第2話 NEVER EVER ~折れた大剣、残された焔~

 世の中には、あり得ないと断言できることがある。


 馬が魚のように泳いだり

 岩が人語を話したり

 雨が大地を焼き尽くしたり

 あるいは真夜中に太陽が昇ったりしたら大変だ。


 それらは自然に反しているから通常ならば起こりえるはずがないのだが、魔法を使えばそれらは叶う。馬だって自由に泳ぎ回るし、ゴーレムとなった岩は言葉を話す。火焔魔法が込められた雨なら大地を焼けるし、月を太陽に変えることだって可能だろう。

 だがそれでも、起こりえないことは存在する。


 一つ目はこれだ。――人魔の平和。


 ヒト族と魔族の間にある溝は深い。なにしろ百年単位で争いを続けているのだから、今更止めようもなく、決着をみるとすれば、それはどちらかの種族が絶滅したときに他ならないだろう。そもそもの発端がなんだったのかを知る人間は、おそらくとうにくたばっている。魔族側にしても同じだろうから、つまり両者は、親から続く戦争を引き継いで、理由も知らずに戦いに赴いていることになる。


 果ての無い、無駄な死ばかりが積まれていき、その山を新たに登る者達は、誰しもが思っていたはずだ、何故闘わなければならないのかと――

 しかしその疑問を抱きながらも、彼等は皆、戦場へと赴いていた。


 戦わねば滅ぶ

 滅ぼさねば滅ぼされる

 ある種の強迫観念によって


 なのに、そうと分かっていながらも互いに刃を収められずにいた。なにしろ百年以上も続いた戦争だ、停戦も和平への道も、とうの昔に閉ざされている。

 だからこそ、大剣を携えた青年は静かに戸惑っていた。


 宿敵である魔族の王。

 その愛娘と同じたき火を囲んでいるなんて、どうして信じられようか。



 ――こいつは一体なんの冗談なんだ? と、大剣を携えた青年は自問する。



 どこなのかも分からない、真っ暗な森の中で、たき火を眺める青年は同じ問いを何度も何度も繰り返すばかりだった。魔王討伐に旅立ってから、困難な事態に陥ったことは幾度もあったし、その都度、なにかしらの解決策は思いついてきた。大海原で嵐に見舞われたときも、魔物の大群と三日間戦い通したときだって、なんとか生き延びてきた。


 当時と異なる点があるとすれば、それは仲間がいるか否か。


 一人で野営するのは久しぶりのことで、確かに背中が寂しいのは間違いないのだが、青年の自問が解決をみないのには、また別の理由があった。

 抱えている問題があまりにも大きく、そして複数あることだ。どれも一人で消化していくには難題にすぎ、さながら火山を引っ張って海に沈めろと言われているような気分になる。

 そうしてかれこれ数時間、青年はたき火を眺めたままで頭を悩ませていたのだが、その中でも、一番近くにあるがたき火の向こうで身じろいだ。


 聞こえてきたのは少女の声、まだあどけなさが残る少女の声だった。


「むぅ……? ここは、いったい何処じゃ……?」


 だが青年の眼差しは、困惑している少女に向けるにはあまりにも冷ややかで無感情だ。


 首に巻いた薄紫の髪

 額から生えている一本角

 空色をした肌の一部は黒い毛皮に覆われていて、その一部はドレスのようになっている

 この姿を目の当たりにして、彼女の目覚めを好意的に取れるはずがない。たき火が照らしたその姿は、人間のそれとは程遠い魔族の姿なのだから。


 やがて意識がはっきりとしてきたのか、少女は辺りを見回し始める。


 ――自分はどうしてここにいるのか、そもそもここは何処なのか?


 そんな疑問が見えそうな少女は、ついに青年の姿が目に入り身構えた。長年戦争してきた種族の剣士が、間近に座っていれば警戒するのが当然で、彼がじっとしていようが関係ない。


「き、貴様ッ⁈ わらわになにをした⁈ ここは何処じゃ⁈」



 警戒心剥き出し、戦う構えも取っている。

 しかし青年は、それでも傍らの大剣に手を伸ばすことはなく、少女の様子を黙って観察するばかり。表情こそ冷たいものの彼の闘志は薄く、まるで襲われるのを望んでいるようでさえある姿に、馬鹿馬鹿しくなった少女は構えを解いた。

 すると青年は、残念そうに口を開く。


「……なんだ、殺らねえのか」

「戦う意志を持たぬ者を討ってなんになるのじゃ。打倒されるにも資格がいる、屍のような顔をした者には、その資格さえないぞ」

「はっ、言ってくれるね」


 敵として認識さえされない無様、魔王の娘に侮辱に近い言葉を投げられても頭にこないあたり、相当参っているのだと青年はようやく自覚した。

 端的に言えば、彼は心身共に疲れ切っていた。正直なところ、体力も魔力も吐き出しきった空っ穴の水筒みたいな状態で、剣を取るのさえ億劫なのである。そんな状態であっても心が強く残っていればまだ抵抗の意志をみせただろうが、いまの彼にはそれさえもない。本当の本当に空っぽなのだ、屍のようだと言われても仕方が無いくらいに。


 ただ、少女は違った。

 気力も魔力も満ちている彼女は、だが不足している事実を求めて口を開く。彼女が求めているのは記憶――、魔王城にいたはず自分が森の中に飛ばされるに至った経緯である。


 そして、それを語ることが出来るのは、目の前にいる疲れ切った青年だけだ。

 少女は尋ねる、荘厳な振る舞いをもって――


「話してもらうぞ、ヒト族の戦士よ。妾になにが起きたのか、何故このような場所におるのかを、仔細まで詳しくじゃ」

「……断る、と言ったら?」

「貴様に選択の余地はない、分かっておるじゃろう」


 明言こそしなかったが、きっと彼女は力を行使するだろう。

 諦観のうちにある青年にとってはそれでも構わなかったのだが、彼はたき火を見つめながら暫し考えたのち顔を上げた。同じくたばるにしても、最後に話の一つくらいしたっていいだろうと、そう決めて。


「すこし長くなる、座れよ」

「フン! 高貴なる魔王女たる妾に向けて、地に腰を下ろせと申すのか?」

「好きにしな」


 素っ気なく返すと、青年は再びたき火へと目を戻した。薪が、パチリと音を立てて爆ぜ、燃える焔の揺らめきの中に、数時間前の記憶をみる。


「俺たちは、魔王城へと攻め込んだ……」


 ――――

 ―――――――


 長く続いている魔王軍との戦争に終止符を討つために、百年を超える時間のあいだ、人間達は絶えず戦士を募ってきた。それは、屈強な剣士であり、敬虔な信徒であり、強力な魔術師であったりと様々で、当然出自も様々だったが、彼等に共通していたことは、冒険者と呼ばれる中でも類い希な才能や力を持つ『授かりし者ギフト』と呼ばれし者達だったこと。


 彼等は王の命により旅立ち、或いは自らの意志で剣を取り、魔王を討つために立ち上がった。

 だが、その旅路は過酷なもので、多くのギフトは道半ばで命を落とすことになる。最終的に、魔王城へとたどり着けたのは一〇〇人ばかり、そして城内へと踏み入れたのは僅かに五人だけだった。



 ――貴様も その中におったのじゃな?

 ――まぁ そうなるな

 ――その他の戦士達はどうしたのじゃ?



 魔王城は険しい山岳に囲まれており、城へと続くルートは正面にある大きな石橋のみであった。防戦の定石として、魔王軍は守りやすい石橋の正面に魔物を固めており、多くの戦士達はその軍勢と真正面からぶつかることになった。


 彼等は皆、一騎当千の強者だからその戦いは凄まじいものだっただろう。だが、その意気を持ちながらも彼等は自らの役目を、それこそ全員が理解していた。

 本命である五人の侵入を助ける、囮であることを――


 かくして陽動は上手くいき、隠遁魔法で姿を消した龍に跨がった五人は、見事に魔王城へと侵入せしめる。そこからは怒濤のようで、眼前に現れる魔族の兵や魔物を切り開き、魔王が待つ玉座まで駆け抜けた。

 その最中で、一人が死んでも足を止めることはなかった。



 ――誰が倒れたのじゃ?

 ――僧兵モンクのビクター・ビショップ 無口な男だった

   合流したのは黒の大陸へ渡る直前だったから 詳しくは知らない

 ――なるほど 貴様達は仲間の屍を越えて 父上の眼前に立ったのだな



 禍々しい装飾の大扉を蹴破ると、玉座の間で悠然と待ち構えていた魔王ディアプレドが静かに立ち上がった。それだけでも、魔王の実力がイヤと言うほど伝わってきて、その場に踏み込んだ全員が寒気を感じていた。

 ただ一人、赤髪せきはつの勇者アレックスを除いては――



 ――アレックス? 勇者は女子おなごだと聞いておったのじゃが

 ――本名があんまり好きじゃなかったんだ 堅苦しいってんで

 ――ふむ して戦いはどうなったのじゃ



 ……最悪だった。


 アレックスが気を吐いたおかげで、恐慌状態に陥りかけていた三人は気を取り直したが、戦場において気後れすることは致命的な隙を作る。

 過度の緊張は硬さを生み、硬くなれば反応が遅れる。


 普段なら躱せたはずの、緩やかな所作から魔王が放った魔法に、だが戦士は反応することが出来ず、彼の頬が火焔で灼かれた。魔王がその気であったなら、彼の頭部は跡形もなく消し飛んでいただろう。


 動揺する戦士を眺めつつ、魔王は初弾が挨拶代わりであったと告げる。

「これで目が覚めたであろう。見事、我輩の前へとたどり着きし勇者たちよ、さぁ闘争の時間だ、心ゆくまで楽しもうではないか」


 魔王は構えるが三人はまだ呑まれたままで、勇者の鼓舞が響き渡った。それは澱んだ魔王城の雰囲気を打ち払う凜とした声で、彼等を奮い立たせる。


「臆するな! 託された想い、願いを思い出せ。私達は一人ではないぞ!」

「威勢のいいことだ。流石は勇者筆頭、赤髪のアレックス。そうでなくては面白くない」

「征くぞ、みんな! この戦争を終わらせる、いま、ここで!」


 応ッ! のかけ声頼もしく、四人は一斉に仕掛けた。

 魔王に侮られているうちに決着を付けられるならば、それがベスト。様子見など一切捨てて、最初から全力で挑んだ。

 勇者を先頭に彼等は次々に攻撃を仕掛けていく。


 切り、斬られ


 焼き、灼かれ


 打ち、打たれる


 壮絶な戦いはまさに生存をかけた死闘と呼ぶに相応しく、誰もが死にものぐるいだったが、それでも彼等は倒れなかった。


 魔術師の魔力は尽きかけているし、戦士は片目が潰れた

 青年は肋骨が折れ、勇者の盾は砕けている


 だがしかし、魔王もまた傷だらけで決着の時が近づいていると誰もが感じ取っていた。

 次で決まる、確信にも似た直感に従い勇者達が最後の攻勢に出た。


 魔術師が雷撃魔法で目を眩ませば

 雄叫びとともに戦士が斬りかかった

 それを受けた魔王が反撃の拳を振り上げたところで

 そうはさせじと大剣を振りかぶった青年が飛びかかる


 狙いは左袈裟、魔王の左肩から斜めにバッサリいく気でいた。

 とはいえ、彼の攻撃は崩しも駆け引きも捨てたひどく単純な仕掛けであったから、魔王が魔法を撃つのに充分な時間を与えてしまう。


 だが、それでよかった。


 全員が動き始めた段階で青年が感じた予測。それは危険な賭けだと分かっていたが、勝ちの目があるならやる価値はある。

 魔法使いと戦士の攻撃により、傷は負わせられなくても魔王の体勢は崩れている。その状態で斬りかかってくる青年に対して、無理な姿勢から魔法を撃てば、次の一撃までは躱せない。

 青年はすんでのところで、目標を魔王の肉体から放たれる魔法へと変えて剣を振り下ろす。切り裂いた火焔魔法の熱で息は詰まるが、道を作れば上出来だった。


 そうしてやれば、崩れ落ちていく彼の陰から赤髪せきはつが巻き上がってくる。

「……いけよ、アレックス」

「魔王オオオオォォッ!」

 


 ――そして どうなったのじゃ

 ――わからない

 ――どういう意味じゃ わからぬとは



 アレックスが斬りかかるところまでは青年も覚えていたが、その直後から数分の記憶が無かったのである。その瞬間に、何が起きたのかはっきりと言葉にする事は難しかったが、体験したことをそのまま表すなら、爆発に巻き込まれたということだ。



 ――父上の魔法か?

 ――……いやちがう それだけはハッキリと言える



 次に意識が戻ったとき、青年は冷たい石床の上にうつぶせで転がっていた。体中の痛みと耳鳴り、いっそもう一度瞼を閉じてしまえばそのまま気持ちよい眠りに落ちられただろうが、だが彼は眼前の光景に目を見開くことになる。

 まだ戦っていたのだ、勇者と魔王で……



 ――驚くべき事か? 父上と勇者が戦いを続けているのは当然じゃろう

 ――二人が・・・じゃねえ 二人で・・・戦ってたんだ

 ――どういう意味じゃ?



 青年も混乱していた。斬りかかり、吹っ飛ばされて気を失い、目を開けてみたら、二人が背中合わせで戦っている。にわかには信じがたい光景に正気を失ったのかと疑いもしたが、戦士までもが魔王を無視して剣を振るい、青年に異常な現実であることを告げた。



 ――待て待て 待つのじゃ 事態がすっかり飲み込めぬぞ

貴様の話では まるで父上と勇者が共闘しておったようではないか

 ――だからそう言ってる

 ――妾をからかっておるのか

 ――事実だけを口にしてる

俺もまだ混乱してるんだ 黙って聞いててくれねえか



 彼等・・は戦っていた。


 見たこともない、……丁度スイカくらいの大きさをした金属製の玉から、カニみたいな四つ足を生やした、何かと。そいつらはカシャカシャと特徴的な音を立てながら、そこら中から湧いてきていた。



 ――……一応訊くがよ 王女様

魔王軍にそういう魔物はいるのか?

 ――黙っておれと言った矢先に 尋ねるのか

 ――こんだけ話してやってんだ

質問一つに答えたってバチは当たらねえだろ

 ――ふむ それもそうじゃな

妾の知る限りではいない

 ――そうか 話を戻そう

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