その十四 トマソン
次の日、日曜日、いつもなら暇にしていると捺稀さんから連絡があって、博物館や公立図書館に出掛けたり。天気が悪ければ、電話かメッセージでだらだらとやり取りして時間を潰すんだ。でも、その日は連絡もなく、さりとてひとりで出掛ける気にもならず。ベッドで居眠りをしてすごした。その間も捺稀さんの面影が頭から離れず何事も手に付かなかった。
次の日、月曜日、なんだか気が重くて捺稀さんには離れたところから朝の挨拶を交わした。彼女もなんだか、いつもの快活さがトーンダウンしていた。良く並んでお弁当を食べていた中庭のベンチにも顔を出すのが憚られる気がして自分の机で食べた。
「どうしたの。自分の机で食べているなんてめずらしいね」
堤野さんが女子のグループから離れてやって来た。今までにはなかった事で女子達がちらちらとこちらを見ている。クラス内の立ち位置が、堤野さんのおかげで少し上がったようだ。
昔は何をしていても完全に無視だったんだけど。上部ともたむろる事が増えたのもあるのかも知れない。
「今日は部会出られるから、また後でね」
同じクラブ員ということでか、よそよそしかった堤野さんも気さくに話しかけてくれるようになっていた。以前はクラスにはいるだけで、空気のような存在だった僕がクラスメイトと交流できているなんて、捺稀さんと交流(巻き込まれる)する前には考えられなかった。
それを意識して少し気持ちが明るくなれた。
「それは何とかなると思う」
今日の部会は博物クラブの文化祭の出し物の事前紹介を相談していた。堤野さんはクラス委員なので、生徒会に顔が利くと言う事で頼んでくれる事になった。生徒会も文化祭に向けて学校のサイトで特集を組む予定だったのでそこにねじ込んでくれるそうだ。
「やった、ありがとう」
「楠本さんでもちゃんとお礼が言えるのね」
「堤野さん、それは言いすぎだよ。捺稀さんは表現に馴れていないだけで、ちゃんと感謝の念は持っているよね」
そう言って、捺稀さんの顔を見る。でも、視線を合わせるのが怖い、目を見ないようにしてしまう。いけない、これでは前とは違うじゃないか。
「それはそうよ。ちょっとお礼を言うのが不得手なだけ。学校のサイトの特集ページに博物クラブの文化祭の出し物の予定を載せてもらえる事はちゃんと感謝しているわ」
「堤野さんも、皮肉は良くないよ。意味なく対立が起きちゃうよ」
「そうだね、ごめん。楠本さんの前の印象が強過ぎて。思わず言っちゃうのよね。気をつけるね」
「そう言ってもらえると助かるわ」
そう言って僕の顔と捺稀さんの顔を何度か交互に見直していた。
「そう言えば、俺は面白い物を見つけたぞ。これはトマソンと呼んでいいよな」
話をぶった切るように上部がスマホの画面を見せてくれる。そこには宙に延びる錆びたスチール製の階段が写っていた。次の写真では階段の先にはアルミ色のドアが付いている。そして、本来ならそのドアが付いている筈の建物がない。ドアが空中に浮いている様に見える。
「これは、立派なトマソンだね。どこにあったの?」
「学校から駅の反対方向に五分ほど歩いた先にある空き地にあったよ」
上部は自分が最初に見つけた事が嬉しいのか得意そうにしている。イケメンが得意気になると嫌味だなとその時思ったが口にはもちろん出さない。
捺稀さんは写真に見入り上部の得意げな表情にコメントする事は無論無い。
「良く見つけたね。あの辺りはまだ探してなかったんだよね。早速、今日の放課後見に行こう」
「ごめん。私は無理だわ、この後放送部の強化合宿に参加しなければならないの」
「強化合宿? 運動部みたい」
意外だったので思わず聞いてしまう。堤野さんのもうひとつの部活、放送部は文化系の筈だ。
「夏休みに全国高校生放送コンクールがあるんだけど、その地区予選が来月初旬にあるの、それに備えて先輩やOGの指導のもと集中的に訓練を行う事になっているんだ」
「へえ、堤野さんもしかしてアナウンサー志望?」
「そうよ、小さい頃からの憧れで、この学校を受験したのだって、毎回全国大会進出してるからね」
「すごい。自分の夢があるってうらやましい」
「東雲くんは無いの?」
「うーん。いまは夢を探して放浪中かな」
「だから、楠本さん?」
「うん、目的とかあって参加した訳じゃないけど、取りあえず楽しいから。僕はゆっくり探すよ」
「俺は、大学に入ったらだな、この顔と社交性で人脈を作り、起業家を目指すのさ。そのための知識と話題のネタ作りのために博物クラブに参加した面は確かにある」
上部でさえ、将来の事を考えている事に軽くショックを受けた。僕は本当に何も考えていなかった。ただ、学校と家を行き来するだけの人生だった。それがいま友人達と将来の事を話している。数カ月前には考えられなかった事だ。
そう言えば気になる。
「捺稀さんは将来は何を目指しているの? やっぱり博物学者?」
小首を傾げて返って来た答えは僕にとって意外なモノだった。
「うーん。決まっていない。真仁くんと同じで、なりたいモノを探して色々と試している状態かな」
「え、そうなの? 僕は捺稀さんはとっくに目標を決めて将来に向かって努力している物だと思っていた」
僕だけでなく他のふたりも意外そうに頷いていた。
「いまは、面白いと思える事、好きな事を好きなだけ楽しんでいるの」
「ああ、僕はそれに巻き込まれたわけか」
「失礼ね。君だって楽しんでいるでしょ」
「そ、それはね……」
本当の事を言えば捺稀さんの
「ああ、そうだ。会話を
意味あり気ににやけた笑いを浮かべる。
「そう言えば、聞いたよ、上部。付き合ってる子達を随分切っているって。相談もされたけど、本当の事なの?」
「ああ、俺もちょっと感じる事があってね。上辺だけの軽い付合いは整理させてもらっている」
「へー、あんたからそんな言葉を聞く事があるとは想像もしなかったよ」
「悪かったな。俺だって色々と考えるさ」
そう言って、ちらりと視線を僕の方に振ってから捺稀さんに話しかけた。
「な、そう思うよね。誠実さは大事だよな」
「うんそれは同意だね」
捺稀さんの答え、きっと上部の問い掛けの真意は通じていないんだろうなとは思う。今の僕は何ができるだろう、不安が心の底に忍び寄る。
—— ★★ ——
「あれだ。うんうん、なかなかにトマソンだね」
実物を見るとその不自然さが際立つ。放課後の頃にはふたりの間にあったぎこちなさは取れていて、いつものように気さくに話ができるようになっていた。良かったと僕は胸をなで下ろし、一緒に上部が報告してきたトマソンを見に来ていた。
階段はごく普通の鉄製のモノで人ひとりなら充分通れる幅はある。安普請のアパートなんかに付いている階段より幅が狭い、途中ですれ違うのはきつそうだ。登った先に目をやるとアルミでできたドアが鉄枠に嵌まって鈍い銀色に輝いている。そうだ、そのドアの向こうにはあるべき建物がないのだ。
階段の登り口は紐やテープで閉じてあり『立ち入り禁止』の札がぶら下がっている。完全に塞いでいる訳じゃなくて押し広げれば簡単に通れそうだ。
嫌な予感がした。恐る恐る横を見るといつもの三倍は目を輝かしている捺稀さんがいる。
「まさか、登ろうなんて考えていないでしょうね」
「まさかー、こんな面白いモノ、登る以外の選択肢はないでしょう」
「だめだよ。立ち入り禁止だよ」
止める間もなく、紐を押しのけて中には入り込んでしまった。僕は慌てて後を追う。
「あ、この角度はまずい」
カンカンと軽快な音を立て急な階段を先に登る彼女の後をついて行くと見上げる視線が制服のスカートの奥をのぞき込むことになる。白っぽい布がチラチラと目に入る。水色かな? 頭では見てはいけないと思うが目は縫い付けられたように固定されたまま後を追う。目がチカチカして足を踏み外しダダンと大きな音を立ててしまった。
「どうしたの。こんな階段で足を踏み外すなんて、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと気がそれて足下がおろそかになっちゃったんだ」
「気をつけて。落ちたら冗談にならないよ」
てっぺんに辿り着いて振り向く彼女の気配に咄嗟に視線を外す。気がつかれただろうか、不自然じゃなかっただろうか。
「まるでこのドアを開けると別の世界に繋がっているみたい」
振り返った彼女はノブに手を掛けて、引っ張るけど鍵がかかっているようでぴくりともしない。良かった、彼女にはスカートを覗いた事は気がつかれなったようだ。偶然だからセーフだよね。
僕もてっぺんに辿り着いて彼女の横に並んでドアをしげしげと眺めた。アルミのドアは雨の流れに沿って白い粉を吹いている。ドアノブは回るけど開く気配はない。
「そろそろ降りようか、これはちょっと危ないよ。開いたら向こうに落ちちゃうし」
「そうね、開きそうにないわね。こういうドアって普通引っ張って開けるわよね。これ押したら開いたりして」
そう言ってぐいっと押すと引っ掛かりが外れたのか勢い良く開く。まさか開くと思っていなかったため体重を掛けていた捺稀さんの身体がドアの向こうに吸い込まれた。
「捺稀さん! 危ない!」
咄嗟に彼女の腕を掴んで思いっきり引っ張った。慣性の法則は破れなかった。彼女を引き寄せる反動で僕の身体がドアの境界を越える。そのまま一緒に宙に舞った。
時間は一秒にも満たなかったはずだけど、落ちていく瞬間の時間は引き伸ばされて何分にも感じられた。これが走馬灯? なんてのんきな事を考えている余裕なんてない。だんだん地面が近づいてくる、僕と彼女の身体は先ほどの反動で位置が入れ替わり僕の方が下に潜り込んでいく。
その時背中に激しい衝撃を感じ激痛が走る、同時に胸からお腹にかけて柔らくも強い衝撃が襲い息が止まった。頭もぶっつけたらしい、目から星が出るってほんとうだ。目がチカチカする。くらくらして目の前が暗くなっていく。
「ちょっと、真仁くん。ごめん、大丈夫。ねえ、返事して。大丈夫……」
混乱して叫ぶ捺稀さんの声が聞こえる。
「捺稀さんは大丈夫?」
「わたしは、平気」
「よかった……」
覚えているのはそこまでで、僕はそのまま気を失ってしまったようだ。
次に目が覚めたのは見慣れない部屋のベッドの上だった。
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