の証であったが、それを心に刻む前にメアは慌てることになる。つついた、その僅かな衝撃でグリムの身体が横へと倒れていく。


「――のじゃッ⁈」


 と、慌てて支えても、やはりグリムが目を覚ます気配はなく、安堵の息を吐いたメアはそのまま彼の身体を長椅子の上に寝かせながら思い至った。

 考えてみれば、彼はメアの父親である魔王ディアプレドと死闘を演じ、そして雲上からの襲撃者から逃げて以来ろくな休息をとっておらず、かつ魔王女であるメアが傍にいたために気の休まる時もなかったはずだ。

 となれば、泥のように眠っているのも仕方の無いことで、メアは嘆息しながらもその口元に優しい笑みをたたえていた。


「……まったく手間の掛かるおにいちゃん・・・・・・じゃ、これではどちらが年長か分からぬではないか」


 なんて小言を溢しながらも、彼女は寝室にあった毛布を一枚かけてやり、グリムの寝顔をしばらくの間見下ろていた。初めて見る人間の、いやグリムの警戒を解ききった姿に、どういうわけだか深い感謝を覚え、彼女はただ過ぎていく静寂を享受していた。


 それは数分だったか、それとも数時間だったか……

 やがて、フクロウの鳴き声に顔を上げたメアは、もう一度微笑みを向けてから、静かに寝室へ戻っていく。


「おやすみなのじゃグリム、今宵はゆっくりと休むとよい」


 名残惜しそうに扉を閉め、蒼い素足をベッドに滑り込ませる。

 木窓から忍び込む月明かりは昨晩より柔らかく、少女を夢の世界へと誘うのであった。

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